このところ、いわゆる「新自由主義」的な発想で行われる地方自治体の行財政改革のなかで、どのようにして教育や福祉などの子ども施策を守る取り組みを行っていくのか、ということに、私は関心をもち続けてきました。
あるいは、経済的な格差(露骨に言えば「社会的不平等」)が拡大しつつある最近の社会情勢のなかで、このところ、「財政再建」等を理由に地方自治体が行財政改革を進め、子どもや子育て中の家庭に対するさまざまな行政施策によるセーフティネットをはずそうとしているわけですが、このような状況に対して、どのような「適応」と「抵抗」のかたちがあるのか。そういうことに関心をもち続けてきた、といってよいでしょう。
ちなみに、ここで「適応」と「抵抗」というのには理由があって、はっきりいってよくない情勢ではありますが、この情勢のどこかに自分たちがまず根付き、その取り組みをしっかりと位置付けなければ(=すなわち「適応」しなければ)、次々に子ども施策などが打ち切られていくスピードに飲み込まれ、自分たちが先につぶれてしまいかねないということ。しかし同時に、いつまでもその情勢を前に何もしないでいると、ますます、今後の子ども施策や、さらには子どもや子育て中の家庭の生活が悪くなる。だから、何らかの形で「抵抗」して、この情勢を少しずついい方向にずらしていく必要がある。そんな風に思ったからです。
そういう関心をもち続けるなかで、最近、「この情勢への『適応』と『抵抗』のかたちには、大きく3つくらいの筋道があるのかな?」と思えてきました。それはだいたい、次のとおりです。
1つめの筋道。予算の枠は狭まったり、経済的支援の方法は変更されたりしていても、まだ何らかの形で地方自治体の子ども施策の枠内で、子どもや子育て中の家庭へのセーフティネットが張られている部分があるから、そこを有効活用する。あるいは、別の目的でおりてくる予算や施策をうまく活用して、子どもや子育て中の家庭に必要な取り組みに現場レベルで作り変えてしまう、というもの。例えば、各校区に「学力向上」という目的でついた予算を、「学力向上のためにこそ、子どもたちが放課後に集まって、自主的に勉強する場を地域社会につくる必要がある」とか、「生活習慣の乱れをおさえて、学習習慣の形成を目指す」いう理由をつけて、その予算の目的に合致する範囲で、子どもの居場所づくりとそこでの指導ボランティアの活動費につかうとか。あるいは、現場にいる指導者のアイデアで、今、小学校の余裕教室などを使って行われている放課後の子どもたちの活動を工夫していくとか。
2つめの筋道。これからの行政施策は「あてにならない」とわりきって、例えば自分たちで何か、必要な取り組みを組織してしまうとか、お互いにお互いを支えあうネットワークを形成してしまう。例えば、子どもの体験活動や子育てを支援するNPO団体を立ち上げてみたり、そのNPO団体に企業からの助成金をとってくるとか。あるいは、自分たちで何か商売をはじめて、その収益を子どもの活動に役立てるとか。はてまた、「生活協同組合」とか「互助会」のような組織をつくってしまうとか。青館条例廃止後の大阪市内各地区で、例えば学童保育や学習の遅れのある子どもへの補習教室のようなことを、保護者と地元住民が主体となった教育NPOのようなかたちではじめるのも、こうした取り組みのひとつになるでしょう。
3つめの筋道。あらためて、子どもや子育て中の家庭に必要なセーフティネットのあり方を構想し、それを施策として実施するよう、要求運動を組織して地方自治体行政にもとめていく。あるいは、今、まさに廃止されたり、縮小されようとしている施策に対して、その動向に対する反対運動を組織して、地方自治体行政に働きかける。例えば、大阪市内で今、すすめられようとしているもと青少年会館・人権文化センター・高齢者施設の3施設統廃合反対の取り組みは、この3つめの筋道での取り組みになるでしょう。あるいは、青館条例廃止後の大阪市内の各地区に研究者が入り込んで実態調査を行い、地元住民や保護者などとともに、今後必要と思われる子ども施策のあり方などを議論して、政策提言にまとめていく。これも、3つめの筋道での取り組みですね。
この3つの取り組みは、お互いにお互いを否定するものではありません。むしろ、たとえば今ある子ども施策の有効活用や、教育NPOへの支援施策の充実について、実態調査をふまえて提案するとか。あるいは、自前の教育NPOでとりくめない範囲については、行政施策の充実を求めていくとか。はてまた、既存の子ども関連の行政施策の一部を教育NPOが担うとか。こんなかたちで、お互いにお互いをリンクさせながら、相乗効果を発揮するように取り組みを行うことも可能です。
ただ、この3つの筋道のいずれも、その取り組みの「担い手」をどう見つけ、育てていくかが重要です。「担い手」がいなければ、どの筋道もはじまりませんし、その「担い手」がどのような問題意識に沿って、何を、どう展開するかによって、「適応」と「抵抗」のかたちは変わってきます。
個人的には、この情勢への「適応」ばかりを優先する「担い手」では、「先細り」になるのではないかという危惧があります。とりわけ、1つめの筋道での取り組みについては、行財政改革の進展によって、子どもや子育て中家庭に対するセーフティネットそのものが縮小されようとする情勢なのですから、その「先細り」する施策に「適応」すること最優先の対応では、現状維持は努力しだいで可能であっても、「その先」は見えてきません。だから、1つめの筋道での取り組みの拡大と、それにふさわしい「担い手」の養成からは、あまり明るい展望が開けてこないだろうな、と私は思います。
そうなると、1つめの筋道の拡大よりも、2つめの筋道や3つめの筋道からの取り組みを拡大していくことと、それにふさわしい「担い手」の養成を行うことが必要になってきます。しかし、これもいきなり、「無から有を生み出す」ことはむずかしいでしょう。今ある施策を有効活用する(=1つめの筋道)なかで、2つめの筋道や3つめの筋道からの取り組みを担いうる人材を養成するとか。あるいは、既存の社会運動のなかで形成された人的ネットワークだとか、活動のノウハウなどの「良質の資源」を有効活用して、そこで新たな人を育てて、新たな情勢に適応できるような社会運動に組みなおすとか。そんな取り組みが必要不可欠ではないかな、という気がします。
いずれにせよ、今こそ、ほんとうに子どもや子育て中家庭へのセーフティネットの充実だとか、地方自治体レベルでの子ども施策の充実を目指す取り組みが必要なのであれば、そのことに取り組みうる「担い手」の養成が必要不可欠です。子どもの人権関係の運動や、解放運動などが、自分たちの運動の「担い手」養成の課題にどれだけ真剣に取り組むか。そこがますます、重要になってきているように思います。
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