間もなく刈り取られる
都会の真ん中の田んぼ
田植えの頃から見続けてきた、今年は豊作
台風の余波の強い風、それでも伊丹まで出る。駅は人で一杯。「台風が来ているのに、皆よう出かけるな~」自分達のことは棚に上げて話す。
切符売り場は長蛇の列、3連休最後の休日、子供の映画が2本掛かっているので、これだけ子供が居るのに、これでも少小化?と言いたくなるくらい、子ずれの家族で一杯。「敬老の日」より「こどもの日」の感あり。
戦前、私の「敬老の日」は「敬老会」と言った。祖父母と住んでいる子供だけで劇(浦島太郎)や唱歌を歌って、祖父母に見て貰った。何時だったか何処の学校でもそうだったか知らない。神戸の小学校に通っていた私の体験である。
私も劇に出たが、私は端役の「鯛」だった。舞台のすそで出番を待ちながら、乙姫さん役のはしもとさんを見つめて「私も乙姫さんやりたかったな~」と羨んだのを昨日の事のように覚えている。はしもとさんは勉強の良くできる人だった。肝心のおじいちゃんの事だけど、勿論見に来てくれたと思うのだが「はしもとさんの乙姫さん」以外の記憶は全く無い。
映画「出口のない海」は6分の入りで案外の観客数だった。若い人は海老蔵フアンだろう。海老蔵さんも海軍の軍服が良く似合って凛凛しい青年だった。鈴を張ったような大きな眼が国を信じ、家族を思い志願する青年の心を写している様でとても良かった。昔から「男の目には糸を張り、女の目には鈴を張れ」って「男の目は細いほうが良い」と言う喩だけれど、男の大きい目も良いね。
三浦友和さんや古手川祐子さんが父母の役で時代の流れを感じた。三浦友和さんの若い頃は余り好きではなかったけれど、良い感じで素的な中年になられた。実生活の百恵夫人との生き様が顔に現れている様で良い感じ。
台詞の中にもあったけど「回天があった事実を知ってほしい。その為に死んでいくよ」人間魚雷、戦争も終わりに近づいたとき、魚雷の的中率が悪くなり、その中に人間を入れて操作させ的中させようと言う考えだ。「回天」は外から施錠され、自分から開けることは出来ない。複雑な操作を覚えても、機械の故障で飛び出せない、二度までも故障で生還した友が「もう軍神になることしか自分の道は無い」だから主人公(並木)の「回天」に代わって乗りたいと土下さする。
並木にはその心が理解できなかった。しかし並木も機械の故障で同じ目にあう。世間も軍も並木に冷たい。そのとき初めて友の心を理解したのではないだろうか。
この映画には敵が出てこない。敵は望遠鏡に映る船影だけである。「回天」に乗ったときの青年達の死を決しているとはいえ、人一人入るだけの空間しかない、複雑な操作を完了したその先には「死」あるのみ、その時の個々の感情に重きを置いているからだろう。
こんな恐ろしい物を考えたのは誰だ!考えた人は自分が乗る事は考えもしなかっただろう。戦争とはそういうものかも知れない。でも「回天」を考えた人はどんな人か知りたいと思った。志願した青年達もまさかこんな恐ろしい乗り物とは知らされないでいた。最後の日、帰宅を許されはするが軍の機密ゆえ、家族に「死にに行く」事を語る事は許されない。あの時代に生まれた青年の悲劇であり、親の悲しい定めである。
先日読んだ「硫黄島」が渡辺健主役でアメリカと日本と両方から見てと言うことで合同映画化される。戦いに散った命のお陰で、その時代子供であった故に今の平和の中に居る幸せを感謝する為にも又見に行こうと思う。
都会の真ん中の田んぼ
田植えの頃から見続けてきた、今年は豊作
台風の余波の強い風、それでも伊丹まで出る。駅は人で一杯。「台風が来ているのに、皆よう出かけるな~」自分達のことは棚に上げて話す。
切符売り場は長蛇の列、3連休最後の休日、子供の映画が2本掛かっているので、これだけ子供が居るのに、これでも少小化?と言いたくなるくらい、子ずれの家族で一杯。「敬老の日」より「こどもの日」の感あり。
戦前、私の「敬老の日」は「敬老会」と言った。祖父母と住んでいる子供だけで劇(浦島太郎)や唱歌を歌って、祖父母に見て貰った。何時だったか何処の学校でもそうだったか知らない。神戸の小学校に通っていた私の体験である。
私も劇に出たが、私は端役の「鯛」だった。舞台のすそで出番を待ちながら、乙姫さん役のはしもとさんを見つめて「私も乙姫さんやりたかったな~」と羨んだのを昨日の事のように覚えている。はしもとさんは勉強の良くできる人だった。肝心のおじいちゃんの事だけど、勿論見に来てくれたと思うのだが「はしもとさんの乙姫さん」以外の記憶は全く無い。
映画「出口のない海」は6分の入りで案外の観客数だった。若い人は海老蔵フアンだろう。海老蔵さんも海軍の軍服が良く似合って凛凛しい青年だった。鈴を張ったような大きな眼が国を信じ、家族を思い志願する青年の心を写している様でとても良かった。昔から「男の目には糸を張り、女の目には鈴を張れ」って「男の目は細いほうが良い」と言う喩だけれど、男の大きい目も良いね。
三浦友和さんや古手川祐子さんが父母の役で時代の流れを感じた。三浦友和さんの若い頃は余り好きではなかったけれど、良い感じで素的な中年になられた。実生活の百恵夫人との生き様が顔に現れている様で良い感じ。
台詞の中にもあったけど「回天があった事実を知ってほしい。その為に死んでいくよ」人間魚雷、戦争も終わりに近づいたとき、魚雷の的中率が悪くなり、その中に人間を入れて操作させ的中させようと言う考えだ。「回天」は外から施錠され、自分から開けることは出来ない。複雑な操作を覚えても、機械の故障で飛び出せない、二度までも故障で生還した友が「もう軍神になることしか自分の道は無い」だから主人公(並木)の「回天」に代わって乗りたいと土下さする。
並木にはその心が理解できなかった。しかし並木も機械の故障で同じ目にあう。世間も軍も並木に冷たい。そのとき初めて友の心を理解したのではないだろうか。
この映画には敵が出てこない。敵は望遠鏡に映る船影だけである。「回天」に乗ったときの青年達の死を決しているとはいえ、人一人入るだけの空間しかない、複雑な操作を完了したその先には「死」あるのみ、その時の個々の感情に重きを置いているからだろう。
こんな恐ろしい物を考えたのは誰だ!考えた人は自分が乗る事は考えもしなかっただろう。戦争とはそういうものかも知れない。でも「回天」を考えた人はどんな人か知りたいと思った。志願した青年達もまさかこんな恐ろしい乗り物とは知らされないでいた。最後の日、帰宅を許されはするが軍の機密ゆえ、家族に「死にに行く」事を語る事は許されない。あの時代に生まれた青年の悲劇であり、親の悲しい定めである。
先日読んだ「硫黄島」が渡辺健主役でアメリカと日本と両方から見てと言うことで合同映画化される。戦いに散った命のお陰で、その時代子供であった故に今の平和の中に居る幸せを感謝する為にも又見に行こうと思う。
昔の男の人は生まれた時から死を背負っていたのですから、可哀そうでした。そのために生めよ、増やせよ、なんて都合の良いことばっかり言ったのは誰ですか?全く馬鹿げています。今は幸せすぎて気持ちの締まりがない、ように思います。
今日の私は感謝の気持ちがいっぱいです。これから出かけてきます。帰ってきて又読ませていただくのを楽しみにしています。
陽気が落ち着きません。ご自愛下さい。
近頃つらい映画やテレビを見ていると胸がきゅっと痛むのですよ。歳のせいでしょうね。
「出口のない海」は、横山秀夫さんの作品の系列から離れた異色作品でしたね。
横山さんは、タイトルの付け方が上手ですね。
「半落ち」など最高でした。
「出口のない海」もタイトルだけで作品を語っていますね。
映画館に足を運ぶほど魅力を感じないのは、主役のせいでしょうか?
お米とお漬物があれば良いと思うほどお米が大好きです。「こんな食べ方すると胃を悪くするのよ」と言いながら熱いお茶にお漬物でお茶漬けを食べていた母、私も自分に「胃をに悪いよ」といいながらお茶漬けさらさら・・・
私は涙がポロポロです。この映画は「人間魚雷」なんて作った人えの怒りが底にあり、悲しむより、ぶすぶすと怒りが燃えていました。
「出口のない海」なるほど!と言う題でしたね。この頃変な題名の本が多いですから。
「半落ち」本は読みましたが、映画は見ておりません。「半落ち」の作家のものであり、題名に引かれて行ったようなものです。