ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 津久井進著 「大災害と法」 岩波新書

2013年03月09日 | 書評
大災害の被災対応と復旧・復興に法の課題とはなにか 第9回

第3部 「法の課題」 (2)
「原子力基本法」(1955年)は推進と規制の双方を担って制定されたが、2001年小泉内閣のときに推進と規制が経産省に一体化した。ブレーキの無い車といわれる由縁である。福島第1原発事故は東電が「想定外」と逃げようが、一言でいうと「政・官・財・学・報」のペンタゴンによって構成された原子力村の「非民主」、「独断」、「非公開」が引き起こした惨事である。葉止めをなくしたら暴走して惨事となるは交通事故の事ではなく、原子力基本法をないがしろにしてきた原子力村のことであり、あたかも憲法をないがしろにしてきた日本の戦後史と重なるのである。1961年に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」は「無過失責任制」、「無限責任」、「責任の集中」の原則を採用している。それはそれで立派な原則であるが、原発事業を容易にするため,電力会社の「免責事由」を設け、1事業所あたり1200億円の保険で補えない賠償は政府が負担することになった。電力会社は損害賠償だけでなく、新発電方式の開発費、電源立地法による開発費用の一切を国がまかなうという経済外化要因で実に楽な経営を保証された。国策で原発は儲かる事業である事を補償されると、電力会社は経産省の計画のまま原発依存体制にはまっていった。このあたりの経済的からくりは大島堅一著 「原発のコスト」 (岩波新書 2011年12月)に詳しく描かれているので省略する。JOC事故を教訓にして「原子力災害対策特別措置法」が制定されたが、福島第1原発事故で法が用意した防災システムは脆くも崩壊した。常に防災システムというのは絵に書いた餅(官僚作文)である。「原発の放射性物質による環境汚染への対処に関する特別措置法」(2011年)を制定し、国が除染の第一義的な責任を負う事を明らかにした。原発事故災害補償については「原子力損害賠償支援機構法」(2011年)が制定され、原子力損害賠償支援機構が設立され、原発事業者に資金援助を行うこと、その資金確保のため原発事業者に負担金を求めかつ国債を発行するなどを決めた。ところが本法の目的のひとつである被害者に対する賠償の支援は現在全く動きは無い。2012年3月「福島県復興再生特別措置法」が成立した。
(つづく)

読書ノート アダム・スミス著 「国富論」 中公文庫(1-3冊)

2013年03月09日 | 書評
古典経済学の祖アダム・スミスが説く社会的生産力の構造と近代自由主義 第49回

第5篇 国家の収入(財政策)
第1章 主権者または国家の経費について (4)

[3節:公共事業及び教育] (2)

 ここまでは商業一般の公共事業と施設を扱ったが、商業の特定部門(東インド会社など植民地政策)を保護するための経費については、その部門に課する特別の税(関税など)でまかなうのが最も合理的である事を述べる。植民地や交易相手国に防壁をもつ居留地を持つか、そうでなければ大使、公使・領事を置く政府費用が必要である。政府が関税管轄権を持ち貿易の保護と関税の徴収を行なうという原則は、特定の商事会社(リスクの負担範囲によって合本会社、制規会社、合名会社)の相手国別の貿易独占によって破られた。排他的特権があってもなお特定商事会社の失敗は大きい。それは当の会社の代理商の浪費や横領が原因で破産した。1600年に設立され、1698年に女王の特許状を得て排他的特権を得た東インド会社はインドの支配者となったが、十分な統治が出来ず、議会は会社の改革に乗り出した。1773年同社の負債は政府貸付でも救済されず、浪費と汚職の口実を作ったに過ぎなかった。同社の管理機構として評議会に補佐される総督の管轄下におかれたが、株主の経営への無関心と取締役の乱脈ぶりは解消されなかった。1770年ごろは「東インド会社論争」のピーク時期でスミスは「国富論」のあちこちで多くのページをこの論争に割いている。しかし結局のところスミスは東インド会社問題に匙を投げる。商事会社が自らの危険負担と費用で遠方の未開地を新しい貿易を開くことに成功したならば、合本会社として法人化して一定期間その貿易の独占権を与えることは不合理ではないが、この独占を認めると、自国民は自由貿易よりずっと高い値段で商品を買わなくてはならないこと、また他の事業体はその事業から締め出されて、その会社の使用人が浪費と腐敗を続けて破産するはめになる欠陥を持つのである。合本会社が排他的特権なしでもやれる事業としては銀行業、保険業、運河事業、水道業など型にはまった画一的な事業だけであるとスミスは結論した。(日本で言えば、独占的国家事業として、国鉄、電信電話通信事業、有料道路事業、郵便貯金保険事業、電力事業などの旧公社事業のことに近い、上下水道事業は地方自治体に任された) 普通の事業に許される一定の利潤率が、特権を与えることで完全に破綻することである。(電力会社の電気料金値上げ問題と原価の恣意的算定が、2012年原発事故を受けた日本で大問題となっている)
(つづく)

文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年03月09日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第70回

* KHM 102  みそさざいと熊
 熊と狼が森を散歩していました。鳥のさえずりを聞いた熊はその美しい声の主は誰かと狼に聞くと、それはミソサザイの王様だといいました。そこで熊はミソサザイの王様とお妃さんが飛び立った後、木の上の巣(御殿)を覗いてみますと,ひな鳥(王子様)が5,6羽いましたが、小さいので熊は馬鹿にしました。ひな鳥は王様が巣に帰ってくると、くまに馬鹿にされたので復讐をするように頼みました。そこで熊とミソサザイ族の決戦となり、熊は地上のけだものを集めて軍隊をつくり、ミソサザイは空を飛ぶもの全部集めて軍隊を作りました。決戦が始まるとミソサザイは間者を出し、地上軍の参謀である狐の戦いの合図(尻尾を上げたら進軍、尻尾をさげたら退却)を探り出し、ミソサザイは狐の尻尾に総攻撃をかけました。尻尾を巻いて狐が逃げましたので、地上軍は総退却し空中軍の勝利となりました。

* KHM 103  おいしいおかゆ
 貧しい少女とお母さんが住んでいました。食べる物がないので少女は苺を探しに森にゆきました。森の中でおばあさんは少女に鍋を与えました。この鍋は「おなべや、ぐつぐつ」といと黍のお粥をこしらえてくれます。「おなべや、おしまい」というとお粥は出なくなります。これで少女とお母さんはひもじいことはなくなりました。ある日少女のいないとき、お母さんは「おなべや、ぐつぐつ」といってお粥を作りましたが、お鍋を止める言葉を知りませんでしたので、お粥が街中にあふれ出したいうことです。
(つづく)