「アマリリス」 西宮の町角 (14―5―23)
今日は梅雨らしい一日でした。雨が降ったり止んだり、激しくは降りませんでし
たが、其の合間を縫って、花の手入れをしました。
色んな種類のユリがさいています。花粉がつくと取れないので、こぼれる前にと、
切って活けるのですが、なんだか、気の抜けたような花姿になって、可哀相な気
がして、切花にしないで、庭に置いたまま、見ることにしています。
流星ひとつ 沢木 耕太郎
始めてみる形式(会話体)の本です。藤圭子さんと沢木さんの対談をそのまま
載せたという感じです。状況を表す、ト書きというのかしら、は一切なく、会話だ
けで綴られています。4時間の会話を本にしたそうです。
しかし、色んな事情を考えて、出版せず。1冊だけ作って、藤圭子さんに送り、
塩漬けされていたそうです。
娘の宇多田ヒカルさんが「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていま
した」という一文を見て、「流星ひとつ」を読むことがあったら、宇多田ヒカルは
初めて藤圭子に出会うことが出来るかもしれない…。
知って、読んでもらいたいという思いから、出版を決意したそうです。数十年
日の目を見なかったものが、日の当たる所に出てきたということです。
○ この対話は彼女が28歳の時です。
○ 珠算の2級の検定試験1回で通った。
○ 5年生の時から、余興で歌い始める。学校があるので、土日だけ。
○ 初めて大勢の人の前で歌ったのは岩見沢の市民会館。北島三郎の「函
館の人」
○ 流しもやっていた。初めはお父さんお母さんでやっていたが、それだけで
は稼げないので、 3人で流した。
○ 沢ノ井(藤圭子を見つけ出し、売り出した人)さんが、上条先生のレッスン
場に現れた。彼は売れない作詞家。
○ 昭和44年の9月「新宿の女」でデビュー。45都市2月「女のブルース」
4月「圭子の夢は夜ひらく、7月「命預けます」45年、歌謡大賞で「夢
は夜ひらく」が大賞、レコード大賞は「命預けます」で大衆賞。
○ 前川清さんとは短い結婚生活だった。離婚して、すぐ好きな人が出来た
が、すぐ飽きてしまった。
○ 両親が離婚。それは母親を父親と離婚させてあげただけ。彼女は母親と
暮らすが、離婚後も、父親に送金していた。
○ 喉の手術をしてから、自分の歌ではなくなってしまったので、歌手を辞め
る決心をする。以前から、声が出なくなることもあったから、手術をすると
その苦労がなくなると思った。しかし、声が変わってしまった。
○ テレビであなたを見ていると、目が落ち着いていないように見える。貴女
の目ってキョロキョロと小さく動いている、小さな動物が怯えているように」
「そう、自分でも如何して動いちゃうのか分からないけど目が細かく動くん
だよ。いま、やってみてよといわれても出来ないけど」無意識になっている
と動いちゃうんだ」
私も、彼女の表情は唄う歌のように少し暗い。でも彼女の目だけは、
絶え間なく動いていたのが、気になっていました。
○ カルーセル麻紀さんとは同じ事務所で、とても仲がいいの。絶対やめた
ら駄目よって言うの。疲れたのなら休むといえばいいの」
○ 初め「インタビュー」という題名だった。今はやめるといっても、これから
先、どういう理由で芸能界に『復帰」せざるを得なくなるかもしれない。藤
圭子は、自分の周囲の人たちについて、あまりにも好悪をはっきりと語り
すぎている。その人たちとの関係を難しくさせてしまうのではないか。これ
から、新しい人生を切り開いていこうとしている、藤圭子にとって、この作
品は邪魔になるのではないかと思ってしまった。 出版社も決まっていた
が「僕たちは是非出して欲しいと思いますけど、沢木さんのいみもよく理
解できます。沢木さんにその迷いがある以上、発表するのは止めたほう
がいいかも知れません。「いつかきっと発表できる日が来ると思いますよ」
アメリカに渡った藤圭子におくったら、彼女も「自分は出版してもいいとお
もうが、沢木さんの判断に任せる」という返事が届いた。
○ 自死することで本当に星が流れるようにこの世を去ってしまった今、「流
星ひとつ」というタイトルは、私が藤圭子の幻の墓に手向けることの出来
る、たった一輪の花なのかも知れないと思う と結ばれている。
☆ 明日お休みします。