ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

東京タワー オカンとボクと、ときどきオトン

2007年06月30日 | 読みました
             萩 江戸絞り
        小さなちいさな 米粒2っぐらいの花
          今年は沢山咲いている

6月も今日で終わり、半年がアッという間に駆け抜けていきました。

     東京タワー オカンとボクと ときどきオトン
          リリー フランキー

この本は唱歌の学校のたかはたさんからお借りしたものです。図書館では300人近い待ちでした。東京への日帰りの往復も東京タワーを見ながらこの本のことを思い出していた。

作者は我が息子達と同世代のようです。女手一つで息子を大学にやると言う事は大変な事だったでしょう。でもこのオカンの場合は、苦労のし甲斐があったようです。晩年はガンの苦しみを除けば、息子と二人と言うより、息子の友達をも自分の友達の様に仲間に入り、料理上手の腕を振るい、人の出入りの絶えない家で過ごす事が出来た幸せな老後だったと思う。

映画も見ているものだから「オカンのセリフ」を読んでいると樹木希林さんの声で聞こえてくる。

『春になると東京には、掃除機の回転するモーターが次々と吸い込んでいく塵のように、日本の隅々から、若いやつらが吸い集められてくる。暗闇の細いホースは、夢と未来へ続くトンネル、転がりながらも胸躍らせて、不安な期待が押さえ込む。根拠の無い可能性に心引かれた。其処に行けば、何か新しい自分になれる気がして。しかし、トンネルを抜けると、其処はゴミだめだった』

映画でもこの言葉はボクの東京での生活の説明として流れていた。オカンが身を粉にして働いた仕送りで遊びほうけていた時代だ。

『五十代になったオカンは、会うたびに年老いてゆく気がした。半年に一度顔を見るたびに身体がどんどん小さくなってゆく。その姿を見るたびに切なくなった。ずっと働き続けて小さくなった消しゴムの様なオカンと、東京で阿呆のように遊びほうけているボク』

『オカンが交通事故にあったときも僕は帰らなかった』

風疹に掛かって友達誰もが寄り付かなくなったとき『たまらずオカンに電話すると、オカンはとても冷静な声でこういった。「大丈夫よ。明日、朝一番で行ってやるけん。待っときなさい」意識朦朧としながら眠ってしまい、次の日の昼に目が覚めた時には、頭にタオルがのっていて、オカンがベッドの横に居た』

『誰かの言葉の引用なのか、オカン自身の言葉なのかは解らないが、黄ばんだその紙切れは二ツ折りにされて日記の奥に隠されていた。

     母親と言うのは無欲なものです
     わが子がどんなに偉くなるよりも
     どんな金持ちになるよりも
     毎日元気でいてくれることを
     心の底から願います
     どんなに高価な贈り物より
     わが子の優しい一言で
     充分すぎるほど倖せになれる
     母親というものは
     実に本当に無欲なものです
     だから母親を泣かすのは
     この世で一番いけないことなのです 』

親子って一番身近なはずなのに、成人すればお互いのことを知らずに過ごしている。本心は友に話しても親には話さない。もう子供じゃないんだからと自分に言って聞かせても、やはり幾つになっても親にとっては子は子なんだ。

東京に呼んだオカンに孝行もしていると思うが、亡くなって見れば「あ~もしてやればよかった。こ~も言ってやればよかった」と後悔する。東京タワーの見えるところで住んでいたが、展望台に登る約束は果たせなかった。その約束を果たすため「オカンの位牌」と共に東京タワーの特別展望台に登った。と言う親子の物語なんです。

扉の題字は「オトンの字」を使っている。親孝行してるな~。

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