昨日、大学での仕事のために午後から出勤したら、次の本が著者から届いていました。
森俊一『ファウストの系譜 魂を売った教師たち』(文芸社、2011年)
まだ出たばかりの本なので、これから書店にならぶのだろうと思います。お急ぎの方は、AMAZONでは注文できるようなので、そちらで入手されることをお勧めします。
さて、この本ですが、著者の森さんとは、全国学校事故・事件を語る会が毎年6月ごろに行っている大集会(全国集会)で、何度かお目にかかったことがあります。フリーのジャーナリストの方で、精力的にこの何年か、学校事故・事件の被害者・遺族の方の取材を続けて来られた方です。ようやくその取材の成果を本にすることができたのだなぁ・・・・と、私もうれしく思いました。後日、森さんにはお礼の手紙を書こうと思っています。
このような著者・森さんと私との関係からもわかるように、この本は学校事故・事件の被害者・遺族の方の取材にもとづいて、事故・事件発生時の学校側の対応の問題点を鋭く指摘・告発する本です。特にこの本は、子どもの自殺事案発生時の私立学校の対応を取り上げた2つの章と、柔道部の練習中の事故発生時の公立学校の対応を取り上げた1つの章で構成されています。
どの章の内容からも浮かび上がってくるのは、被害者・遺族側の「経過を知りたい」という願いや申し出に対して、その願いをはぐらかしたり、事実を隠そうとしたり、当初の発言をひるがえして別のことを言ったりするような、そんな学校(教師)側の対応です。なかには、たとえば学校(教師)側が遺族に対して主張していたことが二転三転したり、遺族との面談を拒否したり、うそをつこうとしたり・・・・というような、そんな場面も描かれています。
この本で取り上げられているのはたった3件のケースですが、子どもの自殺のケースを含む学校事故・事件では、私の知る限り、学校(教師)側から、この本の3件のケースとよく似たような対応が繰り返し出てきているように思います。そして、私の身近なところにいる方を見る限り、そのような学校(教師)側の対応に触れることで、被害者・遺族側にさらなる苦痛を負わせ、心身の被害の回復を遅らせたり、こじらせたりしているように思えることすらしばしば見受けられます。
さらに、この本では、私立学校で学校事故・事件が生じたときに、被害者・遺族が直面したときの諸問題にも触れられています。すなわち、その私立学校が「進学実績」を上げることで評判を高めようとしている学校であれば、その実績を上げる裏で、生徒たちのさまざまな問題について、校内で「隠される」ことも多々あること。あるいは、そのような学校では、たとえば「成績をあげること」「進学実績をあげること」に教師たちの関心が集中する分、それ以外の面での生徒たちへの働きかけがおろそかになったり、心身に何か悩みのある生徒への細やかな配慮ができなくなっている面もあること。そして、そのような学校の経営者や管理職が強い権限を行使して、ひとりひとりの教師たちに「ものが言えない」雰囲気を作り出していること。こうしたことが日ごろからその学校の雰囲気を歪んだものにしていて、そのなかで学校事故・事件が起きたときに、被害者・遺族側にさらなる追い討ちをかけるような対応を生み出している・・・・。こんなことを、この本から読み取ることができました。
先日もこのブログで、「子どもを見るときの観点の問題」というタイトルで、私はテストの点数のような「目に見えること」にのみこだわる教育のあり方に違和感を抱いていることを書きました。その違和感の源は、きっと、こうした学校事故・事件の問題に触れるなかで作られているのだろうな、と思います。また、私は「公立学校は私立学校を見習え」式の教育論にも違和感を抱くのですが、その違和感の源にも、きっと、学校事故・事件発生時の対応に現れるものがあるのだろうな、と思っています。
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