「サルスベリ」 こんな優しい花色は初めてです ホームドクターの待合室で (12-9-7)
勿論、お医者さんにカメラを持っていく事はありません 家に帰って、カメラを持って、再び行ったのです
今日は「唱歌の学校」でした。嬉しいことがありましたよ。私が歌いたいと思って
いた、東日本大震災の応援歌「花は咲く」の楽譜を持ってきてくださった方が居
て、一応、候補曲になりました。歌いたい歌が歌える、こんな幸せはありません。
又、頑張って、通学し甲斐がありそうです。
94歳。寄りかからず。前向きにおおらかに 吉沢久子
この数年の傾向だと思うのですが、本の題名に、「句読点」が付くようになり
ました。この本もそうですが、やはり、何となくすっきり感がなく、なじめません。
「詩歌」や「題」には「句読点」をつけないという習慣がありましたよね。それが、
如何して、このように崩れてきたのでしょうか? それともう一つ、嫌に「長~
い題名」が多くなりました。これもね~、内容を短い言葉で表す手間をサボっ
たように感じますが、こう考えるのは私だけ?
本当にお元気で、94歳の現在まで入院したことがないといわれる。76歳ま
で入院したことがないとひそかに誇っていた私が、恥ずかしい。もう20年吉
沢さんのように元気で居られる補償がないのにね。
知り合いの娘さんが、怠けている家事手伝いにきてくれたそうです。いつも自
分でしていたことをしてもらった。又、一人の生活が始まった時、今まで、一人
でしていたことの手順を忘れていた。
一人の時は朝食が済むと、食器をひとまとめにして台所に運んだ手に、薬のた
めの水を食卓にという手順だったのに、人に食事が済むと片付けてもらい、デ
ンと座っていると、薬の水を運んでくれて、それで薬を飲む。それが数日続い
ただけで、もう自分のルールを忘れてしまって、食卓に戻ってから、薬を飲む
水を持ってくるのを忘れていることに気づいた。
何もかも人にしてもらえる生活は、しあわせのようだが、それがいいとは思わ
ない。それは、頭では思っていても、体はできるだけ楽を望むのか、私は数日
で変わった自分にショックを受けた。ひょっと気をゆるめたら、無限に楽な方
にいってしまう自分に、甘えていたら下降線をたどるだけだぞと、きびしい声
をかけた。
そうなんですよね。楽しよう楽しようとする自分が居るのです。自分に発破を
かけないと自滅しそうです。我家の姑は彼女が60歳の時、私が来て、全て私
がしていたので、上げ膳据え膳だった。なのに、私は未だに家事全般をしてい
る、と羨むことがあります。94歳の西沢さんが頑張って折られるのを見て、
私も頑張らなければ、頑張れる身体を持っているのだからと思うのですが…。
捨てるものを選ぶのにも決断が必要。中々捨てられなくて、物がたまる一方で
す。一番身近な着るものにしても、中々捨てられない。一大決心して捨てたこ
とがありますが、捨てた事を忘れて、着ていこうと探し回ったことが在ったり
して、又たまっています。この度の入れ替えの時、色はげしたものは捨てよう
と思っていますが、頑張って実行できるかしら。
「一人が気楽で一番いい」と言う人が増えているが、病気をしたとき、入院と
か手術と言うことになると、「親族」のハンコがないと、手術さえ拒まれる。
私は今は亡きれいこさんのことを思い出した。彼女は会に出席して、その場で
倒れた、救急車が来るまで、私は後ろから彼女を支えていた。噴出してくる汗
は普通ではない、脂汗だった。他の人がご主人に連絡したが、生憎外出で連絡
が取れなかった。病院に運ばれた彼女は、数時間手術を受けることが出来なか
った。意識を取り戻すことなく7年あまりの入院生活、その間私は思っていた。
「ご主人とに連絡がすぐ付いて、手術をしていれば、意識のない、生かされて
いるだけに7年ではなかったのではないか」
吉沢さんや曽野綾子さん達、先輩の言われるように、動けるときは動こう。働
ける頭は働かそう、頑張ろうと言う感想です。