ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

中原の虹 (二)

2007年06月23日 | 読みました
         モントプレチア(桧扇水仙)
    ものすごい繁殖力で白色紫蘭が侵食されている
         球根で増えるので半分抜いた

昨日と打って変わって良いお天気。「オカヒジキ」茎から柔らかい葉の部分をつまんで、湯がいて(量が減らない)、オカカをかけて頂きました。生まれて始めての味、何の癖もなく美味しかったです。もう一回分あります、明日はわさびドレッシングをかけようかな?それともやっぱり、ごとうさんが言われるように、一番美味しい食べ方、たっぷりのオカカを掛けて頂こうかなと思案中。新鮮であるのは勿論、その上に新しい品種(暫くしてスーパーにお目見えする)のお野菜を下さるのでありがたい。


          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

         中原の虹(二)     浅田次郎

『見聞したことや思いついたことを、こまごまと手帳に書き付けるのが吉永の習慣である。幼年学校でも士官学校でも、頭で覚えようとせずに筆記せよと躾けられた。口頭で下達された命令も必ず手帳に書き写し、それを読みながら復唱する。上官に状況の報告をしたり意見を述べたりするときも、同様に手帳の記録を読み上げる。つまり吉永の習慣と言うより生え抜きの陸軍将校の習性で、その動作一つから士官学校出身の出自の知れるものである』

と言う箇所を読んで「へえ~」と思った。軍隊と言う所は秘密主義で、命令など書いて残すなどもってのほかで、全て暗記して、証拠は残さないものと勝手に思っていた。それと報告書は漢字とカタカナ文字で書かれるのですね。勿論楷書で一字一字丁寧に書く為にはひらかな文字よりカタカナ文字の方がかっちりしていると思いますが。

『貧民窟ではズケやと呼ばれる残飯やと言う商売があって樽に飯も菜も汁も一緒くたにした残飯で、チャズケに似ていなくも無いから、ズケ屋と言うのであろう。・・・中略・・・陸軍士官学校などから、兵食の残飯が集まるのである。』

それを貧しい人が丼を持って買いに行くらしい。時には士官学校の残飯の事もあり食べ物が上等だからと少し値が高いらしい。貧民窟の人と言うのは働いても食べられない人のことを言うのだろうか?でも住む所だけはあるのだろう。勿論このお話の日本は、中国の清、西太后の時代のお話であるが・・・。

私が小さい時、働いてもいないし住む所も無さそうな「ルンペン」といわれる乞食が肩に空の炭俵を担いで、夕暮れ時、各家庭の家の外にあるゴミ箱を漁って、欲しい物をゴミつかみでつまんでポイっと背のかごに入れているのを良く見かけた。「ルンペン」:ドイツ語。ぼろを纏ってうろつく人。乞食。何故ドイツ語で呼ばれていたのだろう。神戸だけだろうか?日本中がそう呼んでいたのだろうか?

西太后と光緒帝の仲については、光緒帝が西太后を亡き者にしようとしたことが発覚して、幽閉生活を余儀なくされたという知識だったが、この本では西太后は帝を愛し、帝は西太后を慕い、西太后の死の時期を一にして帝も死ぬ。

西太后の鶴の一声で3歳の溥儀が帝の地位に就く。このように溥儀が帝になった場合、それまで住んでいた邸は、宮殿とするか、菩薩を祀る廟とするか、兎も角、親兄弟といえども住み続けてはならない。直ちに下賜された邸に転居しなければならないそうだ。ここで終わり、後は巻三で完結する。

あくまでも小説であるから、何処までが真実で、何処までがフィックションか歴史に疎い私には解らないが、だんだん「中国の清の時代」の事は私の頭の中で、おぼろげながら形作られていくような気がする。

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