ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

ゆったりと歩むために

2014年09月05日 | 今日この頃

     ↑   「アナナス」     ↓   「アンスリューム」   神戸・サンチカ     (14―8―13)


今日もまた、汗をかかない一日でした。テレビによりますと、8月に入ってから
は、いわゆる35度を越す「真夏日」はなかったそうです。しかし6.7月がかな
り暑い日があったので、平均すると、例年並みということになるそうです。

本を読みながら、何となく疑問を感じるようになりました。いつも「この本はX日
までに返さなければならない」と言うことが頭の片隅にあるののです。そして、
その比重がだんだん大きくなって来ました。それは、読む時間が、だんだん遅
くなったことだと思います。

今は、月に2冊読めれば、丁度いいのです。でも私の手元にはいつも3冊以上
の本があり、あせりながら読んでいます。こんな読み方を「何故?」と、近頃
考えるようになりました。

生きているうちに、1冊でも多く読んでおきたい、皆が良いという本に目を通して
おきたい、と言う気持ちなのです。でも、それは無理なことだと、今になって、気
づき始めました。

大好きな編み物をやめているのは何故か? 指先が痛み始めて、お医者さん
に行くと、難しい病名を付けられ「言うならば、老化の1種です。使いすぎからで
しょう」「リュウマチ」でなかってよかった、「老化」なら仕方がないと思いました。
しかし、テレビの前に座ると、同時に、手に持っていた「編み棒」のない生活は、
寂しい。でも辛抱している。「痛み」の方がもっと辛いから。老化していくのは仕
方がないけれど、「人一倍働いた手」を優しく使っていかなければならないので
す。「痛み」は手からの「もう少し、楽させて!」と言う信号でしょうから。

それと同じことが「目」にも言えそうです。近頃は長時間読み続けられなくなりま
した。目がボーとして、霞んでくるからです。眼鏡の度数が合わなくなったのか
と、目医者に行きましたが、1年前と変化はないので、今の眼鏡でいいのではな
いか、と言われました。「ドライアイ」の傾向があるので、その目薬をもらいました
が、結局、ここでも、自然老化と言うことのようでした。

目は痛みはしませんが、目を霞ませて、読みにくくして、「もう少し、私を休ませ
てください」と訴えているのかな~と考えるようになりました。

さて、目を休ませるにはどうすれば言いか? ゆっくりと休みながら、読めばい
いのです。それには、図書館からの借りる本をへらせばいいのです。図書館の
予約は月に一人10冊までですが、私は主人の分も使って、20冊予約してい
ます。「是だ!」と気づきました。

どうして予約本をえらぶかと言いますと、「新聞広告」からと、「本屋大賞」、図
書館のページから、「今一番読まれている本」から選んでいるわけです。予約
本20冊から、半分の10冊に減らしました。すると大体が「一番読まれている
本」が消えました。人が読んでいるから、読んでみたいというのは、私の目には
無理とは判断しました。これで、ゆっくり読めそうです。

もう一つ「歌うこと」です。小学3年生から、一時期、十数年程「カラオケ」に懲り
ましたが、それ以外は「コーラス」に属していました。「唱歌の学校」にも十数年
通いました。このクラスのハーモニィはとても好きでした。でも、先月で思い切っ
て、やめました。「歌」は歌うことのみではない、「聴く」と言うこともあると…。
受身になって、静かに耳を傾ける方向に舵をきろうと思いました。

70代最後の誕生日を迎えて、1週間がたちました。80代に突入するまでの1年
間を、自分の体力と相談しながら、決めていきたいと考えています。

多くを求めることから脱皮して、ゆったりと、ゆったりと生きていくように、方向
転換する1年にしたいと思っています。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今朝の新聞 | トップ | パナソニック合唱団 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

今日この頃」カテゴリの最新記事