平成14年3月3日(日)
第24番 最御崎寺 第25番 津照寺 第26番 金剛頂寺
距離:39k 民宿室戸荘~民宿浜吉屋
民宿室戸荘では「電波圏外」でメールが送れませんでした。この宿では、自動車で廻っている夫婦、自転車で廻っている男性、私達と5人でした。自転車の人は関東の人で、通し打ちのようでした。主人が73歳には見えないと言われて、ご本人はウハウハと大喜びでした。この日から自転車の人の事を話すとき「チャリンコどの辺りまでいったかしらね~」と話ました。
第24番札所 最御崎寺には室戸荘に荷物を預けてから登りました。しかし雨が降り出したし、時間も迫っていましたので、ゆっくりしないで降りてきました。此処にたどり着くまでの時間を考えれば、もっと頭に残るはずですのに、人気もなく、留まりたい雰囲気で無かったように思います。此処にしかない「やっこ草」だけはしっかり見てきましたよ。
下に降りてきますと、自転車にほんの少しの荷物を積んだ男の子(大学生ぐらい)が居ました。考えられないほど少ない荷物(普通、若者は時には野宿もするので大きな荷物を持っている)なので私がじ~と見ているのに気がついたのでしょう。彼から(私達は荷物こそ、宿においてきましたが、遍路装束ですから)話掛けてきました。「3段切り替え(スピードギヤー)の自転車に乗ってきたんですが、荷物ごと盗られたんです。これからの事を考えると、やっぱり、3段切り替えが欲しかったのですが、四国には売ってないんです。仕方が無いので1段切り替えを買ったんですが、やっぱり疲れます。行ける所まで行って、一旦帰って出直して来ようかとも思っています」と言いました。それで荷物が少ない訳が解りました。
「お接待」したかったのですが、お金は荷物と共に宿に預けてしまいました。まさか手持ちの小銭を差し出すのも失礼な気がして、お話しを聞くだけで別れました。彼が遍路に対して、四国に対して嫌な気持ちを持たなければいいが…、と思いました。彼は確か関東より東の人だったと思います。
3月3日(日) 19:18 おちさん (送)
昨日は室戸岬灯台のサーチライトに送られて室戸荘を出ました。充電器は持っていたのですが、忘れてしまって(充電するのを)鏡になってしまって、聞きたくとも(何故通じないのか)ドコモの店が無くて、此処安芸市でやっと見つけました。そして鏡が器機になり、メールできるようになりました。(電池が切れた後、充電しても、電源をオフの状態のままだったので、幾ら経っても使用できなかったのです。お店に行って電源をオンにしなければと教えられやっと通じるようになりました。携帯の持ち始で充電したのに使えないのは故障であると思ってしまったのです)吉良川町でお雛様をお家に飾り、人に見せているのです。「お茶を…」と言ってバラ寿司も出ていただいていますと、お接待だと言ってバラ寿司2折、饅頭6個、みかん4個、薩摩芋2本、ありがたいけれど、重すぎるので、お腹に入れて運ぼうと町外れの空き地で頂きました。
お雛さまの写真 全てピンボケでした 右上の市まさんは子供の大きさでした
雛祭りの町には、道を間違って、偶然出くわしました。一番初めの家で珍しいと眺めていますと、内からおばあさんが出てこられて、一つは嫁のもの、一つは孫娘のもの(左上の写真)と説明をうけ、「子供が大きくなて嫁が働きに出ているので、何のお構いも出来ませんが、お茶でも…」とお茶を待っている私達にバラ寿司をご馳走してくださいました。縁側に腰掛けて食べているわけですから、ご近所の方が次々と「お接待…」と色んなものを持ってきてくださいました。
嬉しいのですが、歩き遍路にとって重いものは辛さでもあるのです。折角の親切を無にも出来ず、全て頂いてきましたが、町外れまで来て空き地を見つけたとき、少しでも荷物を減らしたいので、食べようという事にしました。バラ寿司を食べた後ですし、そんなに食欲はありませんでしたが、好意を無駄にしたくない思いでした。お遍路さんに出会えば別けてあげられたのでしょうが、1人も出会いませんでした。
室戸荘を出て寝静まった町に足を踏み出しますと、時々さ~っと光が私達の上に走ります。はじめは何かわかりませんでした。それが灯台のサーチライト(戦時中の事をおもいだしました)だと気づいた時はとても嬉しかったです。旅立つ私達を見送ってくれているようで…。「ありがとね」と言いながらサーチライトの見送りを受けました。この光景は遍路の経験の中で心に残るものでした。
第25番津照寺までは宿を早く出ましたので、人気は全く無い町を歩きました、室津港(マグロ漁船の基地だった)の船着場でやっと人に出会い道を聞きました。もう其処まできていました。
6:30にお寺に着いてしまいました。時間が早かったので、まず本堂にお参りする事にしました。本堂は長い石段(125段)の上にありました。途中には朱塗りの鐘楼門(高い所にあるからでしょうか『仏の灯台』とも呼ばれているそうです)がありました。
本堂前からは途中に赤い鐘楼門を、その先は海?ととても絶景だったと記憶しています。私達が下りてきますと3人ほどの人が待っておられました。納経帳に記入して頂き寺を後にしました。同宿の自動車遍路のご夫婦も居ました。
次の第26番金剛頂寺への道は此処から北に進むと言うところでチャリンコの人に出会いました。その角の店で休憩しておられて私達を見つけて出てこられたようです。
其処から暫く行くと遍路道と自動車道の分かれ道があります。其処まで私達と一緒に自転車を押して歩かれました。遍路道より自動車道の距離が随分長いと話していました。のぼりは自転車を押していくので大変そうでした。
私達の遍路道は久し振りに山の中で、昔ながらの遍路道のようでしたから、しんどかったのですが、土を感じながらの道で嬉しかったです。お寺のお参りを済ませて下ってきますと(下りは自動車道を通りました。次に行くにはその方がいいと納経所のお坊さんが言われたからです)チャリンコの人が自転車を押しながら登ってくるのに出会いました。「自転車を押しながら登るのが大変だった」とげんなりした顔で話しました。でも此処からは下りで一般道に出るので、今日中に高知まで出ると言っておられました。私達はここからは延々とアスハルトの道を歩きました。何処までも続く舗装の道を歩きながらチャリンコだとこの道は楽だろうな~と思いました。苦あれば楽あり、チャリンコさんスイスイでしょう。
この道中に雛の町に出会うわけです。道を間違って宿にたどり着いたわけですから、図面の上では宿から宿まで39Kとなっていますが、45kぐらいは歩いたと思います。本当に疲れて着きました。
3月3日 浜吉屋 (5泊目)
(1050回)
第24番 最御崎寺 第25番 津照寺 第26番 金剛頂寺
距離:39k 民宿室戸荘~民宿浜吉屋
民宿室戸荘では「電波圏外」でメールが送れませんでした。この宿では、自動車で廻っている夫婦、自転車で廻っている男性、私達と5人でした。自転車の人は関東の人で、通し打ちのようでした。主人が73歳には見えないと言われて、ご本人はウハウハと大喜びでした。この日から自転車の人の事を話すとき「チャリンコどの辺りまでいったかしらね~」と話ました。
第24番札所 最御崎寺には室戸荘に荷物を預けてから登りました。しかし雨が降り出したし、時間も迫っていましたので、ゆっくりしないで降りてきました。此処にたどり着くまでの時間を考えれば、もっと頭に残るはずですのに、人気もなく、留まりたい雰囲気で無かったように思います。此処にしかない「やっこ草」だけはしっかり見てきましたよ。
下に降りてきますと、自転車にほんの少しの荷物を積んだ男の子(大学生ぐらい)が居ました。考えられないほど少ない荷物(普通、若者は時には野宿もするので大きな荷物を持っている)なので私がじ~と見ているのに気がついたのでしょう。彼から(私達は荷物こそ、宿においてきましたが、遍路装束ですから)話掛けてきました。「3段切り替え(スピードギヤー)の自転車に乗ってきたんですが、荷物ごと盗られたんです。これからの事を考えると、やっぱり、3段切り替えが欲しかったのですが、四国には売ってないんです。仕方が無いので1段切り替えを買ったんですが、やっぱり疲れます。行ける所まで行って、一旦帰って出直して来ようかとも思っています」と言いました。それで荷物が少ない訳が解りました。
「お接待」したかったのですが、お金は荷物と共に宿に預けてしまいました。まさか手持ちの小銭を差し出すのも失礼な気がして、お話しを聞くだけで別れました。彼が遍路に対して、四国に対して嫌な気持ちを持たなければいいが…、と思いました。彼は確か関東より東の人だったと思います。
3月3日(日) 19:18 おちさん (送)
昨日は室戸岬灯台のサーチライトに送られて室戸荘を出ました。充電器は持っていたのですが、忘れてしまって(充電するのを)鏡になってしまって、聞きたくとも(何故通じないのか)ドコモの店が無くて、此処安芸市でやっと見つけました。そして鏡が器機になり、メールできるようになりました。(電池が切れた後、充電しても、電源をオフの状態のままだったので、幾ら経っても使用できなかったのです。お店に行って電源をオンにしなければと教えられやっと通じるようになりました。携帯の持ち始で充電したのに使えないのは故障であると思ってしまったのです)吉良川町でお雛様をお家に飾り、人に見せているのです。「お茶を…」と言ってバラ寿司も出ていただいていますと、お接待だと言ってバラ寿司2折、饅頭6個、みかん4個、薩摩芋2本、ありがたいけれど、重すぎるので、お腹に入れて運ぼうと町外れの空き地で頂きました。
お雛さまの写真 全てピンボケでした 右上の市まさんは子供の大きさでした
雛祭りの町には、道を間違って、偶然出くわしました。一番初めの家で珍しいと眺めていますと、内からおばあさんが出てこられて、一つは嫁のもの、一つは孫娘のもの(左上の写真)と説明をうけ、「子供が大きくなて嫁が働きに出ているので、何のお構いも出来ませんが、お茶でも…」とお茶を待っている私達にバラ寿司をご馳走してくださいました。縁側に腰掛けて食べているわけですから、ご近所の方が次々と「お接待…」と色んなものを持ってきてくださいました。
嬉しいのですが、歩き遍路にとって重いものは辛さでもあるのです。折角の親切を無にも出来ず、全て頂いてきましたが、町外れまで来て空き地を見つけたとき、少しでも荷物を減らしたいので、食べようという事にしました。バラ寿司を食べた後ですし、そんなに食欲はありませんでしたが、好意を無駄にしたくない思いでした。お遍路さんに出会えば別けてあげられたのでしょうが、1人も出会いませんでした。
室戸荘を出て寝静まった町に足を踏み出しますと、時々さ~っと光が私達の上に走ります。はじめは何かわかりませんでした。それが灯台のサーチライト(戦時中の事をおもいだしました)だと気づいた時はとても嬉しかったです。旅立つ私達を見送ってくれているようで…。「ありがとね」と言いながらサーチライトの見送りを受けました。この光景は遍路の経験の中で心に残るものでした。
第25番津照寺までは宿を早く出ましたので、人気は全く無い町を歩きました、室津港(マグロ漁船の基地だった)の船着場でやっと人に出会い道を聞きました。もう其処まできていました。
6:30にお寺に着いてしまいました。時間が早かったので、まず本堂にお参りする事にしました。本堂は長い石段(125段)の上にありました。途中には朱塗りの鐘楼門(高い所にあるからでしょうか『仏の灯台』とも呼ばれているそうです)がありました。
本堂前からは途中に赤い鐘楼門を、その先は海?ととても絶景だったと記憶しています。私達が下りてきますと3人ほどの人が待っておられました。納経帳に記入して頂き寺を後にしました。同宿の自動車遍路のご夫婦も居ました。
次の第26番金剛頂寺への道は此処から北に進むと言うところでチャリンコの人に出会いました。その角の店で休憩しておられて私達を見つけて出てこられたようです。
其処から暫く行くと遍路道と自動車道の分かれ道があります。其処まで私達と一緒に自転車を押して歩かれました。遍路道より自動車道の距離が随分長いと話していました。のぼりは自転車を押していくので大変そうでした。
私達の遍路道は久し振りに山の中で、昔ながらの遍路道のようでしたから、しんどかったのですが、土を感じながらの道で嬉しかったです。お寺のお参りを済ませて下ってきますと(下りは自動車道を通りました。次に行くにはその方がいいと納経所のお坊さんが言われたからです)チャリンコの人が自転車を押しながら登ってくるのに出会いました。「自転車を押しながら登るのが大変だった」とげんなりした顔で話しました。でも此処からは下りで一般道に出るので、今日中に高知まで出ると言っておられました。私達はここからは延々とアスハルトの道を歩きました。何処までも続く舗装の道を歩きながらチャリンコだとこの道は楽だろうな~と思いました。苦あれば楽あり、チャリンコさんスイスイでしょう。
この道中に雛の町に出会うわけです。道を間違って宿にたどり着いたわけですから、図面の上では宿から宿まで39Kとなっていますが、45kぐらいは歩いたと思います。本当に疲れて着きました。
3月3日 浜吉屋 (5泊目)
(1050回)