「転んで死ぬことになった60代以上の人。
転ぶことはガンより怖い」
この文を新聞に見つけた私、
一寸前の私だったら「ふ~ん?」 で済ましたでしょう。
でも今の私は「転ぶ」と言うことが、「こんなに大変だ」と
身にしみて感じているから「そうか」と納得してしまう。
「転ぶ」と言う言葉で頭に浮かぶのは、
身をかがめてころりと前のめりになる姿を想像します。
それからすると、私の場合は、
前方に一枚の板のように、バタンと倒れました。
これも「転ぶ」と言いますか?
「転んだ」時、私は何の疑いもなく、その時きり、と思いました。
今は、「転ぶ」事がこんなに大変な事だったと、
身に染んで分かっているから、心に突き刺さりました。
老人は「転んではいけない!」
いまだに完治していない、打ち付けて
黄色く変色した我が足を眺めながら、思っています。
でも溝に落ちることなく、水平にたたきつけるだけに、
がんばってくれた「左足」に感謝しています。
もし、「溝」に落ちていたら、骨折していたでしょう。
そうすれば、新聞の言うとおりになったかも知れません。
がんばってくれた「左足」に「ありがとう」