魚沼育ちの私は、18歳で東京に出て、19歳からキャバレーのバンドマンとして毎夜ステージで演奏してました。
その後、米軍基地内のクラブで、コンボバンドのメンバーとなり、ショービジネスの本場を体験しました。
そして、グループサウンズ時代には、全国を回り演奏しました。
ところが、カラオケブームがあって、バンドマンのほとんどが失業しました。
そこから、作曲や音楽理論の勉強が始まり、楽器つくりの道が開けたと思います。
今後は、世代を越えて弾いて頂ける、小さなハープ、リラハープを後世に残せるよう精進します。