市民に分かるようにケインズ「雇用・利子及び貨幣の一般理論」を解読する 第5回
第1講 「なぜ一般理論を読むか」
第1回目の講義はケインズの一般理論の背景と「雇用・利子および貨幣の一般理論」の「はしがき」についてである。1946年4月21日にケインズが亡くなったが、ロンドンタイムズ紙は「アダム・スミスに相当する偉大な影響力を持つ経済学者」と誉め讃えた。ケインズの経済学は第2次世界大戦後の多くの国々における経済研究の主軸をなすとともに、経済政策策定のプロセスで重要な役割を果した。ケインズ経済学の理論的枠組みはいうまでもなく1936年の「一般理論」に表現されている。1961年アメリカのケネディ大統領は俊英の経済学者(アメリカ・ケインジアン)を次々と起用し、ケインズ的なマクロ経済政策を打ち出した。ときはインドシナ介入によってアメリカに混乱と大変動が起きようとする年であった。アメリカ・ケインジアンはヒックスの「IS・LM分析」あるいは「所得ー支出分析」といわれるマクロ経済学モデルをかかげ、計量経済モデルを理論的支柱として経済学の大きな潮流をなした。1960年代後半になってベトナム戦争によるアメリカ社会の亀裂と挫折が拡がる中で、ケインズを読む人はいなくなってしまった感があった。ヒックスの「IS・LM分析」とは、①IS曲線は財貨・サービスに対する総需要額は総供給額に等しいという財市場の均衡を意味し、②LM曲線とは貨幣保有に対する需要はその供給に等しいとする金融資産市場の均衡を意味した。このヒックスのケインズ解釈が古典的均衡分析の枠内の中で展開されている。ところがケインズの一般理論の出発点は市場の均衡とは「非自発的失業」の水準での「有効需要」であって、古典派が夢見ていた「完全雇用」は極めて特殊な場合で容易に実現するものではないことを示した。非自発的失業が一般的だとする。財政・金融政策の有効な作動を通して始めて有効需要が増加し、非自発的失業の改善に向かうというのがケインズ主義である。ヒックスが1974年に著わした「ケインズ経済学の危機」において、「IS・LM分析」は1930年代には妥当であったが、1970年代にはもはや通用しないと結論した。
ケインズの「一般理論」が書かれた時代背景はいうまでもなく大恐慌である。正統派経済学(古典派)の理論は大恐慌を前に完全に破綻した。市場の自立的調整機能はあるのだろうか、神の手はあるのだろうか 「Oh My God!]である。ケインズが「一般理論」で目指したのは、雇用量、国民所得、物価水準等という経済変量がどのような要因によって決まってくるかを分析する理論的枠組みを作ることであった。要因としては消費性向(第3篇)、投資の限界効率(第4篇)、流動性選好(第5篇)の3つを考察した。そしてケインズは経済の主体を固定性の高い企業と家計の2つの部門に分けた。家計とは労働者と利子生活者である。投資と貯蓄は企業と家計の2つの主体で異なった形態と動機を持つ。金融資産市場の存在が企業を生産条件の固定性と資本・負債の流動性の2つに分裂させる。これが経済循環過程つまり投資期待というもうひとつの不安定性を生み出す。市場機構の迅速な運用によって容易に平衡になるのではなく逆に不安定性が増幅されるのである。そこで財貨・金融政策の弾力的運用が必要となる。これが経済政策におけるケインズ主義と呼ばれる考え方であった。1970年代のアメリカ経済の不均衡過程は加速し、ケインズ政策も対応できなくなり、反ケインズ主義(新古典派)経済学が大きく前面にでてきた。政治的には「小さな政府」をめざすサッチャー・レーガン主義という新自由主義が主流となった。新自由主義時代には、急速に萎縮する期待が不況を長引かせ、失業・貧困・格差が大きな社会問題となった。はたしてケインズの「一般理論」は「経済学の第2の危機」に対応できるのだろうか。宇沢氏は一般理論の基本的問題点を四つ挙げている。①ケインズが第1公準を認めることは、不完全競争市場で賃金決定が読めなくなることである。②長期利子率と短期利子率の関係が不明瞭である。③有効需要が雇用量ならびに国民所得が決まるというメカニズムが明らかではない。④資本蓄積の高度化による投資効率の低下は社会的資本を取り込んでいない。ケインズ「一般理論」のなかでケインズの古典派的考えからの脱却が不規則で難解な主張、矛盾した主張があって理解を困難にしている。それでもなケインズの「一般理論」の枠組みは経済変動の不均衡過程にアプローチする上で有力な武器を有しているようである。宇沢氏は今ほどケインズ経済学が必要とされるときはないと一般理論を読む意義を強調される。
(つづく)
第1講 「なぜ一般理論を読むか」
第1回目の講義はケインズの一般理論の背景と「雇用・利子および貨幣の一般理論」の「はしがき」についてである。1946年4月21日にケインズが亡くなったが、ロンドンタイムズ紙は「アダム・スミスに相当する偉大な影響力を持つ経済学者」と誉め讃えた。ケインズの経済学は第2次世界大戦後の多くの国々における経済研究の主軸をなすとともに、経済政策策定のプロセスで重要な役割を果した。ケインズ経済学の理論的枠組みはいうまでもなく1936年の「一般理論」に表現されている。1961年アメリカのケネディ大統領は俊英の経済学者(アメリカ・ケインジアン)を次々と起用し、ケインズ的なマクロ経済政策を打ち出した。ときはインドシナ介入によってアメリカに混乱と大変動が起きようとする年であった。アメリカ・ケインジアンはヒックスの「IS・LM分析」あるいは「所得ー支出分析」といわれるマクロ経済学モデルをかかげ、計量経済モデルを理論的支柱として経済学の大きな潮流をなした。1960年代後半になってベトナム戦争によるアメリカ社会の亀裂と挫折が拡がる中で、ケインズを読む人はいなくなってしまった感があった。ヒックスの「IS・LM分析」とは、①IS曲線は財貨・サービスに対する総需要額は総供給額に等しいという財市場の均衡を意味し、②LM曲線とは貨幣保有に対する需要はその供給に等しいとする金融資産市場の均衡を意味した。このヒックスのケインズ解釈が古典的均衡分析の枠内の中で展開されている。ところがケインズの一般理論の出発点は市場の均衡とは「非自発的失業」の水準での「有効需要」であって、古典派が夢見ていた「完全雇用」は極めて特殊な場合で容易に実現するものではないことを示した。非自発的失業が一般的だとする。財政・金融政策の有効な作動を通して始めて有効需要が増加し、非自発的失業の改善に向かうというのがケインズ主義である。ヒックスが1974年に著わした「ケインズ経済学の危機」において、「IS・LM分析」は1930年代には妥当であったが、1970年代にはもはや通用しないと結論した。
ケインズの「一般理論」が書かれた時代背景はいうまでもなく大恐慌である。正統派経済学(古典派)の理論は大恐慌を前に完全に破綻した。市場の自立的調整機能はあるのだろうか、神の手はあるのだろうか 「Oh My God!]である。ケインズが「一般理論」で目指したのは、雇用量、国民所得、物価水準等という経済変量がどのような要因によって決まってくるかを分析する理論的枠組みを作ることであった。要因としては消費性向(第3篇)、投資の限界効率(第4篇)、流動性選好(第5篇)の3つを考察した。そしてケインズは経済の主体を固定性の高い企業と家計の2つの部門に分けた。家計とは労働者と利子生活者である。投資と貯蓄は企業と家計の2つの主体で異なった形態と動機を持つ。金融資産市場の存在が企業を生産条件の固定性と資本・負債の流動性の2つに分裂させる。これが経済循環過程つまり投資期待というもうひとつの不安定性を生み出す。市場機構の迅速な運用によって容易に平衡になるのではなく逆に不安定性が増幅されるのである。そこで財貨・金融政策の弾力的運用が必要となる。これが経済政策におけるケインズ主義と呼ばれる考え方であった。1970年代のアメリカ経済の不均衡過程は加速し、ケインズ政策も対応できなくなり、反ケインズ主義(新古典派)経済学が大きく前面にでてきた。政治的には「小さな政府」をめざすサッチャー・レーガン主義という新自由主義が主流となった。新自由主義時代には、急速に萎縮する期待が不況を長引かせ、失業・貧困・格差が大きな社会問題となった。はたしてケインズの「一般理論」は「経済学の第2の危機」に対応できるのだろうか。宇沢氏は一般理論の基本的問題点を四つ挙げている。①ケインズが第1公準を認めることは、不完全競争市場で賃金決定が読めなくなることである。②長期利子率と短期利子率の関係が不明瞭である。③有効需要が雇用量ならびに国民所得が決まるというメカニズムが明らかではない。④資本蓄積の高度化による投資効率の低下は社会的資本を取り込んでいない。ケインズ「一般理論」のなかでケインズの古典派的考えからの脱却が不規則で難解な主張、矛盾した主張があって理解を困難にしている。それでもなケインズの「一般理論」の枠組みは経済変動の不均衡過程にアプローチする上で有力な武器を有しているようである。宇沢氏は今ほどケインズ経済学が必要とされるときはないと一般理論を読む意義を強調される。
(つづく)