ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

望郷

2014年06月27日 | 読みました

        「ユリ」 憎たらしいぐらい 大きいのです        (14―6―25)


唱歌の学校に行きました。来年のコンサートは「第九」なんですが、音程が高
い! 「無理だと思えば、アルトに替わってもいいですよ、その代わり「ドナウ」
もアルトを覚えてね」そんなの無理ですよ、だから「ソプラノ」に居座ることにし
ます。

この頃「和菓子」を食べていないので、西宮・阪神で買って来ました。そのほかに
、私の好きな「オカキ」「クッキー」朝のヨウグルトにかける「蜂蜜」等々、ウン
コラウンコラと抱えてのお買い物です。消費税3パーセント値上がりしたことなど、
すっかい忘れています。


       望郷     湊 かなえ

「望郷」という一つのテーマですが、6つの異なったお話が載っています。

「白綱島」という小さな島に生まれ、または生まれた人と結婚し、島にいた時代
の一片を、島を懐かしみながら書いたお話。といえばいいでしょうか。

その中でなるほど、そんなものかと思ったこと。

石の十字架

家の都合で、島の祖母に預けられた志穂は家庭の事情から新しい服を買って
もらえないので、これまで持っていた高級ブランドの服を着て登校しなければな
らない。生意気と思われるか、うらやましがられるかと思ったが、そうではなか
った。ブランド品は興味のある人にしか価値はわからない。島の女の子の憧れ
は、手に届く範囲の素敵なもので、それを持っていることが自慢なのだ。

島の人、特に子供からは、田舎に住んでいる、引け目など感じられなかった。
あんな所、と感じるのは外側の人であって、そこしか知らないものは。自分た
ちが田舎に住んでいるとか、不便な所に住んでいるという自覚はない。都会と
いうのは、島の外ではなく、島内の大手スーパーがある町のことだ。

関西弁を馬鹿にされた。方言が無い事はないが、自分たちが標準語を使って
いると思い込んでいる子がほとんどだった。

言葉は知らないうちにナイフになる、ってことはわかっているのに。どの言葉
がナイフになって、どの言葉がならないのか、区別することはできなかった。
これは大人になった今でも出来ない。

夢の国

夢都子(むつこ)と名づけられた、女の子が主人公。厳格な祖母に逆らうこと
が出来なかった父母に「東京ドリームランド」に連れて行ってもらえなかった。

結婚して奈波(ななみ)という女の子が生まれ、ディズニーランドにやってき
た。そしておさなかった頃の自分、白網島を思い出す。

ディズニーランドにくるチャンスは叶わなかったが2度あった。東京から遠く離
れた小さな島であったが夢の国の存在は知っていた。年末の商店街の福引
の特賞は東京デュリームランドのペア券だった。母が、其の特賞を当てたが、
受け取らなかった。祖母に遠慮してである。

高校の修学旅行が東京だったが、夢都子の年から、信州にスキーに変更に
なってしまった。

そして、自分が人のこの親になって、初めて、ディズニーランドにいき、子供
の頃を思い出したというお話。

何時のころからか修学旅行は、ディズニーランドや、其の系統の遊び施設に
行くようになりました。その理由が「家から連れて行ってもらえない子が可哀
相だから」だそうですが、このお話のように、行きたければ、大人になってい
けばいいことではないかしら、何もかも「全て平等」というのは返ってヘンだ
と思うのですが。

大人社会に出れば、「全て平等」なんてありえない。しかし「努力」で勝ち取る
部分もある。そんなことは小さいときから教えたほうがいいと思いますが…。

そういうところより「原爆記念館」とか「靖国神社の遊就館」とか、今の自分
があるのは、其の時代を経ているからという「歴史」を知らせるほうがいいと
思います。

ただ、よその国にまで行って、「ウソの塊の歴史」を見せるのは如何なものでし
ょうか?




コメント
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