お隣の「花桃」 鉢植えの小さな木ですが、毎年綺麗に咲くのです (13-3-20)
今日は「お彼岸の中日」昼と夜とが半分ずつの日だそうですが、朝は曇ってい
ましたが、昼からは小雨が降り始めて、明るさの変化を感じることが出来ませ
んでした。
しかし、朝は早くあけるようになりました。6時25分の体操に間に合うように、6
時前には起きるのですが、冬はまだ外は真っ暗でしたが、今では物の形もはっ
きりと見えるようになっています。
小雨が降っているので、お買い物以外は家で本を読んだり、編み物をしたりで
過ごしました。
早々「おはぎ」買って来て、おにぎりと、イチゴと言う昼食を食べましたよ。
先日、産経に上の投書が載っていました。14歳の男の子のようでした。この子
はアメリカ生活が長く、「国旗国歌」を大切にする事を教えられて帰ってきたの
で、現状の日本を見て、驚き、「違うんじゃないか」と思ったのでしょう。
「国旗国歌」として「日の丸 君が代」を愛するものとしては、嬉しい言葉の数々
です。
「国旗国歌」を「戦争を思い出させる」「無理強いするものではない」とか言う人
の気持ちが私にはトンと理解できないし、息子たちが、そのような教育を受け
てきたとは露知らずです。当然「日の丸」を敬愛し「君が代」は歌えるものだと
思っていました。
そんな教育を受けた年代が、今教壇にたっているのですから、今は仕方がな
いかもしれません。でも、「日本国」はこれからも栄え続けるのですから、今か
らでも遅くありません。
「オリンピック」の時だけではなく、学校行事には「日の丸」を掲げ、「君が代」
を歌える日本人を育てて欲しいと願っています。
わたしが過って尼崎市会議員も、兵庫県会議員も投票した人が、「国旗国歌」
は無理強いするものではないと言う考えの人であった事を知ったとき、驚きと
言うか、寂しさと言うか、後悔と言うか、複雑な寂しさを感じました。
その上に「国旗」を公舎に掲げようと言い出した会派が、毛嫌いしていた人た
ちであると知った時は、呆然としてしまいました。しかしこの人たちも何故か「学
校」には触れないのです。
「国旗国歌」を「国民のシンボル」と疑うことなく自然に思える教育改革を心待
ちしています。