ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 津久井進著 「大災害と法」 岩波新書

2013年03月04日 | 書評
大災害の被災対応と復旧・復興に法の課題とはなにか 第4回

第2部 「災害サイクルと法」(1)
 第2部「災害サイクルと法」は災害のサイクルに順じて3つの章からなる。①災害直後の法制度、②復旧と生活再建のツールとしての法制度、③災害に備える防災と減災を図る法制度である。災害時の全過程で中央と地方政庁の官僚の施策がどんな法に基づいてどこまで行なえるかという現システムを知る上では重要である。

1) 先ず災害直後の法整備はどうなっているかを見て行こう。緊急対応の観点から「災害対策基本法」の法構成を見よう。先ほど災害救助の責任と権限のねじれ問題を述べたが、災害対策基本法の最大の特徴は,災害時における国、都道府県、市町村の立場と責任を明確にすることである。災害の応急対応の第1次責任は市町村が負うことで、都道府県は市町村の支援と調整、国は地方自治体が応急措置に専念できるよう支援するということである。これらは官僚作文で東に本題震災ではこの仕組みは全く機能しなかった。ちょうど福島第1原発事故で「原子力災害対策特別措置法」のシステムがもろくも崩壊し、「オフサイトセンター」の機能は働かなかったのと同じ状況であった。作文と現実の乖離があまりに大きかった。人の知恵の浅はかさを思い切り知らされた。災害対応の第1次責任を負う市町村が津波で流されたり、原発事故で市町村庁が移転せざるを得なくなり、中でも住民がバラバラになったことのためコミニュティが崩壊したのである。市町村が機能不全になった状況では都道府県が措置を代行し、国が緊急対策本部を置いて調整を行なうことになってしたが、県も国も被害状況さえ把握できずとても十分な対応をとったとはいえない。非常事態災害で日頃の訓練ができていなかったとぴえる。そして災害時の情報の流れが地方から国への報告を義務付ける中央集権主義に毒されており、市町村が壊滅して情報収集能力が無い状態では、逆に被害の少なかった県庁から市町村へ、国の東京から被災県への情報や的確な指示が必要であった。被災市町村の住民への情報提供は、生活に一番身近な気象情報と地震速報は「気象業務法」(1952年)によって義務付けられている。

 災害対策基本法は関東大震災クラスの災害が発生したときは、国は「災害緊急事態」を布告し、国会の承認を取って3つの緊急措置が取れることになっている。生活必需物質の確保と価格の維持、そして金銭債務のモラトリアムである。ところが阪神淡路大震災でも東日本大震災でもこの「災害緊急事態」の布告は行なわれなかった。政府にそこまでの準備も覚悟もなかったといえる。被災自治体は災害対策基本法に基づいて首長を長とする「災害対策本部」を設置し、災害規模が大きいときは国は「非常災害対策本部」を置くことができる。東日本大震災では総理大臣を長とする「緊急災害対策本部」が設置された。そして原子力災害対策特別措置法に基づいて内閣府に「原子力災害対策本部」が設置された。自然災害には「消防法」(1948年)に基づいてレスキュー隊を派遣する。「警察法」(1954年)には災害時の救護の規定はない。「自衛隊法」(1954年)には県知事は派遣要請を出来る。災害対策基本法は市町村に知事への派遣要請を求める権限を与えている。「災害対策基本法」は一般法であるが、災害が発生したとき被災者を救済・保護するする役目は特別法である「災害救助法」(1947年)に定められている。

 災害救助法を管轄するのは厚生労働省である。東日本大震災では法の適用の硬直性・機動性の無さが露呈し、避難民の食事の早期打ち切り、仮設住宅の不適合など深刻な問題を発生した。災害救助法の実施責任が都道府県にあって、災害対応の第1次責任が市町村にあると云うねじれ問題で弾力的運用即決即断が出来難いというジレンマが指摘された。災害救助法の下位規範として「災害救助法施行令」でj救助の方法を大臣が基準で示すことになっていた。それがあまりに実情にそぐわない(現物支給の食事代1人1日1000円以下など)状況がみられた。避難所7日以内とか、応急仮設住宅2年以内とか、仮設住宅建設費300万円以下とか、あまりにお上の無慈悲さばかりが目立った。そこで特別基準が考慮され、現場に即した特別基準の活用が重要である事がわかった。自宅の応急修理制度は生活再建の第1歩であるので、一般基準の上限52万円ではどうしょうもなく一般基準の見直しが求められている。食事代の現金給付を求める声が大きいが、政府や自治体は災害救助法に基づく現金給付を一切認めないのが現状である。災害救助法がうまく機能していない理由に「災害救助事務取扱要領」の原則が挙げられる。①平等の原則(個々の経済的理由は考慮しない)、②必要即応の原則(必要最低限)、③現物支給の原則(現金支給を認めず)、⑤現在地救助の原則(分属自治体以外は助けられない)、⑥職権救助の原則(被災者の異議申し立て不可)といった原則が、弾力的で血の通った施策を困難にしている。
(つづく)

読書ノート アダム・スミス著 「国富論」 中公文庫(1-3冊)

2013年03月04日 | 書評
古典経済学が説く社会的生産力の構造と近代自由主義 第44回

第4篇 経済学の諸体系(重商主義)
第8章 重商主義の結論(特殊例の追加)


 第8章は重商主義の結論となっているが、実はこれは結論ではなく特殊な例を解説する章となっている。輸出の奨励と輸入の阻止は重商主義の2枚看板であるが、ある特殊な商品については重商主義はこれと反対の政策を取った。自国から原材料(羊毛)の対外輸出やその加工製造技術・機械・職人の輸出を禁止し、反対にその原材料である糸の輸入は奨励する政策である。具体的には自国の製造業に必要な外国産の原料輸入として綿糸輸入の免税を行い、亜麻布輸出には奨励金を出すという政策である。他にも羊毛、原綿、亜麻、染料、アザラシの皮、銑鉄などの輸入には免税の特典が与えられた。製造業者らが亜麻布の価格を引き上げ、粗製原料の亜麻織糸のか飼うを引き下げるのも、決してそれらの小さなマニュファクチャの製造職人の利益を考えての事ではない。富者と権力者のために営まれる産業の利益を考えてのことである。まるでマルクスような舌鋒鋭い重商主義批判である。日本の経産省のサプライヤー重視政策は重商主義なのだろうか。植民地原料に輸入には奨励金が与えられ、他国からのものには課税される政策は、はたして植民地の原料が安いなら問題は無いが、高い場合は資本の損失である。輸入奨励金が与えられたものには、船舶資材、藍染料、粗製亜麻、木材、生糸、葡萄酒用樽、大麻などであった。製造業の原料輸出を禁止されたものは、仔牛、牝羊、羊毛などであった。羊毛の輸出禁止は毛織物業者の利益を増進するためで、羊毛生産者の利益はある程度犠牲にされた。戦後日本の産業は国産原料が石灰以外には何もないという無資源立国政策で始まり、食糧も含めて世界で一番安い原料を買うことで製造工業は成り立った。これは非常に効率的であったという。
(つづく)

文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年03月04日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第65回

* KHM 103  おいしいおかゆ
 貧しい少女とお母さんが住んでいました。食べる物がないので少女は苺を探しに森にゆきました。森の中でおばあさんは少女に鍋を与えました。この鍋は「おなべや、ぐつぐつ」といと黍のお粥をこしらえてくれます。「おなべや、おしまい」というとお粥は出なくなります。これで少女とお母さんはひもじいことはなくなりました。ある日少女のいないとき、お母さんは「おなべや、ぐつぐつ」といってお粥を作りましたが、お鍋を止める言葉を知りませんでしたので、お粥が街中にあふれ出したいうことです。

* KHM 104  ちえのある人たち
 お百姓の親父が旅に出ることになり、女房に牝牛3頭を200ターレル以上で売ることを言いつけます。この女房は少しおつむが足りないところがあって親父は心配でなりません。暫くして牛飼いが女房のところにやって来て、いい値で牝牛3頭を買いたいが今金を持ってきていないので1頭を担保において2頭を引き取るといった。女房はすっかり得した気分になったが、亭主が帰ってくるとペテンにかかったことでひどく怒られた。呆れ果てた亭主は内の女房以上の馬鹿を探しに村道に出たところ、百姓のおかみさんに自分は天国から来たとうそを言って、天国にいるおかみさんの亭主にお金を届けるといって騙し取った。又それをきいたおかみさんの息子が馬に乗ってお百姓の亭主を追いかけると、その馬も巻き上げた。「ばかちゅうことが、いつもかもこんなに儲けさせてくれる、おばか様だわい」といってほくそ笑んだ。人はいつも馬鹿を食って世渡りをするものらしい。市場経済原則を聞くような、一寸いやな気分となる話。
(つづく)