ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

レンピッカ展

2010年07月08日 | 一寸そこまで

                六甲の山並みの上に立つ雲の山

夕べ9時ごろ西の空に光るものを見たと書きました。あれは私の錯覚ではなか
ったようです。

中国の空港が昨夜9時ごろレーダーに正体不明の飛行物体が映り、空港を一時
閉鎖したと、今、パソコンニュースで読み驚いています。


                   外壁に設置された大きな看板


「レンピッカ展」を見に神戸に行ってきました。始まった頃にテレビで見てとても
見たかったのです。久しぶりに、私にとって満足満足の展覧会でした。

タラヤ・ド・レンピッカ:1920~30年にかけてヨーロッパを席巻した、アールデコ
を代表する画家。結婚した相手が働かず、生活に困って、絵を描き始めた。
肖像画が主だった。美人であるし、腕も確かと人気者になる。生涯に二度結婚し、
1度目の夫との間に一人娘を授かっている。1898年生まれ、1980メキシコで
死す。遺言によりメキシコのポポカテペトル山(活火山)の火山口に散骨された。

1980年と言えばオユキさんはメキシコで生活していましたから、レンピッカの話
など知っていたかも知れないな~と又彼女を思い出しました。メキシコの有名な
山が(女体が寝そべっている姿の山)彼女の家の窓の正面にあったのを思い出し、
調べてみましたが、その山ではありませんでした。

窓から「あれが頭部、つぎの高さが胸のふくらみ…」等と指差しながら教えてくれ
ましたっけ。もう一度行きたかった。オユキさんに会いにメキシコへ。

絵を描かない私ですから、間違った見方かも知れませんが、「色の置き方、影の
つけ方、色使い」等々日本の「東郷青児」に似ていると思うのです。実際に見比
べてみると違うのですが、私には感覚的に同じと感じるのです。

1枚の絵が、私が少女の頃愛読した「ひまわり」「それいゆ」の中原淳一の絵
(顎の尖りとか、首の感じ)を彷彿とさせるものがありました。よく投稿して、たま
に載るととても嬉しかった事など思い出しました。因みに中村メイコさんの投稿
文は毎号載っていました。

レンピッカは1898~1980年の人。東郷青児は1897~1978年。同世代を
生きた二人、男と女の違いこそあれ、同じような感性の絵を描く星の元に生きた、
とは考えられないでしょうか? ちなみに中原淳一は1913~1983年です。

元町に出て、行きつけのトンカツやさんに行きました。「色いろ老化して、食が細
ったと言いながらも、まだ胃腸が丈夫だから、こんなものも食べられて、ありがた
いことだね~」と言いながら頂きました。

食べたいものを沢山買って帰りました。こりゃ、痩せられんわ!




    
       私の買った絵葉書3枚  これは1枚160円でしたからとても綺麗です

    

    











コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする