ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 宇沢弘文著 「ケインズ一般理論を読む」 岩波現代文庫

2013年03月17日 | 書評
市民に分かるようにケインズ「雇用・利子及び貨幣の一般理論」を解読する 第5回

第1講 「なぜ一般理論を読むか」
 
 第1回目の講義はケインズの一般理論の背景と「雇用・利子および貨幣の一般理論」の「はしがき」についてである。1946年4月21日にケインズが亡くなったが、ロンドンタイムズ紙は「アダム・スミスに相当する偉大な影響力を持つ経済学者」と誉め讃えた。ケインズの経済学は第2次世界大戦後の多くの国々における経済研究の主軸をなすとともに、経済政策策定のプロセスで重要な役割を果した。ケインズ経済学の理論的枠組みはいうまでもなく1936年の「一般理論」に表現されている。1961年アメリカのケネディ大統領は俊英の経済学者(アメリカ・ケインジアン)を次々と起用し、ケインズ的なマクロ経済政策を打ち出した。ときはインドシナ介入によってアメリカに混乱と大変動が起きようとする年であった。アメリカ・ケインジアンはヒックスの「IS・LM分析」あるいは「所得ー支出分析」といわれるマクロ経済学モデルをかかげ、計量経済モデルを理論的支柱として経済学の大きな潮流をなした。1960年代後半になってベトナム戦争によるアメリカ社会の亀裂と挫折が拡がる中で、ケインズを読む人はいなくなってしまった感があった。ヒックスの「IS・LM分析」とは、①IS曲線は財貨・サービスに対する総需要額は総供給額に等しいという財市場の均衡を意味し、②LM曲線とは貨幣保有に対する需要はその供給に等しいとする金融資産市場の均衡を意味した。このヒックスのケインズ解釈が古典的均衡分析の枠内の中で展開されている。ところがケインズの一般理論の出発点は市場の均衡とは「非自発的失業」の水準での「有効需要」であって、古典派が夢見ていた「完全雇用」は極めて特殊な場合で容易に実現するものではないことを示した。非自発的失業が一般的だとする。財政・金融政策の有効な作動を通して始めて有効需要が増加し、非自発的失業の改善に向かうというのがケインズ主義である。ヒックスが1974年に著わした「ケインズ経済学の危機」において、「IS・LM分析」は1930年代には妥当であったが、1970年代にはもはや通用しないと結論した。

 ケインズの「一般理論」が書かれた時代背景はいうまでもなく大恐慌である。正統派経済学(古典派)の理論は大恐慌を前に完全に破綻した。市場の自立的調整機能はあるのだろうか、神の手はあるのだろうか 「Oh My God!]である。ケインズが「一般理論」で目指したのは、雇用量、国民所得、物価水準等という経済変量がどのような要因によって決まってくるかを分析する理論的枠組みを作ることであった。要因としては消費性向(第3篇)、投資の限界効率(第4篇)、流動性選好(第5篇)の3つを考察した。そしてケインズは経済の主体を固定性の高い企業と家計の2つの部門に分けた。家計とは労働者と利子生活者である。投資と貯蓄は企業と家計の2つの主体で異なった形態と動機を持つ。金融資産市場の存在が企業を生産条件の固定性と資本・負債の流動性の2つに分裂させる。これが経済循環過程つまり投資期待というもうひとつの不安定性を生み出す。市場機構の迅速な運用によって容易に平衡になるのではなく逆に不安定性が増幅されるのである。そこで財貨・金融政策の弾力的運用が必要となる。これが経済政策におけるケインズ主義と呼ばれる考え方であった。1970年代のアメリカ経済の不均衡過程は加速し、ケインズ政策も対応できなくなり、反ケインズ主義(新古典派)経済学が大きく前面にでてきた。政治的には「小さな政府」をめざすサッチャー・レーガン主義という新自由主義が主流となった。新自由主義時代には、急速に萎縮する期待が不況を長引かせ、失業・貧困・格差が大きな社会問題となった。はたしてケインズの「一般理論」は「経済学の第2の危機」に対応できるのだろうか。宇沢氏は一般理論の基本的問題点を四つ挙げている。①ケインズが第1公準を認めることは、不完全競争市場で賃金決定が読めなくなることである。②長期利子率と短期利子率の関係が不明瞭である。③有効需要が雇用量ならびに国民所得が決まるというメカニズムが明らかではない。④資本蓄積の高度化による投資効率の低下は社会的資本を取り込んでいない。ケインズ「一般理論」のなかでケインズの古典派的考えからの脱却が不規則で難解な主張、矛盾した主張があって理解を困難にしている。それでもなケインズの「一般理論」の枠組みは経済変動の不均衡過程にアプローチする上で有力な武器を有しているようである。宇沢氏は今ほどケインズ経済学が必要とされるときはないと一般理論を読む意義を強調される。
(つづく)

読書ノート  アダム・スミス著 「国富論」 中公文庫

2013年03月17日 | 書評

古典経済学が説く社会的生産力の構造と近代自由主義 第56回 最終回

第5篇 国家の収入(財政策)
第3章 公債について

 文明国では商品が満ち溢れ、金が余ることはなくなった。政府としても通常の経費は収入を超え勝ちで蓄財の余地はなく、戦争となると借入金に頼らざるを得なくなった。平時に節約しておかなければ、平常の数倍の支出が必要な戦時には借金だけに頼らざるを得ない。スミスは政府の公債発行の原因を戦争経費捻出だけに求めているが、今の米国の一千兆円をこす膨大な国債発行、一千兆円にならんとする日本の国債発行の原因は何に求めるべきなのだろうか。米国は世界の覇者として戦争支出が原因だとしても頷けるが、日本は戦後70年近く戦争はしたことはないし、膨大な防衛費(軍事費)に苦しんでいるようには見えない。社会福祉負担のせいのようにいう人もいるが、それは原因ではなく結果に過ぎないようにも見える。そこでスミスの公債論を拝聴してみよう。スミスは本章を項に分けないで一気に書き下している。なぜ政府がいとも簡単に借金できるかというと、社会の富を生み出した商工業の発達が、同時に貸付能力と意思を持った商人や企業を生み出したからである。明治時代日本の富国強兵が道半ばにあるとき、日露戦争をする為の金がなくて日英同盟を頼って英国に借金をしたことは、当時の日本社会に貸付能力がなかったためであった。巨額の貨幣を政府に貸し付ける力を持つ一群の人々が大勢いることが必要条件であった。資本の投資先として「政府の正義」も対象となるのである。政府が発行する債務証書はそれよりも高い値段で市場で売れる。政府に金を貸しては金儲けが出来て、営業資本を増やすのである。新規国債の第1次募集には、際だった資産家(厚生年金、郵貯、健康保険、大手銀行や証券)は進んで起債に応じるものなのである。いつも国債は完売される。ギリシャ国債のような高い利子は必要ない、これは名誉であり恩恵なのだと感じるようだ。

 どの国も初めは特定財源を引き当てにすることなしに(個人信用で)借金を始めるが、後には財源引き当て(手形、国庫証券)で借りざるを得なくなる。ヨーロッパ諸国を破滅させる膨大な負債の累積してゆく過程はどこも同じである。英国は「流動債」(一時借入金)はいつも個人信用で借りてきた。特定の財源を引き当てる場合、短期の先借りか永久公債への借り換えによる方法があるが、先借りでも期間の延長が行われた。英国のウイリアム三世の時1697年「第1次総抵当または基金」を発行し、1711年までに第6次まで借り替えを行い、1715年「総合基金」、1717年「一般基金」と急場をしのぐため債務の借り換えを行なった。こうしていつの日にか公共の借金を誰か子孫が払ってくれることに望みを繋いできた。18世紀から市場利子率が下がったので更に借金がしやすくなり、「減債基金」が設けられた。20世紀末にリスクの分散化のための債券の証券化という手法が生み出され金融工学と呼ばれたが、この膨大な国債の先送り策に代わって、「国債工学」とかいう手法が生まれないものかという淡い希望を持つ。冗談はさて置き英国の国債の先送り策を見て行こう。国債の償還のために減償基金が設けられたはずなのに、これが新たな起債を生むという果てしない借金の連鎖にはまったようだ。先借りと永久公債への借り換えがそれである。その中間に有期年金による借り入れと終身年金による借り入れがある。公債とくに永久年金公債への借り換えの制度が出来ると、国民は戦争の負担に鈍感となり、政府も減債基金を濫用して臨時費(たとえば大震災復旧費)まで国債でまかなおうとした。政府と政治家は増税によって収入を増やす努力よりは借り入れ国債でやる方が国民の抵抗が少ないとみて、なんでも国債のほうへ流れやすいものだ。こうして英国の負債は1688年から1777年までに、2151万ポンドの公債が1億4000万ポンドに膨れ上がった。公債は資本だという考えは誤りで、戦争なんかに注ぎ込む資本は何の役にも立たないし富を生産するものでは決してない。公債は新たな資本ではなくある用途から引き上げて他の用途に振り向けられた資本に過ぎない。では戦争目的ではない公債発行(日本)は資本かというと、すでに40兆円程度の税収入の日本の富ですでに20年以上先の富を先食いしている状態は決して正常ではない。これでもってスミス先生の「国富論」の勉強は一応終了とするが、現在の経済の疑問が氷解したというより、更に疑問が広がったという感が強い。
(完)

文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年03月17日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第77回

* KHM 118  三人の軍医
三人の外科の軍医が旅をしていました。自分の腕に自信を持って、一人目の軍医は自分の手を切って、翌朝元通りにくっつけることが出来るといい、二人目の軍医は心臓、三人目は目玉を元通りにつけると豪語し、寝る前に手首と心臓と目玉を取り出し宿屋の亭主に戸棚に保管するように頼みました。夜遅く女中といい仲の兵隊さんがやって来て食事を始めました。女中は戸棚を開けて食べ物を出したのですが、占めるのを忘れた隙に飼い猫が手首と心臓と目玉をさらって逃げました。慌てた女中は兵隊と相談して、処刑された泥棒の死体から手を、猫から目を、豚から心臓を取ってきて戸棚にしまいました。翌朝三人の軍医は手術をして自分の体に接合しましたが、どうも様子がおかしいのです。一人の軍医はかってに手が動いて泥棒のまねをし、二人の軍医は目がみえなくなり、三人の軍医はくんくん鼻を鳴らしています。怒った軍医は宿屋の亭主に掛け合い、一生暮らしてゆける金を出させました。

* KHM 119  シュヴァーベン七人男
シュヴァーベンの勇ましい7人衆が手に武器を持って武者修行に出ました。一列に行進してゆくと、先ずカナブンが恐ろしい音を出して飛び回りました。これですっかりパニックに陥り腰を抜かしました。次は暗闇で兎の目を見て龍が来たものと思い必死の突撃を行ないましたが、相手が兎だと分かると拍子抜けです。そして最後は河を渡る際に先頭が泥に足を取られて沈没し、浮いた帽子の上でカエルが「ワト、ワト」と鳴いたので全員が続いて泥底に沈みました。全員がお陀仏しました。なんと臆病で間抜けな7人衆ですこと。子のお話の面白いところは、言葉の輪唱です。7人が続いて順々に掛け合う言葉がリズムとなっています。
(つづく)