平成14年11月3日 (日)
距離:16K 民宿稲荷 ~ 仏木寺 ~ 明石寺 ~ 富士廼屋旅館 (2)
やっと車道に出て遍路道は終わったと思っていましたら、違ったのです。「苦
を取るか楽を取るか、胸先三寸の分かれ道」と言う立て札、ま~ぁ何て意地
悪い事を…、山中の遍路道は終わりではない事を示しているのです。私は
楽を取って車道を行きたかったのですが、主人は続を行くと言います。
上り始めて間もなく「鎖場」でした。立て札はこの事を示唆していたのでしょう
か? 目を疑いました。悲鳴を上げそうでした。首を上げても先端が見えない
程、長~い長~い「鎖」が伸びています。足元に道らしい所はありません。こ
の「鎖」を使ってよじ登れと言うのでしょう。その鎖に身を託して、やっと爪先
が着くか着かないかと言う所を必死で登りました。それほど坂が急だと言う
事です。
やっと平坦な道に出たと思ったら、「枯葉の絨毯自然の道」と言う矢印があ
りました。ほんの少し、「純毛の絨毯」では無く「化繊の絨毯」程の薄い草道
が続いていました。一寸期待させておいて、その舌の根も乾かぬ内に、今度
は「急坂下る」と書かれていました。用心しながら慎重に下っていきました。
枯れ葉の絨毯のある遍路道
枯葉の絨毯に彩を添える 何の実?
所が今度は道路が見当たりません「路面侵食流失で足元注意」ですって!。
何たる事でしょう。立って歩けないので、地面にへばりつくように身を屈め
て道無き道を進む羽目になりました。どうにか其処を通り抜けてからはとん
とんとんと言う感じの下り坂でした。歯長峠を抜けて、歯長橋の手前の東屋
で休憩していますと、ときやすまきさんが男性遍路とやってきました。二人
も休憩を取り暫く話をしました。
彼女達は「路面流失」と地図にあったので車道を来たと言いました。車道と
いえども急坂で男性遍路は二度ばかり転んだそうです。
昨夜私達と別れてからの彼女は公園に行ったけれど、あまりの寒さに「身体
障害者用のトイレ」に寝たそうです。鍵が掛かって安心だったけれど、窓か
らの隙間風を防ぐ為に、手持ちのビニールを張ったのですが、それでも寒か
ったそうです。又、冷えた身体を温める為にコーヒを沸かすつもりだったが、
今日は公園で「コスモス祭り」があるとかで早くに人が来られたので飲めなか
った事、暫く行くと絵を描いている遍路さんに出会い、コーヒをご馳走になり、
涙が出るほどありがたかった事。其処に若い女性が2人来て「お接待です」と
「稲荷ずしとみかん」を貰った事。久し振りにお米を口にする事が出来る喜び
等を話してくれました。私も又お金を無心された事を話しました。
男性遍路さんは先に行かれましたので、よきやすまきさんと又同道する事
になりました。
皆田町(かいだちょう)に差し掛かった時、小さなお祭りに出会いました。5匹
の鹿のお面を被った青年たちと3人の法被のおじ様たちと出合ったのです。
家々を廻って、そこで舞を披露して、「志」を受け取っていました。
「なんのお祭りですか?」と聞いたのですけど余り要領を得ませんでした。
「伊達藩の流れを汲む」と言う答えが得られただけでした。
音にひかれて、見つけた「舞」なのに楽器は?思い出せないのです。5人組
が小さな太鼓を打ち鳴らしていたような気がしますが、定かではありません。
皆田町 五鹿踊り(いつしかおどり)
仙台 伊達政宗の息子が宇和島藩主としてきた時、
故郷(東北)の伝統芸能が懐かしく家来に舞せた事から始まった
皆田の衣装も踊りも 仙台よりは優しい感じだそうです
後すがた
舞っているところ
舞い終わって 家の人に「寸志」を頂きました
同道している役員さん 大きな紙袋の中は?
ときやすまきさんは私が村人と話しているのを遠くから眺めていました。
撮影の許可を得たので、おいでと誘いますと、側に来て盛んにシャッターを
切っておりました。そして「良い場面に出くわしたね…」と喜びあいました。
距離:16K 民宿稲荷 ~ 仏木寺 ~ 明石寺 ~ 富士廼屋旅館 (2)
やっと車道に出て遍路道は終わったと思っていましたら、違ったのです。「苦
を取るか楽を取るか、胸先三寸の分かれ道」と言う立て札、ま~ぁ何て意地
悪い事を…、山中の遍路道は終わりではない事を示しているのです。私は
楽を取って車道を行きたかったのですが、主人は続を行くと言います。
上り始めて間もなく「鎖場」でした。立て札はこの事を示唆していたのでしょう
か? 目を疑いました。悲鳴を上げそうでした。首を上げても先端が見えない
程、長~い長~い「鎖」が伸びています。足元に道らしい所はありません。こ
の「鎖」を使ってよじ登れと言うのでしょう。その鎖に身を託して、やっと爪先
が着くか着かないかと言う所を必死で登りました。それほど坂が急だと言う
事です。
やっと平坦な道に出たと思ったら、「枯葉の絨毯自然の道」と言う矢印があ
りました。ほんの少し、「純毛の絨毯」では無く「化繊の絨毯」程の薄い草道
が続いていました。一寸期待させておいて、その舌の根も乾かぬ内に、今度
は「急坂下る」と書かれていました。用心しながら慎重に下っていきました。
枯れ葉の絨毯のある遍路道
枯葉の絨毯に彩を添える 何の実?
所が今度は道路が見当たりません「路面侵食流失で足元注意」ですって!。
何たる事でしょう。立って歩けないので、地面にへばりつくように身を屈め
て道無き道を進む羽目になりました。どうにか其処を通り抜けてからはとん
とんとんと言う感じの下り坂でした。歯長峠を抜けて、歯長橋の手前の東屋
で休憩していますと、ときやすまきさんが男性遍路とやってきました。二人
も休憩を取り暫く話をしました。
彼女達は「路面流失」と地図にあったので車道を来たと言いました。車道と
いえども急坂で男性遍路は二度ばかり転んだそうです。
昨夜私達と別れてからの彼女は公園に行ったけれど、あまりの寒さに「身体
障害者用のトイレ」に寝たそうです。鍵が掛かって安心だったけれど、窓か
らの隙間風を防ぐ為に、手持ちのビニールを張ったのですが、それでも寒か
ったそうです。又、冷えた身体を温める為にコーヒを沸かすつもりだったが、
今日は公園で「コスモス祭り」があるとかで早くに人が来られたので飲めなか
った事、暫く行くと絵を描いている遍路さんに出会い、コーヒをご馳走になり、
涙が出るほどありがたかった事。其処に若い女性が2人来て「お接待です」と
「稲荷ずしとみかん」を貰った事。久し振りにお米を口にする事が出来る喜び
等を話してくれました。私も又お金を無心された事を話しました。
男性遍路さんは先に行かれましたので、よきやすまきさんと又同道する事
になりました。
皆田町(かいだちょう)に差し掛かった時、小さなお祭りに出会いました。5匹
の鹿のお面を被った青年たちと3人の法被のおじ様たちと出合ったのです。
家々を廻って、そこで舞を披露して、「志」を受け取っていました。
「なんのお祭りですか?」と聞いたのですけど余り要領を得ませんでした。
「伊達藩の流れを汲む」と言う答えが得られただけでした。
音にひかれて、見つけた「舞」なのに楽器は?思い出せないのです。5人組
が小さな太鼓を打ち鳴らしていたような気がしますが、定かではありません。
皆田町 五鹿踊り(いつしかおどり)
仙台 伊達政宗の息子が宇和島藩主としてきた時、
故郷(東北)の伝統芸能が懐かしく家来に舞せた事から始まった
皆田の衣装も踊りも 仙台よりは優しい感じだそうです
後すがた
舞っているところ
舞い終わって 家の人に「寸志」を頂きました
同道している役員さん 大きな紙袋の中は?
ときやすまきさんは私が村人と話しているのを遠くから眺めていました。
撮影の許可を得たので、おいでと誘いますと、側に来て盛んにシャッターを
切っておりました。そして「良い場面に出くわしたね…」と喜びあいました。