2.マンドリン合奏
マンドリンの弦って金属なので、聴く人にとっては好き嫌いが分かれると思う。
私は元々ギター弾きで、ギターの音の魅力をそれなりに知っているので、マンドリン合奏の場でも、あまりマンドリンの音に関心を示す機会は無かった。
しかし、マンドリンの生の音で心底美しいと思ったことが過去に2回ある。
一つは学生時代に遡るが、大学の600番棟と呼ばれる古い木造の部室から聴こえてきた、鈴木静一の「交響譚詩 火の山」のヴィヴァーチェが終ったあとのあの旋律であった。
このマンドリンの旋律が、たまたま廊下を歩いていて聴こえてきたとき、私は思わす歩みを止め、しばしその美しい音に聴き入った。
これは大きな衝撃だった。このときほどマンドリンの音が美しいと思ったことは無い。
この時の出来事をきっかけに私はギター曲で、この旋律のような曲が無いか探しまくった。
二つ目は、昨年の所属する社会人マンドリンクラブの定期演奏会の曲、ビゼーのカルメンの間奏曲(Intermezzo)の冒頭からしばらく続くマンドリンの旋律を聴いたときだった。
本番当日のリハーサルでの演奏であったが、持ち場であるギターの分散和音に対する意識よりも、聞こえてくるマンドリンの音そのものに集中してしまった。
あまりにも美しく、何かその音だけが舞台の空間に響いているように感じた。
マンドリンで美しい音を出すことは難しいと思う。
金属弦であるが故に音に感情を乗せるのが難しいのだと思う。
ギターはその点、直接指で弾くし、鍛錬は必要ではあるが、比較的感情を音を介して伝導しやすい。
マンドリンの音が大分分かってくるようになってきたが、音に感情を乗せられるかどうかが、優れた奏者を見極めるひとつの着眼点だと思う。
音に感情を乗せるということは、全ての技巧を乗り越えて初めてそのスタートラインに立てるのではないか。
だからこれを実現出来ている人は、並大抵の練習ではないということなのだろう(これは楽器が好きでないと出来ないことだが。また先天的に感受性が豊かであることも必要な要素だ)。
昨年の社会人マンドリンクラブ定期演奏会で弾いた曲の中では、鈴木静一の「カンタータ レクイエム」が最も弾き応えがあった。
鈴木静一の曲の中でもマイナーな曲であるが、素朴な美しさがあった、
冒頭の悲痛さから、少し明るい雰囲気に展開する部分、ギターパートでいうとB♭の分散和音が入る部分であるが、この部分が弾いていて最も気持ち高揚した。
何とも形容し難いが、とても優しい気持ちなのである。この和音がこの気もちの全てを現していると思った。何も心配せず、安心していいんだよ、と言う気持ち。過去に対する回想により引き起こされる思い。
人を「想う」という気持ちはこういうことなのだと。
こういう繊細な気持ちを音に変換出来るって凄い。
とにかくこの曲を弾けただけでも貴重な体験だった。
鑑賞としては、社会人団体と学生団体のいくつかを聴いた。
中央大学マンドリン倶楽部の定期演奏会は夏も冬も他の行事と重なって聴きに行くことができなかった。
社会人団体ではコンコルディアが一番良かった。
熊谷賢一や歸山栄治といった邦人作曲家の難曲を積極的に取り上げている団体だ。
私の学生時代に弾いた作曲家と重なる。
そして昨年の鑑賞面での大きな出来事としては、思いもかけない全く偶然なことであったが、私が学生時代に所属していた大学マンドリンクラブの1984年の定期演奏会の録音テープが見つかったことだった。
当時の大学の先輩たち(マンドリンクラブとは別の)に定期演奏会を聴きにきてくれるようお願いしたが、先輩の一人が録音してくれたのだ。
しかしそのいただいたテープは母校の室内管弦楽団の演奏と取り違えていた、とばかり思い込んでいた私はこの時の定期演奏会の録音は無いものだと思い込んでいたのである。30数年間。
それが昨年たまたま、ラゴヤの弾くアルベニス、コルドバの録音テープを探しているときに偶然発見されたのである。
この古いテープをソニーの中古で買ったポータブルカセットプレーヤーで再生してみた。
冒頭は、H.Lavitorano作曲の「レナータ」序曲だった。
この曲はおととしの母校マンドリンクラブ50周年記念演奏会でも弾いたが、イタリア人作曲家の曲の中でも最も好きな曲の一つだった。
テープを再生してしばらく経つと、驚いた。
意外にも、物凄く上手い。
そして生命力、躍動感、感情パワーに溢れた瑞々しい演奏だった。
技巧レベルも高い。
正直びっくりした。
母校の演奏がここまでのレベルだとは思わなかった。
このとき思ったのだが、母校の自分たちの演奏を録音したものを聴き機会がなかったため(反省会で1回聴いただけ)、自分たちの演奏のレベルを客観的に評価することが出来なかったのである。
5年くらい前から関東地方の大学のマンドリンクラブの演奏会を聴くようになったが、このテープを聴くまでは、母校の演奏は関東の学生団体のトップクラスよりも劣っているとずっと思ってきた。
しかしこのテープを聴き終わったとき、そのコンプレックスは完全に払拭され、それどころか母校の方がより聴き応えがある、一歩も二歩も上を行っていると思うようになった。
ちなみにこのときのプログラムは下記のとおり。
第Ⅰ部
「レナータ」序曲 H.Lavitorano作曲
「聖母の宝石」間奏曲 Wolf Ferrari作曲 鈴木静一編曲
「ジェノヴァ」序曲 Raffaele Calace作曲 中野二郎編曲
第Ⅱ部
剣の舞~舞踏組曲「ガイーヌ」より Aram Khachaturian
ソルヴェーグの歌 Edward Grieg作曲 中野二郎編曲
歌劇「カルメン」組曲 Georges Bizet作曲
1.前奏曲
2.アラゴネイズ
3.ハバネラ
4.アルカラの竜騎兵
5.終曲
歌劇「仮面」序曲 Pietro Mascagni作曲
第Ⅲ部
序曲 ニ短調 Salvatore Falbo作曲
大幻想曲 「幻の国」~邪馬台~ 鈴木静一作曲
第Ⅲ部の「序曲 ニ短調」と「幻の国」が本当に凄かった。
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジエリやマリヤ・グリンベルクの弾く、ベートーヴェンのピアノソナタ第32番を聴いた後の、汗だくの開放感を感じさせるような、演奏者たちの腹の底から湧き起ってくるような凄まじい、炸裂するようなパワーに溢れていたのである。
感情パワーだけではない。技巧も素晴らしかった。
言っちゃ悪いけど、現在の学生団体に比べて、当時の母校の感情的パワーは何十倍も強いと言っていい。
私の学生時代を思い出しても、最後の最後までのパワーを絞り出すように演奏していた。
パッション、情熱の力は比較にならない。
(はっきり言って当時の学生のパワーは凄かったですよ!)
今まで学生団体の演奏会の感想を記事にしてきたが、その記事を読み返すと、何か物足りなさを感じたと書いているものが多い。
この1984年の母校の録音を聴いて、その意味が明確に分かった。
マンドリンオーケストラって、このパッション、情熱の力が無いと、絶対に聴衆を感動させられないと思う。
マンドリンオーケストラの最も優れた特質は、撥弦楽器でしか実現できない、弾き手の体内の核から発っせられる感情的、情熱的パワーであり、そのパワーと、同時に淀みない技巧、細部まで練られた音楽表現の融合により優れた演奏が生まれるのだと思う。
さて、今年は2年前に初めて参加した、5月に新宿で開催される大規模演奏会に再び参加することになった。
4曲演奏するが、うち2曲は学生時代に演奏した曲だ。
しかし30数年のブランクがある。
この2曲のうち、1曲はマンドリンオーケストラ曲の中での最も人気のある曲で、演奏機会も多い。
ここ数年この曲の生演奏を何回か聴いたが、正直なところ満足のいくものはなかった。
上手いけど、やはりパッションが足りない。
聴き終えた瞬間、上手い、と感じても、その後、その感動がずっと残っていかない。
聴き手の心の奥まで演奏が、喰い込んでいないのだ。
この人気曲を名演と呼ばれるまでに仕上げるのは、並大抵の努力では無理だと思う。
私は学生時代の演奏を思い出し、何がこの曲を聴き手の心の奥に刻ませることが出来るのか、ということを常に考えながら練習していきたい。
この曲の生まれた背景、経緯、物語の展開なども勉強していくつもりだ。
最後に、学生時代の母校の定期演奏会で、この人気曲を演奏したときのコンサート・レビューが「現代ギター」誌に掲載されたので、紹介する(ちょっと自己宣伝めくがご容赦願いたい)。
抜粋。「当夜の演奏を振り返ると、やはり特筆に値するのはプログラムの最後に演奏された「〇〇〇〇〇」であった。メンバー全員の心がひとつとなって燃え上がり、そのエネルギーと感動が大ホールの後方までしっかりと伝わってきた。彼らはおそらく、長い時間をかけてこの曲を練り上げてきたに相違ないが、それにしてもなんと素晴らしい音の世界を創り上げたことだろう。彼らは大勢の仲間とステージの上で音楽を共有し、その感動を多くの聴衆にも分け与えたのである。」
(「現代ギター」1983年2月号。レビュー者:プロのギタリストで東京国際ギターコンクール入賞者)