大災害の被災対応と復旧・復興に法の課題とはなにか 第9回
第3部 「法の課題」 (2)
「原子力基本法」(1955年)は推進と規制の双方を担って制定されたが、2001年小泉内閣のときに推進と規制が経産省に一体化した。ブレーキの無い車といわれる由縁である。福島第1原発事故は東電が「想定外」と逃げようが、一言でいうと「政・官・財・学・報」のペンタゴンによって構成された原子力村の「非民主」、「独断」、「非公開」が引き起こした惨事である。葉止めをなくしたら暴走して惨事となるは交通事故の事ではなく、原子力基本法をないがしろにしてきた原子力村のことであり、あたかも憲法をないがしろにしてきた日本の戦後史と重なるのである。1961年に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」は「無過失責任制」、「無限責任」、「責任の集中」の原則を採用している。それはそれで立派な原則であるが、原発事業を容易にするため,電力会社の「免責事由」を設け、1事業所あたり1200億円の保険で補えない賠償は政府が負担することになった。電力会社は損害賠償だけでなく、新発電方式の開発費、電源立地法による開発費用の一切を国がまかなうという経済外化要因で実に楽な経営を保証された。国策で原発は儲かる事業である事を補償されると、電力会社は経産省の計画のまま原発依存体制にはまっていった。このあたりの経済的からくりは大島堅一著 「原発のコスト」 (岩波新書 2011年12月)に詳しく描かれているので省略する。JOC事故を教訓にして「原子力災害対策特別措置法」が制定されたが、福島第1原発事故で法が用意した防災システムは脆くも崩壊した。常に防災システムというのは絵に書いた餅(官僚作文)である。「原発の放射性物質による環境汚染への対処に関する特別措置法」(2011年)を制定し、国が除染の第一義的な責任を負う事を明らかにした。原発事故災害補償については「原子力損害賠償支援機構法」(2011年)が制定され、原子力損害賠償支援機構が設立され、原発事業者に資金援助を行うこと、その資金確保のため原発事業者に負担金を求めかつ国債を発行するなどを決めた。ところが本法の目的のひとつである被害者に対する賠償の支援は現在全く動きは無い。2012年3月「福島県復興再生特別措置法」が成立した。
(つづく)
第3部 「法の課題」 (2)
「原子力基本法」(1955年)は推進と規制の双方を担って制定されたが、2001年小泉内閣のときに推進と規制が経産省に一体化した。ブレーキの無い車といわれる由縁である。福島第1原発事故は東電が「想定外」と逃げようが、一言でいうと「政・官・財・学・報」のペンタゴンによって構成された原子力村の「非民主」、「独断」、「非公開」が引き起こした惨事である。葉止めをなくしたら暴走して惨事となるは交通事故の事ではなく、原子力基本法をないがしろにしてきた原子力村のことであり、あたかも憲法をないがしろにしてきた日本の戦後史と重なるのである。1961年に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」は「無過失責任制」、「無限責任」、「責任の集中」の原則を採用している。それはそれで立派な原則であるが、原発事業を容易にするため,電力会社の「免責事由」を設け、1事業所あたり1200億円の保険で補えない賠償は政府が負担することになった。電力会社は損害賠償だけでなく、新発電方式の開発費、電源立地法による開発費用の一切を国がまかなうという経済外化要因で実に楽な経営を保証された。国策で原発は儲かる事業である事を補償されると、電力会社は経産省の計画のまま原発依存体制にはまっていった。このあたりの経済的からくりは大島堅一著 「原発のコスト」 (岩波新書 2011年12月)に詳しく描かれているので省略する。JOC事故を教訓にして「原子力災害対策特別措置法」が制定されたが、福島第1原発事故で法が用意した防災システムは脆くも崩壊した。常に防災システムというのは絵に書いた餅(官僚作文)である。「原発の放射性物質による環境汚染への対処に関する特別措置法」(2011年)を制定し、国が除染の第一義的な責任を負う事を明らかにした。原発事故災害補償については「原子力損害賠償支援機構法」(2011年)が制定され、原子力損害賠償支援機構が設立され、原発事業者に資金援助を行うこと、その資金確保のため原発事業者に負担金を求めかつ国債を発行するなどを決めた。ところが本法の目的のひとつである被害者に対する賠償の支援は現在全く動きは無い。2012年3月「福島県復興再生特別措置法」が成立した。
(つづく)