↑ 「菊菜の花」 花が咲いたので珍しいので撮りました ↓ こちらは有名な「菜の花」
今日から高校野球が始まりました。草取りをしながら、イアーホンで聞いており
ました。
先日、読書会の事を書きました。其のお友達が来られまして「ブログ読みまし
たよ、もしお留守ならポストに入れようと思って、お手紙書いて来ましたよ」って、
封書を手渡してくださいました。その中には「ブログ」のことと、「サミュエル・ウ
ルマンの詩(言葉)が書かれた書が入っておりました。
それが、上の詩です。これを見ましたとき、これではないが、同じものを読ん
だ記憶がありました。と言っても、はるか昔のことです。それで、ネットで調べ
てみました。翻訳ものですから、訳者によって、言葉が違いますが、より近い
ものを探し当てました。それがこの詩です。
これにはこういう注釈がついていました。
昭和40年松下幸之助(パナソニック創業者)が70になったばかりの頃、あ
る人から、古希の祝いにと一片の詩をもらいました。当時、幸之助は年齢を
重ねるにつれて肉体に衰えを覚え、それと共に気分的にも老いを感じる様
になっていた。この詩を見て、それで「これではいけない」肉体的な年齢が
衰えていくのは避けられないが、精神面では、いくら年をとっても若さを失わ
ず、自らの使命達成に取り組む気持ちを持ち続けられるはずだと、ひらめい
た。と言います。
そして、この詩を座右の銘にしたそうです。そして、昭和41年春、幸之助は
「青春」の詩を印刷し、額に入れて、全国の販売店、販売会社、代理店に贈
呈したそうです。
私が若い頃読んだのは、こちらの方だった気がします。そして若かった当時は
「そんなものか」と思い、今「なるほど」と理解します。
本当に良い言葉ですね。「肉体的な老いは仕方がないにしても、心の老いは
自らの考えで、何時までも若々しくいられる」って事ですよね。
私はこの頃よく思います。「この肉体的な衰えの辛さ、寂しさは、今まで生か
されているからこそ、経験し、感じるのだ。若くして、死を迎えていたなら、
全て経験できないことなのだから、ありがたいことだと思うことにしよう」
再び、この詩にめぐり合わせてくださった友人に感謝した、一日でした。