できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

あまり「効き目」がない従来の対応??

2016-04-27 23:25:14 | 受験・学校

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-wst1604270058.html

女子ソフト部員9人に「指導」称し暴力…大阪市立中教諭を停職3カ月(産経新聞 gooニュース 2016年4月27日)

 桜宮の事件が起きて、一応、教育行政としてこうした学校での「暴力的」指導に厳しい対応で臨むとしてきた、大阪市内でこういう事例が出るということは・・・。

重大事件が起きたときに、教育行政に「制度的なもの」を作らせ、「形だけ」学校現場を「指導」することで「よし」とするとか、あるいはそれですぐに「納得」してきたような、そういう手法ではやはり「効き目が薄い」ということですね(前々から私はそう思い続けてきましたが・・・)。

やはり個々の学校現場の状況に立ち入り、ひとりひとりの実践感覚の次元にまでおりていって、「どこで、どのように子どもへの理解がまちがっているのか」とか、「その誤りに対して、どのような別の対応方法があるのか」といったことにまで、きっちり話をつけていく作業が必要かと。

要するに、我が身を安全地帯において、上からの「ことば」や「文書」だけでどうにかしようという路線。

つまり「空中戦」や「空爆」ばかりしていても「効き目が薄い」。

やはり現場に足を運んで、実際に弾の飛んでくるところに身を置きつつ、一方で必要な人たちに必要な範囲でさまざまな援助・支援を行いつつ、他方で「これはあかんやろ~。もっとちがうことやらんと!」という。

そういう「地上戦」と「人道的支援」の路線が他方になければ、ほんとうのところで「現場は変わらない」ということかと。

そして、私はもうそろそろ、この本格的な「地上戦」や「人道的支援」の路線での仕事に「専念」したいんだけどなあ・・・。

ついでにいうと、この「地上戦」や「人道的支援」の路線の現場こそ、本来、教育学系で子どもの人権論の扱える人が最も動かなきゃいけない領域かと。

だからこそ、私は川西オンブズやめたあとも、絶対に「教育学系」の研究や実践を捨てたくない、それを捨てたら子どもの人権論もダメになるって思い続けて、もう15年目ですわ。

※上記の文章は今日、フェイスブックに書き込んだ内容を転載したものです。



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