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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

東京タワー オカンとボクと、ときどきオトン

2007年05月08日 | 映画の話
           砥草  大谷美術館
        何ともいえない緑が目を奪った
          竹と同じ茎の中は空洞

「東京タワー オカンとボクと、ときどきオトン」を見に行った。

10時上映、大阪に20分前に着いた。会館の手前で気が付いた「あれ?此処じゃなかった、あっちじゃない?」窓口まで行って確かめたが「ない!やっぱり」

踵返して次なる場所へ・・・。地上を行けば良いものを、何時も地下の道だったので、初めての地下への階段を下りた。地下は何処かで繋がっていると思ったのが間違いだった。実際繋がっているのだろうが、私には解らなかった。同じところを大回りでグルグル回っていた。

上映まで後5分、だんだん焦ってきたが、解らない。とうとう来合わせた娘さんに「すみません、噴水のある場所へ行きたいのですが」「噴水?泉の広場のことですか?」「階段を上がると映画館がありますよね・・・」「ええ。途中まで一緒ですから・・・」と言う彼女に必死に付いて行く。「有難うございました。助かりました」と分かれたのが10時。

小走りで会館へ、8階へ。モギリのお兄ちゃんが「本編は10時15分からです」と嬉しい知らせ。10時10分である。館内は真っ暗、自分の席は中央で満席で行けそうに無い。一番後ろが一つ空いていたので、そのまま其処で見た。

平日の1番最初だと言うのに、8割方埋まっている。「すごい人気だな~」と今更ながらに思う。

2005年6月から雑誌に連載されたそうだ。第一回目から映画プロヂューサーの間では「これは新しい国民的文学になる」との直感があったと言う。監督の松岡氏は一読者として、サイン会に並び「映画化するなら私に撮らせてください」と売り込んだそうだ。

本になってからは既に220万部と言うベストセラーだそうで、既に韓国、台湾でも発売されベストセラー入りしているらしい。それ以外の国々からも引き合いが来ていると新聞で読んだ。世界的なベストセラー入りも間近いようだ。

原作家の「リリー・フランキー」と言う名も知らなかった。良い映画だと言う言葉に釣られて何も知らないまま見に行った。だから樹木季林さんの娘、内田也哉子さんが若き日のオカンをしていることも知らずに行きましたから、何か雰囲気の似た人を使っているな~と思いました。実の親子ですものね~、似ているはずですわ。

物語としてはオトンと離婚?してオカンは自分の故郷に帰り女手一つで息子を大学まで出す。母親の身を粉にして働いたお金なのに、ボクは大学にも行かず遊びほうける、留年が決まった時、オカンは「私も一年頑張るから、お前もがんばれ」と言う。ボクも発奮して目出度く卒業。同じ頃、オカンはガンに罹る。働けなくなったオカンを東京に迎える、幸せの日々は短く、オカンのガンの再発、自宅療養さすべく広い家に越すが、オカンはボクの用意した新しい部屋で生活する事無く、東京タワーの見える病室で最後を迎えてしまう。

日本中何処にでもある様な普通のお話である。泣けるのである。涙がするすると頬を伝う。今こうして書いていてもなぜかしら泣ける。特に息子を持つ身にはたまらない映画である。母と息子の愛の通い合い。幸せだったろう。ボクの妻になると信じている娘とも気が合い仲良し・・・。オカンは環境に負けない、明るく前向きである。全てが愛おしく、泣けるのである。

隣の女性二人「このまま出られないね、化粧し直さないと」コーラーを飲みながら泣いていたっけ。トイレの鏡に瞼は腫れ目は真っ赤、一目瞭然泣いた私が写って居た。


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不都合な真実

2007年03月10日 | 映画の話
              富士国際花園
            フクシアのあかちゃん?
           まず雄しべ雌しべが伸びて
       それを囲むように花びらが下りてくるのかな?

「不都合な真実」見てきました。地球温暖化のお話だという知識しかなく行きました。

地球の温度が上がり、二酸化炭素が増えればこんなことが起こるのよ、あんな事も起こるのよと言う話は聞いていましたが、想像以上にすさまじい変化があることをこの映画で知りました。

旅行が大好きな友が最後に選んだのが、氷山を見るツアーでした。スクリーンで温暖化のため氷がすさまじい勢いで水面に没していくのを見た時、友が言っていた事を思い出しました。「船は氷が何時崩れるかも知れないから近づけないの。見ている時に、氷が轟音と共に崩れて落ちたのよ。その後現れた亀裂面の氷は青く透き通ってとても綺麗だったの」画面からは美しい感じは受け取れなかったのですが、崩れて水面に没した氷が解けて、海水が増えたら没する土地が出てくることは容易に想像できました。

世界各地で起きている台風や豪雨、皆、地球温暖化が被害を大きくしているらしいと言うことも良く分かりました。

日本は人口減少を嘆いているけれど、世界ではまだまだ地球の大きさに対して人口が多すぎる。中国が人口増加を抑える為、一人っ子政策を採ったのは、自国のみならず地球の為にも良かったのだとふっと思いました。でも現実は男の子欲しさに2人3人と戸籍の無い子が生まれていると聞く。戸籍が無い子供が大きくなったらどうなるのですか?就学は?就職は?どうなるのでしょう。

大統領選挙に敗れたアル・ゴア氏(元副大統領)が目標を失った時、学生時代から研究の対象であった「地球温暖化」による地球の危機感をもっと世間に広めようと、「スライド講座」で世界中を回り「地球温暖化」を食い止めようと活動している。「地球温暖化」の改善には大元であるアメリカで反応が鈍かったらしいが、このゴア氏の地道な活動による成果は、だんだんアメリカの北部沿岸からじわじわと浸透始めているようだ。ゴア氏の「スライド講座」はこの映画作品が生まれた時点で、すでに1000回は越えていたそうだ。

日本にも来られたらしいが、私の記憶に無い。これは「地球温暖化」「二酸化炭素を減らせ」は他人事であると思っていたからだろう。「京都議定書」についても余り興味が無かった自分を恥ずかしいと思った。

普通いろんな講座は90分だが、「スライド講座」もそのくらいである。聞くだけ、見るだけより、見て聞くほうが理解し易い。この映画がドキュメンタリーと知らず、物語であると思っていくと少し失望するかも知れない(見終わった主人の第一声『眠たかった~』)でも「講義」を聴いているとするなら、とても分かりやすいし、引き付けられる講義だと思う。

ラストの方で「この映画を見に行ってください」とお勧めくださいという字幕が流れた。私達は1000円で講演会に行ったと思えば、「地球温暖化」の色んな知識を受け取れて、内容の濃さの割りに安価でよかったと思っています。

最後に救われる言葉として人間の起こした不都合、人間がその過ちに気が付いて、悪くなる状態を直そうと努力すれば、今からでも充分間に合うと言う言葉です。後に続く子供や孫、ひいては地球に生存する生き物達全ての為に、人間の便利さ快適さを求める欲望を叶えた結果として起した、この問題を個々が真剣に考える時が、今を置いてないとスクリーンは叫んでいた。
                       (320回)

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それでもボクはやってない

2007年01月22日 | 映画の話
            (見~つけた)
            白も良いですね
         年末には忘れずに買いましょう
      今、1月、私には12月は飛んできますよ

「それでもボクはやっていない」を見に行った。題名で長くて漢字のないのも珍しいね。今週は見たい映画が沢山あって迷ってしまう。結局「冤罪」「裁判」と言う事に引かれてこれに決めた。

実話があったと記憶しているが、設定は変えてあった。主人公はフリーターで、就職の面接に行く電車の中の出来事、母親と親友が助ける中心だが、実話はサラリーマンで、妹が兄の冤罪を晴らそうと運動した。

周防監督が3年を掛けて裁判について取材し、11年ぶり(シャル ウイ ダンスからそんなに経っているとは、吃驚!)にメガフォンを取った。

主人公のフリーターの青年が就職の面接を受けに行く電車の中で、痴漢と間違われた裁判で「無実」を主張するが、結局は有罪となり、「控訴する」と言う言葉で終わっている。

日本の裁判制度の問題点を浮き彫りにしつつ描いていく。被害者の女の子の出廷場面では、傍聴席との間に仕切りが立てられるとか、この事件のように猥褻事件には、それ専門に傍聴するオタクが居る等、今まで知らなかった事を見せてもらった。又、痴漢行為にも種類があり、スカートの上からさわれば「迷惑防止条例違反」直接さわれば「強制猥褻罪」に分かれる事も知った。

女の子のあやふやな発言にもいらいらした。「あんたのその言葉で、青年のこれからの未来に濃い影落とす事になるのだ」と叫びたかった。弁護士は数をこなさなければ、実績を認められないとか、そのため同時進行の事件を多数持つので、一つことに時間を割いておられないとか、色々知った。

二時間半に近い上映時間だったが、のめりこんでいる内にアッと言う間に時間がたった。でも気持ちはイラついていた。裁判では許可がなければ、又質問に対する答えだけしか許されていない為、被告も、その応援者も退場を恐れて無言である。

私自身「彼は無罪だ」冤罪ものだと信じて見ていて「そうじゃないでしょう!」「何言ってんのよ!」と叫びたいのを我慢して見ている訳だから、凄いストレスがたまったかなと思うけど、でも不思議と疲れは感じなかったのは何故だろう。

ジムに行く道筋に、簡易裁判所がある。今、建て増しの工事中である。此処にもテレビで見るような網目のあるガラス窓の輸送車を何度か見たことがある。神戸の裁判所の内部は見学した事はあるが、実際に裁判が行われているのは見たことがない。

主人と「一度裁判を見よう」と言いつつもう何年経っただろう。でもやはり同じ経験するなら「簡易裁判所」ではなく「裁判所」の傍聴席に座りたいな~。

昔から映画は大好きだ。その頃の日本映画は大方が3~4本立てし、見たところから見た所まで、洋画の場合だと2回ぐらい見ることもあったけれど、今は一回きりしか見られない。洋画の封切映画の事を「ロードショウ」と言って料金が高かった。その点で言えば、今は粗方「ロードショウ」だ。

今のように若者の遊び場所も無かったし、若者がお酒を飲む場所に出入りする事も無かったから、お付き合いの初めは「映画に行こう・・・」ではなかったかしら。

若者がお酒の場に行きだしたのは「からおけ」の出現も大きな要因ではないかしら。今のように、それ専門の「カラオケボックス」なんて無かったし。そして女子がおじさま族の憩いの場所、居酒屋や温泉に興味を持ち、進出し「おやじギャル」何て言葉がはやって久しい。世の中変わったね~。
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硫黄島からの手紙

2006年12月18日 | 映画の話
             月下美人
      現在の硫黄島では初夏の星降る夜に
        群生で咲いているそうです
       叶わぬ夢ながら見てみたい!

上映されてから10日目の今日やっと行って来ました。何時も空いているので一番の上映に行くのです。今日は違っていました。7分方座席は埋まっていました。勿論この時間に来られるのですからシニアの方が多いです。

2時間21分と言う時間を感じさせない映画でした。「父親達の星条旗」(ブログ11月20日)と対になった映画です。「散るぞ哀しき」(ブログ7月19日)の栗林中将の話と1人合点していたが・・・。

勿論栗林中将の手紙も出るには出てきたが、それが主では無く、映画のストーリーとしては今の硫黄島の壕内の発掘場面から、大戦時代の壕を造る為の発掘場面への展開、そして最後には又現在の発掘場面で、掘り出されたものが「家族に宛てた届けられなかった手紙」であり、この映画の題名となったらしい。

あの手紙が掘り出されたのはフィクションなのか、事実なのか考えてしまったのですが、その時私の頭を過ぎったのは「硫黄島から戦場の郵便配達」(ブログ12月10日)のコメント欄に「とおりすがり」さんから頂いた。『手紙は60年以上前のものとは思えないものでした』と言うのはこの手紙の事だろうか?袋からはらはらと舞い落ちる葉書は現実のものならば、大切に扱われるだろうから、やっぱりフィクションなのかな~。

画面はモノトーンと言うかセピアと言うか、白黒映画と言うほど濃淡がはっきりしているわけではなく、柔らかい一色の濃淡だった。爆弾や機関銃等の弾の炸裂の色だけが赤だった。赤色の存在を示しているとはいえ、決して目を剥くような赤ではなくやはり柔らかさを感じた。

戦闘場面が90%の映画でありながら、目を背ける事無く、過去の事実として、受け入れつつ見れたのは、この暖かいというか柔らかい色調にあると私は思う。

日本の陸軍と海軍は犬猿の仲であるとは周知の通りで、硫黄島でも栗林中将の赴任まではお互いに連絡する事無く、独自で動いていた。栗林少将は着任後直ぐに海軍と連絡を取る事を要請した。「硫黄島から・・・」の時にも一寸触れたが、市丸海軍少将が赴任後は上手くいったようである。

栗林中将と意見を異にする伊藤中尉は自決ではなく体に爆弾を巻きつけて敵の戦車に突っ込んで、我身もろとも戦車もやっつけようとするが、そのチャンスは訪れなかった。又、兵隊西郷は栗林中将の遺体を人知れず埋葬し後、敵兵に見つかるがそのうちの1人が、栗林中将の自らの命を絶ったピストルを腰に付けているのを見つけ大暴れする。映画にその二人のその後は無いのだが、捕虜となって帰国した人の中に含まれているのではないかと思った。

兵隊西郷は兎も角、伊藤中尉の方は死を決したのに死ねなかった、部下は戦死させた。心の重さゆえ、故郷の土を踏めたとしても、硫黄島のことは一切口にしなかったのではないかと思う。

99%日本語なので字幕翻訳の戸田奈津子さんは、何時もと反対で、日本語を英語に訳されたのだな~と、アメリカの興行は感度良好とか、戸田さんの言葉もその一端を担っているのだろうな~と思った。

覚書を見ると、去年の今日「男たちの大和」を見に行っている。あの映画は見終わった後は「あ~疲れた!」と言う感じだった。この映画にそれは無かった。「考えたい」と言う気持ちが残った。皆さんもそうだったと思う、出口に向かう人々は誰も無言で斜め前方の足元を見つめながら去っていった。
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親父達の星条旗

2006年11月20日 | 映画の話
         ご近所では「菊の佐藤さん」と
          呼ばれておられるそうで~す

夢の様な一日が過ぎて、朝湯にゆったり浸かりながら、昨日の事を思い出していた。今更ながらに人を信じる力の強さを思い知った。日本一大きな政党を宗教団体を相手に白井さん一人を信じて行動した私達。

やればできる信じた事をやりぬく事。その心に一票を投じた私達。信じて行動を起すって凄い事だな~と勝利を喜んでいると、私の頬に涙が伝い始めた。私は泣いた。昨日は唯々嬉しかったが、今日は泣いた。10万の人々の信じる心に静に泣いた。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「父親達の星条旗」を見に行った。神戸か大阪に出るつもりだったが、主人が「いこか」といった時間が中途半端で、市内の映画館なら丁度いい時間という事で行った。でも後悔した。映画はやはりゆったり感のある所がいい。シートもトイレも良くない。値段が同じならやはり綺麗な方がいい。此処からなら大阪まで12分、神戸迄でも23分もあれば行ける。地元でいいのは普段着のまま行ける事だろうか。

7月19日に書いた「硫黄島」「散るぞ悲しき」栗林中将の事を書かれた本を読むまで「硫黄島」の事はその名のみで其処で行われた熾烈な戦いに付いては何も知らなかった。70年間知らなかったという事である。

屋久島のフェリーの船上から、はるか彼方に小指の先ほどに見える三角形あれが硫黄島と教えられた記憶があるが、硫黄が吹き出るから硫黄島程の認識で、戦後米軍基地、今は自衛隊が使っているとは知らなかった。

一般人は上陸できないが「月下美人」の群生地があり、降るような星空の元「月下美人」が咲き誇る様は素晴らしいらしい。

すざまじい死者の悪臭を消す為、アメリカはねむの木の種を蒔いたとも言われている。

「擂り鉢山に星条旗を掲げた海兵隊員」の写真は見たことはある。1945年に3セント切手となって売り出され評判となり、1億5,000枚以上売れたそうだ。今でもアメリカの小学校の歴史の教科書に載せられている。

この映画はアメリカでは余り入りが良くないらしい。アメリカ人が見ていい感じを受けないものだからだそうだ。

硫黄島における戦いを相対する国の夫々の面から、描くというような映画は始めてみる。今回の「親父達の星条旗」はアメリカ側からのものである。

3日間で落とせると物量作戦で戦うアメリカ、迎え撃つ日本は物が無い、栗林中将の作戦のみの戦いでありながら、1ヶ月以上持ちこたえる。歴史を曲げるわけには行かないからアメリカ人としては見たくない映画かもしれない。

私達は豊かなアメリカと戦ったとだけ知らされていたが、あれだけ物量作戦をすれば、アメリカといえども物が無くなる。新しく武器を作るのはお金がいる。その金集めのために星条旗を立てた(6人の内3人死亡)3人が英雄として奉られ利用される。その末路は決して幸せではなかったと知らされた。

2部目の「硫黄島からの手紙」は日本側から見たものである。グアム・サイパンから本土までの丁度中間点にある「硫黄島」を中継基地にしようとアメリカが狙ってくる。させまいと頑張る日本。それを指揮した栗林中将の家族への手紙から描かれていると思う。

是こそ私の見たい映画である。本を読んでいるので、その反対に居たアメリカがどんな様子だったかを知る為には、今日の映画も見ておいてよかったと思ってはいる。

12月の封切らしいのが待ち遠しいが、今月末には北朝鮮の拉致被害者「めぐみ」も公開されるので是非行きたいと思っている。風邪を引いている間はなさそう。





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UDON

2006年09月25日 | 映画の話
             神戸花鳥園
          コリウスも色々あって
       小葉で模様が密なのが珍しかった

昨日お墓参りに行った。バス停に行くと、若い夫婦がさっと立ち上がって「どうぞ」と椅子を譲ってくれた。日の当たる場所で本当は座りたくなかったのだが、気持ちが嬉しかったし、もし私が好意に甘えなければ「お年寄りに席を譲っても喜んでくれない」と彼達の親切心を摘み取ってはいけないと、背中に強い日差しを受けながら座らせていただいた。

今日は「UDUN]を見てきた。「うどん」が映画になるの?どれどれ見てみましょう・・・。うどん大好きだった私、でも最近は蕎麦党に、蕎麦って血圧下げるって言うでしょう。笑って、ちょっぴり悲しくて、それが交互にまじって「今泣いたカラスがもう笑ろた」状態。

主人公は「此処(讃岐)には夢が無い。うどんしかない」と自分の笑いの力を試そうと、ニューヨークに行ったが、世の中そんなに甘いものではない。挫折して故郷に帰ってきた息子に父が言う「皆を笑わすのは簡単やろ、美味しいもん食べたら皆笑う」本当にそうだね。美味しいものを食べると、自然に笑顔になり会話も弾む。これで太らなければ言う事なしなんだけど。

主人公が帰ってきた事を口コミで知った友が「田舎の口コミバカにしたらあかんでぇ~、インターネットより早いでぇ~」と言う台詞が面白かった。娯楽の少ない地方では「他人の噂」は結構な娯楽だったろう、今のように携帯が普及すれば尚更噂話は駆け巡るだろう。ネットは自分からアクセスしないと見れないけど、口コミはあちらからやって来る。

全国で一番小さな県、香川で100万人の人口に対して900件のうどんやさんがあるそうだ。東京都1200万人にマクドが500件、比べてもいかに香川にうどん屋が多いことが分かる。

所々に有名人の顔がチラリチラリ、ボランティアかな?・・・なんていらぬ事を考えながら。

設定が讃岐富士の見える場所(讃岐富士と言う説明は一切無いが、私が撮った山と形が同じで丸亀城を過ぎた辺りで見た方向とも一致そうだと確信している)始終お山が写っているので否が応でも遍路を思い出した。

BGMに「カルメン」の組曲「何で?カルメン?」と思うが、確か「闘牛士の唄」だと思うが、これが又何となく合うんです。何度となく聞こえ、消えていく自然なんです。

唯「キャプテンうどん」と言う意味が私には分からない。所々に子供の好きなアニメ風の場面があったり、ウルトラマン風のキャラクターが出てきたりと理解できない場面もあったが、それを除けば嬉悲しい映画でした。

戦前うどん屋さんに風邪薬ありましたよね。「うどん」とその薬を飲むと風邪が治るって、母に連れられていった覚えがあります。「うどん屋の風邪薬」今はもうないのでしょうか。

映画の中にもお遍路さんの後ろ姿が出ていましたが、私も遍路中、讃岐うどんを食べるのを楽しみにしていたが、「うどん」は伊予の松山で2度、讃岐ではとうとうおいしい「うどん」に巡り合えませんでした。

信号待ちしていた子供ずれの若いパパに「美味しいうどん屋さんを知りませんか」と訊ねました。「在るんですが今日は日曜なのでお休みなんです。栗林公園の前にうどん屋はありますが、観光客用ですからね・・・」仕方が無い其処に行こうと店の前に来たが、どうも入る気がしないお店。ふとその2,3軒先に小さなうどん屋さんを見つけた。出窓には、店の紹介の記事の載った雑誌が開けて飾ってあった。
まぁまぁのお味でした。お腹ぺこぺこでしたし。

晩御飯?勿論「うどん」でしたよ・・・。
                        (170回)

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出口のない海

2006年09月18日 | 映画の話
          間もなく刈り取られる
          都会の真ん中の田んぼ
     田植えの頃から見続けてきた、今年は豊作

台風の余波の強い風、それでも伊丹まで出る。駅は人で一杯。「台風が来ているのに、皆よう出かけるな~」自分達のことは棚に上げて話す。

切符売り場は長蛇の列、3連休最後の休日、子供の映画が2本掛かっているので、これだけ子供が居るのに、これでも少小化?と言いたくなるくらい、子ずれの家族で一杯。「敬老の日」より「こどもの日」の感あり。

戦前、私の「敬老の日」は「敬老会」と言った。祖父母と住んでいる子供だけで劇(浦島太郎)や唱歌を歌って、祖父母に見て貰った。何時だったか何処の学校でもそうだったか知らない。神戸の小学校に通っていた私の体験である。

私も劇に出たが、私は端役の「鯛」だった。舞台のすそで出番を待ちながら、乙姫さん役のはしもとさんを見つめて「私も乙姫さんやりたかったな~」と羨んだのを昨日の事のように覚えている。はしもとさんは勉強の良くできる人だった。肝心のおじいちゃんの事だけど、勿論見に来てくれたと思うのだが「はしもとさんの乙姫さん」以外の記憶は全く無い。

映画「出口のない海」は6分の入りで案外の観客数だった。若い人は海老蔵フアンだろう。海老蔵さんも海軍の軍服が良く似合って凛凛しい青年だった。鈴を張ったような大きな眼が国を信じ、家族を思い志願する青年の心を写している様でとても良かった。昔から「男の目には糸を張り、女の目には鈴を張れ」って「男の目は細いほうが良い」と言う喩だけれど、男の大きい目も良いね。

三浦友和さんや古手川祐子さんが父母の役で時代の流れを感じた。三浦友和さんの若い頃は余り好きではなかったけれど、良い感じで素的な中年になられた。実生活の百恵夫人との生き様が顔に現れている様で良い感じ。

台詞の中にもあったけど「回天があった事実を知ってほしい。その為に死んでいくよ」人間魚雷、戦争も終わりに近づいたとき、魚雷の的中率が悪くなり、その中に人間を入れて操作させ的中させようと言う考えだ。「回天」は外から施錠され、自分から開けることは出来ない。複雑な操作を覚えても、機械の故障で飛び出せない、二度までも故障で生還した友が「もう軍神になることしか自分の道は無い」だから主人公(並木)の「回天」に代わって乗りたいと土下さする。

並木にはその心が理解できなかった。しかし並木も機械の故障で同じ目にあう。世間も軍も並木に冷たい。そのとき初めて友の心を理解したのではないだろうか。

この映画には敵が出てこない。敵は望遠鏡に映る船影だけである。「回天」に乗ったときの青年達の死を決しているとはいえ、人一人入るだけの空間しかない、複雑な操作を完了したその先には「死」あるのみ、その時の個々の感情に重きを置いているからだろう。

こんな恐ろしい物を考えたのは誰だ!考えた人は自分が乗る事は考えもしなかっただろう。戦争とはそういうものかも知れない。でも「回天」を考えた人はどんな人か知りたいと思った。志願した青年達もまさかこんな恐ろしい乗り物とは知らされないでいた。最後の日、帰宅を許されはするが軍の機密ゆえ、家族に「死にに行く」事を語る事は許されない。あの時代に生まれた青年の悲劇であり、親の悲しい定めである。

先日読んだ「硫黄島」が渡辺健主役でアメリカと日本と両方から見てと言うことで合同映画化される。戦いに散った命のお陰で、その時代子供であった故に今の平和の中に居る幸せを感謝する為にも又見に行こうと思う。

















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ダヴィンチ・コード

2006年08月02日 | 映画の話
               ???
       花の会から頂いた花、名札が何処へか・・・
        花びらの直径2㎝程花の長さ5~6cm
             葉は韮のよう

行って来ました。やっと・・・「ダヴィンチ・コード」。初日に行った息子に「良かった?」と聞くと「う~ん、まあまあや」と言う答えに、見たい心が萎えていた。今日主人が運転免許書書き換えの為の講習を受けに神戸に行くので、私は大阪に映画を見に行く事にした。

行って見ると切符売り場は大変な人ごみ「???」「今日は水曜日でご婦人が1,000円で見られる日だったのです。「えらい日にきてしまったわ」「今日はましですよ昨日(1日は映画の日で誰でも1,000円)はものすごい人でしたよ」とチケット売り場の人。何時もは「シニア1,000円」のチケットが今日は「婦人1,000円」のチケットだった。こんな時だけは「男女同権」と叫んで振り上げる拳は後ろに隠すんだ。

あんなに長い小説を2時間半と言う時間に押し込めるのにはやっぱり無理があった。「風と共に去りぬ」だって前編後編なのに、小説の長さは「ダヴィンチ・コード」の方が長い様に思うが、切り刻んで無理してる。「あんな場面あった」「こんな場面あった」と思い出したけれど結局は小説を読んだ時の様な面白さは感じなかった。

今私の心に残っているのは終わりの方でパリの夜景の場面、エッフェル塔の天辺にサーチライトがぐるぐる廻っていて、「エッフェル塔にはサーチライトが付いているんだ!」と筋とは関係ない所に感心しただけだった。東京タワーの天辺はどうかな?付いてるかな?

ヨドバシカメラに「動画はプリント出来ないか」と訊ねに行った。主人が旅行中の写真を間違って「動画」にしてしまったのでプリント出来ないのである。3~4年前、前のカメラで私も間違った事がある。その時は出来ないと言う答えだった。

しかし今回は違った。「動画を静止画にするソフト」が売り出されていたのである。「お幾ら位するのですか?」と聞くと、後ろを指差して「会社によって色々ですので・・・」そこには売り出し中らしく「動画を静止画にするソフト」が四角く堆く積まれていた。値段は8,000円~10,000円する。たった4枚の写真の為に、普段は静止画しか取らないので高すぎるので買わないで帰って来た。パソコンの周辺機器も日進月歩しているんだ。光線を感じて動く手持ちの計算機が光を感じなくなり計算出来なくなったので、一番安い(275円)小さな計算機と印画紙を買って帰って来た。







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