社説 大津のいじめと自殺 因果関係を明確に認めた 毎日新聞2019年2月20日 東京朝刊
昨日からこの大津のいじめ事件の判決に対して、「きっと私だけが感じているであろう【もやもや感】」。それを記しておきます。
まあ、新聞報道などを通じて、ご遺族やその支援者、弁護士や(教育)法学関係者が「画期的だ」とか高く評価されるのは、それはそれで理解可能だ、という前提ででてくることなんですけどね。なので、「きっと私だけが感じているであろう【もやもや感】」なんですが。
さて、私の見たところ、今回のこの判決がでてきた背景には、次のようなプロセスがあってのことと思われます。私の『新しい学校事故・事件学』を読まれた方は、「ハの字図」と「AB図」を思い浮かべながら、以下の文章を読んでください。
A:自殺の背景調査の指針にもとづいて、学校がアンケート等々の初期調査を行い、その時点で開示できるものは一定、遺族にも開示していたこと(=だからこそ、遺族は民事訴訟を提起して、そこで「蜂を食べさせられようとしていた」等々の周囲の子どもたちの証言を裁判所に出すことができた)。
B:民事訴訟の段階でAの内容が明らかになり、マスコミ報道で大騒ぎになった。その結果、市長があらためて調査委員会を立ち上げ、詳しい事実関係や背景要因等を調べて、2013年の1月末には報告書をまとめて提出した(=だからこそ、大津市側は早々とその結果を重く受け止め、遺族側との和解に応じた)。
C:Bまでの経過があるがゆえに、民事訴訟の場で最後まで問題として残ったのは、なかなか事実関係や因果関係を認めない加害生徒とその保護者への対応だけになった。つまり、民事訴訟での論点は、被告側の主張をどう扱うかという点に絞られてきた。
D:でも、原告たる遺族の側からA・Bの経過をふまえて出されたさまざまな証拠等々を、被告側からいっぺんに覆すような対応は、おそらく困難であったと思われる。
E:とすれば、裁判所としても「原告勝訴」という判決を出しやすかった、ということになる。
ざっと、こういうプロセスあっての「原告勝訴」なんですよね。少なくとも、私にはそのように見えます。
ですが・・・。およそこれまでの学校事故・事件訴訟、特に「いじめ」に関する訴訟では、このAやBに相当する段階に、さまざまな妨害が入ったり、事実の隠蔽が行われたりしてきた。なので、「原告たる遺族自身が、支援者とともに、一からこのA・Bに相当する作業をやらざるをえなかった」のが実情だったわけです。当然、そうなると、大津のこのケースに匹敵するくらいの情報は、原告側には集まらないわけで…。そこで、圧倒的に原告不利な状況のまま民事訴訟が営まれ、判決でなかなか原告側の訴える事実経過や因果関係が認められないという傾向が続いてきた、という次第かと思います。
なので…。この判決が「画期的」という評価のウラに、「実はこれまでのいじめ訴訟は、原告たる遺族に何も事実関係等が知らされないまま、きわめてアンフェアなかたちで訴訟が行われてきたのではないか?」という疑問があってしかるべきなんですよね。そういう論点って、まだ昨日、今日の新聞報道での識者コメントにはでていないですよね?
と同時に、「今後もAやBの段階への対応、つまり初期調査や調査委員会への対応をきっちりしておかないと、遺族やその支援者を中心とした当事者サイド、せっかくいい判決がでても、何かと足元からひっくり返されますよ」ということも私、思ってしまうわけです。
ということで…。「今回の判決を今後に活かして」と思えば思うほど、「学校側に主体的に初期調査を行い事実を公表できるような、そんなセンスとスキルを磨くこと」「調査委員会の実務担当者のセンスとスキルを向上させること」だとしか思えない私がいます。ここ、ほんと早急にテコ入れして、少なくとも大津のレベルにまでもっていかないと、他で同じようにいくかどうか・・・というところでしょうか。
あと、「首長や政治家のクリンチ作戦」も、今後は要注意です。本来はいじめが起きた公立学校の劣悪な条件整備だとか、事後対応がうまくできない教育行政をつくってきた責任の一端は、首長や地方政界・国政の政治家の側にもあるはずです。でも、そこが十分に問われることもないまま、気付けば首長や政治家が遺族の訴えに飛びつき、学校や教育行政を責める側にまわる。そうやって自分が問われないようにする。そういう恐れも「無きにしも非ず」ですね。すでに橋下徹という体罰肯定論者が、当時の大阪市長として、桜宮高校事件のときに、これ、やりましたから。
ということで、きっと私だけしか感じていないであろう、この判決に対する【もやもや感】を、今の時点で表明しておきますね。