マーガレット
色んな色が出てきましたが
何といっても白が一番好き
昨夜の雷、「春雷」? 言葉は綺麗ですが、凄まじい音で、長時間鳴っていました。とても近くに感じましたが、神戸のたまちゃんから「恐かった」ってメールが入りましたから、神戸の方でも鳴っていたようです。私はてっきり尼崎に落ちたと思いました。それくらい凄い音でした。
「いたち」も雨宿りに来たようです。何処から入ってくるのか、一階、二階、其の時の好みで入ってきます。ねずみと違って身体が大きいので「どたどた」と走り回ります。天井を棒で突くと、なりを潜めます。「いたち」は益動物(人の役に立つ)だから、みだりに取ってはいけないと聞いたけど、どんな役に立っているの?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今日はエィプリルフール、軽い楽しいウイットに富だ嘘をついても許される日です。でも近年余り流行?してないように思いますが、若い世代には今も流行っているのでしょうか?
若い頃はどんな嘘で誰を騙そうかと楽しんだものです。やはり対象者は、生真面目な、だまされやすい人です。私は嘘は思いつくのですが、嘘を言うとき、「嘘よ」と顔に出るらしく滅多に成功する事無く見破られていました。
今日は私にとって「母になった記念の日」でもあるのですが、其の年の3月29日に舅の三回忌があり兄弟達が来ておりました。法事を済ませて兄弟はその翌日に帰宅しました。今のように新幹線があるわけでは在りませんから、夜行だったと思います。
翌31日、私は早期破水をしてしまったのです。早速入院という事になり、安静にしていましたが、羊水が減りすぎると母体と赤ちゃんが危ないと言うことで、陣痛が来ない為「陣痛促進剤」の注射をすることになりました。そして4月1日母親になったのです。
兄弟に電話で知らせますと、初めは「エィプリルフール」だと信じてもらえなかったそうです。出産予定日まで10日以上ありましたし、初産は大概遅れるそうですから、まして2日前に会ったばかりですから無理も無いのですが、「私の初産」はエィプリルフールと間違われて、信じて貰えなかったと言うお話です。
今の赤ちゃんは生まれた時から、足は自由に動かせるオムツですが、息子の時は違いました。オムツは腰から足先近くまで、ぴっちりと巻いて動かないようにしたものです。如何してあんなことをしていたのでしょうね。赤ちゃんも窮屈だったと思いますが、其の上、おくるみで又しっかり巻き込みますから、足を動かすことはできません。腕はどうしていたのだろう?やっぱりすっぽり包み込んでいたのでは無いでしょうか?新米の母親は教えられた通りしかできませんもの。
オムツと言えば、其の時オムツを干していた、蛸足の物干し、今はプラスチックですが、当時は金物でしたし、今の蛸足の物より幅が広いんです。それを今でも使っているんです。何と物持ちの良い事と、自分でも感心していますが、1~2センチ幅が広いと言うだけで便利なんです。
当時は出産して一週間ぐらいは目を使う事を禁止されました。字を読んではいけないと、読むつもりだった「源氏物語」(何故この本を選んだのか分からない)を読む事が出来ませんでした。今はお部屋にちゃんとテレビも備え付けてあります。
3日間は寝たっきりで、歩いてトイレに行くのも禁止でした。付添婦さんに世話をしてもらうので、気兼ねで、飲みたい水も出来るだけ我慢しました。今思えばお笑いの様な産後でした。
色んな色が出てきましたが
何といっても白が一番好き
昨夜の雷、「春雷」? 言葉は綺麗ですが、凄まじい音で、長時間鳴っていました。とても近くに感じましたが、神戸のたまちゃんから「恐かった」ってメールが入りましたから、神戸の方でも鳴っていたようです。私はてっきり尼崎に落ちたと思いました。それくらい凄い音でした。
「いたち」も雨宿りに来たようです。何処から入ってくるのか、一階、二階、其の時の好みで入ってきます。ねずみと違って身体が大きいので「どたどた」と走り回ります。天井を棒で突くと、なりを潜めます。「いたち」は益動物(人の役に立つ)だから、みだりに取ってはいけないと聞いたけど、どんな役に立っているの?
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今日はエィプリルフール、軽い楽しいウイットに富だ嘘をついても許される日です。でも近年余り流行?してないように思いますが、若い世代には今も流行っているのでしょうか?
若い頃はどんな嘘で誰を騙そうかと楽しんだものです。やはり対象者は、生真面目な、だまされやすい人です。私は嘘は思いつくのですが、嘘を言うとき、「嘘よ」と顔に出るらしく滅多に成功する事無く見破られていました。
今日は私にとって「母になった記念の日」でもあるのですが、其の年の3月29日に舅の三回忌があり兄弟達が来ておりました。法事を済ませて兄弟はその翌日に帰宅しました。今のように新幹線があるわけでは在りませんから、夜行だったと思います。
翌31日、私は早期破水をしてしまったのです。早速入院という事になり、安静にしていましたが、羊水が減りすぎると母体と赤ちゃんが危ないと言うことで、陣痛が来ない為「陣痛促進剤」の注射をすることになりました。そして4月1日母親になったのです。
兄弟に電話で知らせますと、初めは「エィプリルフール」だと信じてもらえなかったそうです。出産予定日まで10日以上ありましたし、初産は大概遅れるそうですから、まして2日前に会ったばかりですから無理も無いのですが、「私の初産」はエィプリルフールと間違われて、信じて貰えなかったと言うお話です。
今の赤ちゃんは生まれた時から、足は自由に動かせるオムツですが、息子の時は違いました。オムツは腰から足先近くまで、ぴっちりと巻いて動かないようにしたものです。如何してあんなことをしていたのでしょうね。赤ちゃんも窮屈だったと思いますが、其の上、おくるみで又しっかり巻き込みますから、足を動かすことはできません。腕はどうしていたのだろう?やっぱりすっぽり包み込んでいたのでは無いでしょうか?新米の母親は教えられた通りしかできませんもの。
オムツと言えば、其の時オムツを干していた、蛸足の物干し、今はプラスチックですが、当時は金物でしたし、今の蛸足の物より幅が広いんです。それを今でも使っているんです。何と物持ちの良い事と、自分でも感心していますが、1~2センチ幅が広いと言うだけで便利なんです。
当時は出産して一週間ぐらいは目を使う事を禁止されました。字を読んではいけないと、読むつもりだった「源氏物語」(何故この本を選んだのか分からない)を読む事が出来ませんでした。今はお部屋にちゃんとテレビも備え付けてあります。
3日間は寝たっきりで、歩いてトイレに行くのも禁止でした。付添婦さんに世話をしてもらうので、気兼ねで、飲みたい水も出来るだけ我慢しました。今思えばお笑いの様な産後でした。
そうだったの。あの頃やはりエィプリルフール流行っていたのね。ふっとした事で思い出すこといっぱいね。良くぞ此処まで生き延びているものだわ。大切に生きましょうね。
姿勢が良いという事は、内臓が正規の位置にあるという事で、元気の源ですね。だからお元気なんですね。
気おつけていてもだんだん姿勢が悪くなりつつあります。腹筋力の低下ですね。
遠い遠い記憶になりつつあります。うつ伏せ寝が流行ったり、負んぶはいけないと言ったり、色んな事がありましたね。
初産の時喉がかわいてお水が欲しくて欲しくて・・でも周りにだれもいなくて、あの時のこと忘れられません。
今は子育ても変わって知ったかぶりは出来ないようになったなあと思います。