ベコニア「ドラゴンウィング」 ↑ 『雄花』 ↓後から出る『雌花』 (11-9-9)
今日も暑かったですね。今日で芝の手入れが終わりました。明日からは鉢の
植え替えを始めようと思います。沢山なので、どれから手をつけていいのか…。
でも来年又咲いて貰う為には、手抜きは出来ません。花は正直です。手を掛け
てやると美しく沢山咲きますが、手を抜くと咲いてくれません。
パリのおばあさんの物語 スージー・モルゲンステルヌ(岸恵子訳)
岸恵子の朗読会に行った友達に紹介されて、図書館で借りました。朗読会の
後の対談でこの本の話題になったようです。各お話に挿絵が入っていて、短
い文章が付いていて、大人の童話って感じでしょうか? 40ページほどの新
書版の本です。
後書きを読みますと、岸さんは『翻訳はしないと言う原則を破り、原作者のお
許しを得て、日本人に分かりにくいところなどは、私流に書き直したりするこ
とで、ここにささやかながら私の、はじめての絵本翻訳が終わりました。 沢
山の人に読んで欲しい。「この広い世界には、いろいろな人が生き、日本に
いては考えられない暮らし方をしているのよ」と、しみじみと知って欲しいと思
うのです』と書いておられます。
「日本にいては考えられない暮らし方」とはこの主人公がユダヤ人であり、本
人も廻りも、その迫害から逃れて生き延びたおばあさんだということだと思い
ます。
しかし、その点を除けば、老人と言う締めくくりをすれば、このおばあさんの
老いも、日本人である私の老いもまったく変わりません。だから、書かれてい
ることに共感と言うより「老いるということは同じだ!」と驚いてしまいました。
『めがねをどこに置いたかしら。
指輪も、あらっ、はさみも。
彼女は日がな一日忘れ物さがしで暮らしています。 …後略…
ものごとがみんな、こんがらかります。
お医者さまへ行きのは今週だったか、来週だったか…。
処方箋はこのままでよかったかしら。
今日のわたしは、ちょっとへん。
でも、だいじょうぶよ。
今日うまくいかなくても、
明日になればきっとよくなるわ。
と、おばあさんは思います。』
四分の三世紀生きたとありますから、私と同世代のようです。彼女の方が
一寸私より老いが進んでいるように思うのですが、それは迫害を受けたユ
ダヤ人であるという生活故と思われます。
老いは誰にでも、現世の貧富の差無しに(顔は手入れを頻繁に行う女優さ
んたちとは異なりますが)内面は同じ老いの進行が進んでいると思います。
願いは一つ周りの人間に迷惑をかけないで「ピンピン、コロリ」と逝きたいも
のです。