ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

正妻

2014年07月29日 | 読みました


          法金剛院の花たち    「ほおずき」と「桔梗」        (14―7―22) 




昨日「渡辺淳一」さんのことを書きました。今朝の新聞を見て「また?」と思いま
した。と言いますのが、私が前夜にブログで名前を出した人の話が、翌日の新
聞に載ることがたびたび起こるからです。何故でしょうね? 単なる偶然とは
言い切れない気持ちがするのです。

昨日「渡辺淳一」さんのお別れの会が東京・帝国ホテルで行われた。と言う記
事だったのです。今日の「正妻」を書かれた林真理子さんも出席されたそうで
す。

私は渡辺さんはお喋りが下手だから、書くことに専念なさったほうが良い。と
辛口のひょうをしましたが、考えてみれば、ご本人が、是非喋りたいと言われ
たのではなく、周りの(何処が主催だったか忘れました)人のお願いを聞かれ
て、講演をされただけかも知れませんね。作品の大方は、読ませていただき
ました。その書くことと話すことのギャップが大きすぎて、失望したのです。

これも何かのご縁だと思います。ご冥福をお祈りいたします。


     正妻   (上・下)      林真理子  

「あれこれお聞きになるのは、姫さんらしくあらしません。世の中のことなどお
知りにならんでもよろしゅうございます」美賀(慶喜の正妻)はよく言われる。

延(美賀)の顔は涼やかな目にしまった唇という、品のいい美女である。延は
母親(家は織元)にそっくりだ。しかし延の周りで、そんな事を言う者は誰もい
ない。なぜなら「腹は借り物」、延は「姫様」である。

一条家から養子の話がきた。千代君が 水戸の刑部郷(後の慶喜)と婚約し
ていたが、疱瘡に罹り、少ないとはいえ顔にあばた駕できた。そんな娘を差
し出すことは出来ないというので、代理として延(養子の後は美賀)が嫁入り
することになる。

今出川公家の 家を出る前は火事にあい、江戸についたとたん大地震に合
う。

鹿児島の島津家から嫁に来た篤姫も 花嫁道具を全て火事で焼いてします、
嫁いだ将軍は早世する。跡を継いだ将軍に嫁してきた和宮をいびったとい
う。

京では男も女子もこってりと白粉を塗り、歯に鉄かね浸けるが、江戸(大奥)
では薄い。  

お芳(火消し神門辰五郎の娘)は慶喜に気に入られ、側でかしずく。

慶喜は「大政奉還」を成し遂げるため、といい、大坂城から海上伝いで江戸
城に逃げ帰る。江戸城を「無条件降伏」で明け渡下の地、静岡で、蟄居し、
写真、油絵など多趣味で生きる。

正妻・美賀は乳がんで死亡する。生涯、大奥には入らなかった。


篤姫ビイキの私には、一寸悔しい本でした。「大柄でデブ」「意地悪」とか、
私の「篤姫」に対する気持ちを大きく傷つけましたよ。

☆本を読んでいても、感想をどのように書こうかと戸言うことが頭を過ぎり、
純真に、本に没頭できていないことに気づきました。これからは、読んだと
言う記録だけを残すことにいたします。


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