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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

雑誌を読んでいて気づいたこと(その1)

2009-05-04 13:30:38 | 受験・学校

このブログなのですが、前回の更新からかなり時間がたってしまいました。新しい年度に入り、公私共に多忙で、なかなか、思うように記事を書く時間が取れなかったのが理由です。たいへん申し訳ありません。ですが、このブログを辞めようという気持ちはさらさらありませんし、発信したいメッセージは多々ありますので、どうぞご安心ください。(ただ、今回のように「まとまって文章を書く」ということが、今後は多々増えてくるだろうな・・・・とは思いますが、その点はどうぞご理解ください。)

さて、この連休を利用して、あるゼミの卒業生に会うことと自分の電車好きをかねて、西宮~名古屋間を阪神電車・近鉄電車で往復する(しかも、運賃以外に特急料金のかかる近鉄特急を使わず)ということをやってみました。往復で9時間もあれば、いろんな本や雑誌が読める・・・・ということで、雑誌『解放』の610号(増刊号)「解放研究第42回全国集会報告書」と、608号(増刊号)「解放・人権入門2009」を読んでみたのです。なにしろ、こういう時間を意図的につくらないと、いろんな雑誌をまとめて「読む」という機会もできないので・・・・。

久々に雑誌をまとめて読む時間をつくって、この2冊を読み、気づいたことがいくつかあります。それは、解放運動に関わる最近の研究や議論のなかで、「学校教育」に関するものの部分が、どうも他の諸領域で取り組まれていることと、方向性や取り組みの部分で、だんだん「ズレ」はじめているのではないか・・・・ということでです。それは前々から私はいろんな部分で感じていたのですが、今回、この2冊の雑誌を読んでいて、あらためてそのことに気づかされような次第です。

そこで、この連休を利用して、2冊の雑誌を読んでいて気づいたことを、何点かにまとめて語ってみます。今回はその一点目です。

まず、貧困、あるいは経済的な不平等(いわゆる「格差」というもの)の拡大に対して、解放運動に関わる最近の議論や研究でも、「社会的なセーフティネットの形成」ということに力を入れようとする傾向が、だんだん、具体的になってきています。その傾向をより強める必要性があることは私も全く同感で、「どんどん、やってください!」という風に思います。

また、実際に610号で掲載された「入門・時事」の分科会での報告「子どもの貧困とライフチャンスの不平等」(小西祐馬さん:長崎大学)や、特別報告「学力形成の社会的メカニズム」(耳塚寛明さん:お茶の水女子大学)などでも、こうした「子ども・若者の社会的なセーフティネットの形成」や、社会的に不利な状況にある家庭への支援といった課題が意識されているように思いました。

そして今は、「子どもや若者の社会的なセーフティネットの形成」という観点から、国や地方自治体のレベルで、あるいは民間団体なども巻き込んだレベルで、教育や福祉といった従来の行政施策の枠組みを越えた議論が必要な時期が来ているように思いますし、そんなことも書けるチャンスがあれば、できるだけ私、論文などで書いてきました。

ちなみに、私が今、教育と福祉の連携の試みとしての学校ソーシャルワーク(SSW)に注目するのもそういういきさつがあってのことです。また、貧困や差別、家庭環境の崩壊などの課題に直面する子ども・若者に対する社会的(公的)支援の試みとして、大阪府内や大阪市内での青少年会館の取り組みに注目してきたこと、さらに、その青少年会館の「前史」としての解放子ども会の取り組みに注目しているのも、こうした最近の社会情勢とも関連しています。

さて、そういう私だから感じるのかもしれませんが、610号を読んでいて、ふと思ったことがあります。それは、本当は「社会保障・福祉」の分科会で報告された「母子世帯の自立支援・就労の課題」というのは、母親側だけでなく、子ども側にも焦点を合わせた場合、「教育」の分科会でも話し合われなければいけない課題なのではないか、ということです。

なにしろ、「社会保障・福祉」の分科会では、母子世帯の子育て上の課題として、「教育面については、機会の平等が保障されていない。生活の不安定さが子どもの勉強にも表れている。今回の調査でも、学習塾への通塾は大きな差があった。教育費がかけられない。進学期待も低い。小学校段階ではまだ『大学まで行かせたい』が三割ほどあるが、中学校段階では10ポイントほど減っている。実際に、子どもの最終学歴でも大きな格差が認められた」(610号、p.222)と報告されているわけです。

このような課題は、「社会保障・福祉」の分科会とともに「学校教育」の分科会でも議論をして、教育・福祉の両面にまたがる複合的な施策や実践としてとりくまなければならない課題ではないのでしょうか? どう読んでも、上の引用の部分で指摘されていることは、子どもの教育の課題と、母子家庭支援という社会保障・福祉の課題の「重なり」の話です。

私は決して、610号の「学校教育」の分科会でとり上げられていた「力のある学校」研究がいらないとも思わないですし(むしろ、こうした生活困難層の家庭の子どもを支える学校の研究としては、貴重なものだと思っている)、学校や家庭・地域社会の連携の取り組みや、そのなかでの「学力」向上策の検討も、不要だという気はありません。そして、「学校教育」の領域で何か、今の子どもたちが抱えている諸課題に対して、積極的に働き掛けていくことの必要性や、それによって何かが変わりうる可能性についても、期待している者のひとりです。

でも、そもそも「学校教育」の領域で自分たちが日々、出会っている子どもや若者たち。特に、何らかの生活困難な課題を示す子どもや若者たちが、いったい、どのような社会情勢のなかで生み出されているのか。また、どのような社会情勢に直面し、学校卒業後、そこへ送り出されていくのか・・・・。今は、こういった「学校教育」の領域での取り組みの「前提」にある社会情勢について、きちんとした議論をして、「社会保障・福祉」の領域での取り組みとの相互関係などを、きちんと確認していく必要があるのではないでしょうか。でなければ、「学校教育」での取り組みが、「社会保障・福祉」などの他領域での取り組みとつながって、相乗効果を発揮するのではなく、他領域と切れた、閉じられた営みになってしまうような気がするのです。

これがまず、2つの雑誌を読んでいて、気づいたことの1点目です。他にもいろいろあるのですが、あす以降も引き続き、書いていこうと思います。今日はまず、このあたりで失礼します。

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