緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

会計学の名著

2014-10-04 22:16:19 | 学問
10月に入って気温が下がるかと思ったら、逆に日中は暑いくらいの日々が続いている。
今日は寝不足のせいか、一日中ずっと頭がボーとしている。
8月16日付けの投稿で、簿記学の名著を紹介した。沼田嘉穂著「簿記教科書」である。
この本との出会いが、大学時代前半の堕落した私の心に火を点け、気持ちを勉学に向かわせることになった。
人生を変えたという大げさなものではないが、この本をきっかけに、自分のその後の職業選択に結び付いたことは間違いない。
大学時代の後半はそれまでの殆ど授業に出ず自堕落な生活を送ったことに対する罪滅ぼしの気持ちで過ごした。
とはいっても授業はあいかわらず殆ど出ず、大学の図書館に頻繁に通って、会計学、原価計算、管理会計などの専門書や論文を夜遅くまで読んだ。
そのような日々の中で出会った本が今日紹介する会計学の名著「ギルマン会計学」(Stephen Gilman著、久野光朗訳)である。
今から30年くらいまえであるが、通っていた大学の図書館の書棚の一段の殆どのスペースにこの本がずらっと並べられていた。当時利用頻度が高かったのであろう。本格的に読みはしなかったが、何度か手にし、パラパラとページをめくったり、布張りの表紙の感触を味わったりしたものである。
大学を卒業し、就職で東京に出てきてからも時間を見つけては八重洲ブックセンターなどの大きな書店で会計や原価計算などの専門書を立ち読みした。しかしこの「ギルマン会計学(上・中・下巻)」はすでに絶版となっており、書店で見つけることはできなかった。
就職して4年目の春の頃であった。20代半ばの頃である。ふと立ち寄った八重洲ブックセンターでこの本の下巻が売っていたのである。確か1冊のみしか置いていなかったと思うが、それは奇跡的なことだった。思わずこの本を買った。この場面は今でも覚えている。
買った下巻は3版であり昭和56年発行である。初版は昭和47年(ちなみに上巻の初版は昭和40年)。恐らく売れずに倉庫に眠っていたのを仕入れたのであろう。当時の大手書店だからできたことだと思う。



この頃から会計学の専門書は資格試験の試験委員が書いたものが良く売れるようになり、「ギルマン会計学」のような出版年が古く、資格試験には直接役に立ちそうにない内容の本は次第に忘れられた存在になっていった。
この下巻を手に入れてから嬉しくて毎日会社に持って行って昼休みなどに読んだが、とても難解だった。学生時代に会計学の基礎は一通り勉強したが、かなり専門的なことまで触れていたのである。したがって完読には至らなかった。
この本を読んでいるのを、当時の職場の年輩の上司が、その上司はクセが強くて何度かケンカしたことがあるのだが、古書に通じている人で、下巻しか手に入れられなかったことを知ると、「探してきてあげる」と言ってくれた。
しばらくしてその上司は「探したんだけど、ないねー」。無かったことは残念だったが、嬉しかった。
これを機にその後15年くらい、ギルマン会計学から遠ざかったが、40歳を過ぎてまたこの本のことを思い出し、古書店に電話をしたり、実際に古書店に行くなどして探したが見つけることはできなかった。
2000年代半ばにパソコンを買い、インターネットが出来るようになると古書店のネットワークでこの本が売られているのを見つけた。しかし3冊揃いで3万円。とても買う気になれなかった。
しかしこのギルマン会計学を全て読みたいという気持ちは冷めなかった。折を見てインアターネットで検索し、今年8月に3冊揃いで1万円で販売されているのを見つけ、下巻はだぶってしまうが、即断で購入した。



8月下旬から上巻から読み始め、今日現在で中巻の終わり近くまで読んだ。明日には中巻を完読し、下巻に移れるであろう。こんなに早いペースで読めるとは自分でも驚いている。きっと、ずっと何十年も読みたかった本だったからであろう。
1回目は分からない箇所があってもそのまま読み続け、2回目に読むときは分からない箇所をノートに書き出し、図書館に行って、その分からない箇所を補足できる書物を探して理解を深めたいと考えている。
この「ギルマン会計学」の特色は、会計学の生成から始まり、1930年代の会計原則樹立の動きや、棚卸資産や固定資産の評価における諸説が乱立していた時代にあって、何が正統的な会計理論であるかを考察した、会計学の根幹となる領域に深く踏み込んでいった名著である。
ギルマンが最初に説くのは、3つの基本的なコンベンションであり、それは(1)エンティティ(会計実体)・コンベンション、(2)評価のコンベンション、(3)会計期間のコンベンションからなる。
これらの3つのコンベンションは会計を理解する上で、最も重要なものとして、彼のこの著書に一貫して貫かれているのであるが、興味深いのが(1)エンティティ・コンベンションであり、その生成期限は古代ローマの奴隷と主人との関係に遡り、あらゆる複式簿記の基礎を成す責任の設定と解除の概念を示すものと説明している点である。
あの有名な会計等式も、まず資産=負債という関係、すなわち奴隷と主人との間の持続的な擬制的人格に基づく勘定理論に由来しているということである。
このようにギルマン会計学は会計の起源から始まり、評価論等の発展とその本質について膨大な学説を紹介しながら、浮かび上がらせようとしている。その内容は現在でも全く古さを感じさせない。むしろ新たな発見もあるくらいである。
例えば多くの今日の書物で述べられている製造間接費の予定配賦による棚卸資産原価の評価であるが、配賦方法や配賦による勘定連系などの技術面の紹介はあってもその方法の採用される経緯や、採用したことによる会計理論上の問題に触れているものは少ない。
ギルマンはこの点について、「実際の製造能力に基づく予定間接費配賦率には一応の論理があるが、これらの配賦率を将来の売上高を予測することによって変更もしくは調整しようとする試みは、必ず成果を誤解させる一種の信頼しがたい洞察力を導入することになる。」と指摘している。
また企業における経営管理の手段としての標準原価計算について、「経営に対する標準原価の貢献という理由から利益歪曲の可能性を無視することは、現代会計の1つの重要な前提を無視することになる。」、「標準原価に固有な利益歪曲の可能性を認識することは、誤解しやすい年次報告に対する最良の保険である。」と警告している。
標準原価計算が財務会計と有機的に結びついた場合、それは会計理論上だけではなく、経営管理上もさまざまな問題、課題を露呈することは実務者であれば容易に認識しうるであろう。
現代のような多品種少量生産を採用する企業が多い中で、財務会計に組み込まれた標準原価計算は個別製品毎の実態に即した原価を把握することができない。それは標準原価が各製品の実際発生工数や実際配賦率に基づいて計算されていないだけでなく、部門別実際発生費用との原価差額調整のベースとなる標準原価の精度が不完全、恣意的になりやすい側面を持つからである。

この「ギルマン会計学」は資格試験合格目的には恐らく全くといっていいほど即効性のない書物だと思うが、回り道でも会計理論の本質を理解するためには最も有効なものを提供してくれる書物ではないかと思っている。
音楽でも学問書でも多大の労力をかけて本質を追求したものに対しては、生き方に強く影響するものがある。
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