ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

薔薇とビスケット

2013年08月16日 | 読みました

  「高砂ゆり」   地味~な百合です  球根ではなく蝉の羽のような種から生まれます  (13-8-10)



兵庫県代表が負けてしまって、高校野球も楽しみが薄れました。昼に高校野球
を見て、夜にプロ野球を見ると、プロ野球が、なんだかダラダラしているようで、
覇気がなく感じます。トータルで優勝が決まる、プロ野球と今日勝たなければ、
優勝がない、高校野球との違いなんでしょうけれど…。

暑い暑い外は敬遠して、ミシンを踏んだり、本を読んだりして過ごしました。

     薔薇とビスケット     桐衣 朝子
     

この方の本を読むのは勿論初めてです。読んでいて、この筋書きの発想は男っ
ぽいな~と感じました。何故そう感じるのか分からないのですが、頭の片隅で
「おとこっぽいな~」という言葉がチラチラしていました。

主役は特別養護老人ホームで働く「徹(てつ)」です。一方、裏の主役といいます
か、徹の物語に出てくる女の一生は章代→千菊(芸者になったときの源氏名)
です。

徹が勤めている老人ホームの奇人?達の、若かりし頃に戻った時代に徹が戻っ
ていくお話。

徹はそこで自分を可愛がってくれた祖母の若き時代にも出会う。 もしタイムマシ
ーンで遡れるものなら、祖父母、父母までぐらいは遡ってみたいな~と思いまし
た。私は口数が多いほうではなかったので、可愛がられた祖父とどのように接し
たのかしりたいし、祖父が、私に対して、如何向き合っていたのかも知りたいと
思いました。

ホームではその人が夜勤の時に限って利用者(ホームの住人)が亡くなる事を、
その夜勤者の事を「引く人」というらしい。徹は「引く人」でなかってよかったと思
っている。

稲村という奇行の人は、戻った昔では、腕のいい板前で、真剣に愛した女性が
肺病(そのころは死の病といわれていた)であるのを承知で結婚する、相手は
50日足らずで死亡し、彼はその傷を引きずったまま生きたらしい。痴呆のに
なっても、板前であったことは覚えている様で、徹が稲村の作った?料理を褒
めると、その喜びを顔に残したまま、死んでいく。

千菊はホームでは身よりもなく人と話さずの老女だった。徹が彼女の昔に帰っ
た時、その美貌から売れっ子芸者であったが、身売りされた、親、兄弟に尽く
し続けて、借金まみれであった。好きな人(貧乏華族)で胸を病む男性と結婚
できたが、主人となった人は病ゆえに遠方に入院している。その主人に「掛け
た電話」故に、彼女の不幸な人生が始まる。

ホームで寝たきりの未来の千菊を見ているゆえに、徹が「絶対電話をするな」
という。

徹が再び現世に戻った時、そこには夫婦そろって元気で息子、娘がおり、その
孫までいるという幸せな千菊に出会う。その墓は稲村の女房(千菊の姉芸者)
の墓である。

千菊はいう「私は約束を守って、伊豆に電話をしなかったのよ。わたし、ず~
っと徹さんにお礼を言いたかったの。もし徹さんの言葉がなかったら、私の人
生がどうなっていたか…」電話をしなかったことで、運命は転換していた。

最後にいい場面で心安らかに読み終えることが出来ました。


本文の中で気になったり、なるほど!と思った部分

多くの介護職員、若い人にとって、「老い」は幻想なのである。老人の一人ひ
とりに、少年少女に時代があったということは、お伽噺の魔法使いと同じくら
い現実感がない。それは、自分が年をとるということに現実感がないこととイ
コールなのである。

お盆の奇跡=お盆に現れる、認知症の利用者に現れる「変化」はあまりにも
明確すぎて、「気のせい」で済ますことはできない。いきなり多くの利用者が元
気になるのだ。日ごろ録にコミュニケーションのとれない想い認知症の利用者
が、お盆の3日間だけ普通に喋ったり、笑ったりする。しかし、会話の相手は
職員や利用者とは限らない。時には居室で壁に向かって喋っていたりする。
話方も自然で、部屋を覗かない限り誰かと楽しく会話しているとしか思えない。

愛し合っている親子もいれば、憎しみあっている親子もいる。子供か親が一方
的に愛情を持っている場合もある。兄弟のうちどちらかだけを愛している親も
いる。自分に対する奉仕の度合いに応じて、子供への態度を変える親もいる。
親の介護を押し付けあう兄弟も少なくない。子供がいるのに、誰一人見舞いに
こない利用者もいれば、実の子供はいなくとも、年中見舞い客がくる利用者も
いる。



コメント
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