昨日あたりから大きな騒ぎになっている新型インフルエンザ。大阪市内の学校園・保育所ももちろん、臨時休校(園・所)になっていることと思うし、大阪府内も同様の対応がとられていると思う。
ただ気になるのは、こういうときに例えば放課後いきいき事業に通っていた小学生だとか、あるいは、今までだと青少年会館での学童保育的事業に通っていた子どもたちが、自宅待機させられるなかで、どんな風にすごしているのかということ。また、保育所や幼稚園に子どもを通わせていた保護者たちも、どんな風に過ごすのだろうか? 感染拡大防止という理由はよくわかるのだけど、子どもや保護者たちの生活がこの臨時休校(園・所)でどうなったのか、たいへん気がかりなところである。
さて、昨日、このブログで書きかけたのだが、なぜかパソコンの不具合で消えてしまったことを、あらためてここで書いておきたい。
先日、このブログでは、最近の解放運動関係の雑誌に掲載された論文や記事などを手がかりにして、いくつか、今の解放教育・人権教育に関する議論の位置付けについて、私なりの問題意識(というか、気がかりなこと)を示しておいた。
そのこととも関わるのだが、今後、しばらくの間は、「古い解放教育系の文献」を読み直してみて、今の解放教育や人権教育に関する議論のあり方について、私なりの問題意識(というか、今度も気がかりなこと)を示そうと思う。
例えば、これは昨日も書いたのだが、今、私の手元には1977年に明治図書から出版された『講座解放教育1 解放運動と解放教育』という本がある。これは「講座」と名がつくとおり、5巻のシリーズ本。5冊をひととおり読めば、1970年代後半の時点での解放教育の理論や政策提案、実践論などの概要がわかることになる。
この1巻目が『講座解放教育1 解放運動と解放教育』なのだが、目次を見たらすぐにわかるのが、第一部~第四部とあるなかの第二部が「解放を目指す子どもの自主的活動」で、このなかにある4つの章が、例えば解放子ども会や高校生の活動など、解放運動と子どもたちの自主的活動の関係についての話を扱っているのである。まぁ、この話も昨日、このブログで書いたことに重複するが・・・・。
むしろ、この本では、例えば教育内容のことなど、学校における解放教育の話は、解放子ども会などの取り組みと比べると、まだまだ比重が小さい。あるいは、この本に即していえば、学校の教育内容のことよりは、例えば長欠・不就学問題や教科書無償、教育権保障のあり方や学校の教育条件整備の問題、解放保育、学校外の子ども会活動、解放学級を通じた成人の学習(ここには識字も含まれる)といった課題について、いろんな切り口から議論を試みていたといってよい。
いわば、この本から見えてくるのは、少なくとも1970年代の解放教育にとっては、子どもの時期からはじまる地域社会における学習活動、自主的な活動は、成人になってから後も解放運動との関係で続けられるべき、重要な取り組みであった、ということである。あるいは、少なくとも1970年代の議論においては、学校教育と並び立つ「もうひとつの柱」として、社会教育における解放教育の取り組みが位置づいていた、ということになる。
実は、大阪府内や大阪市内の青少年会館事業や、あるいは解放子ども会の取り組みというのは、こうした当時、解放運動の側から提起された教育計画の中身と密接な関係にあったのではないだろうか。そのことを、今の解放教育や人権教育の関係者が、どれだけ意識できているのだろうか・・・・。このことを意識できているかどうかで、この何年かの「施策見直し」の動向だとか、大阪市内の青館条例廃止などの動きに対して、少なくとも研究者が立つべきスタンスが決まってくると思うのだが・・・・。
学校教育と並び立つ「もうひとつの柱」としての社会教育、その重要な取り組みが子どもの時期からはじまるということ・・・・。そのことの意義を、もう一度、解放教育に関する古い文献を読み直す作業のなかから、今後は拾い上げていきたい。
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