緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

2014年度 Nコン全国大会高等学校の部を聴きに行く

2014-10-11 23:07:33 | 合唱
三連休の初日、関東地方は台風の心配もなく秋晴れのいい天気だった。
三連休とは言っても最終日は仕事に出かけなければならなくなった。
10月から12月にかけて私にとっては毎年楽しみにしている最大のイベントが3つある。
その1つとして、NHK全国学校音楽コンクール(略してNコン)高等学校部全国大会が今日、渋谷のNHKホールであった。
いつもは自宅のテレビで鑑賞するが、今年は何と幸運にも入場整理券が手に入ったのだ。Nコン全国大会としては初めて生演奏を聴く機会に恵まれた。
入場整理券を手にしてから今日までの間、小さな子どもが遠足を待ち遠しく思うような気持ちであった。
今日は日頃の寝不足のせいか、疲れを感じているようであったが、朝早めに起き、録画用のビデオをセットし、会場には余裕をもって到着した。
合唱曲を聴き始めて丁度4年になろうか。数十年前に歌った合唱曲との衝撃的な再会があってから、合唱曲、それも高校生の合唱にのめりこんだ。何故高校生の合唱曲なのか4年間自分でもわからなかったが、今日、全国大会の生演奏を聴いてその理由がわかった。これについてはあとで話すことにしたい。
今年の全国大会高等学校の部の課題曲は、「共演者」(作詞:小林香、作曲:横山潤子)であった。
今年のこの課題曲の詩も曲も最初は違和感を感じたが、何度も聴くにつれていろいろなことを深く考えることにつながっていく、内容の濃い音楽であることに気付いた。
詩の解釈や曲の印象はこの曲が発表されたとき、またブロック・コンクールの生演奏を聴きに行ったときに、このブログに書かせてもらった。今日、全国大会で11校の演奏を聴いて、改めて感じたことを書いてみようと思う。
この曲の作詞者は、人生で自分を肯定することの大切さを説いている。ありのままの自分を肯定してくれる(Yesと言ってくれる)のは、自分の心中の共演者である。
人間には生まれながらにしてありのままの自分というものを持っている。幸せに育った人は意識しなくてもこのありのままの自分を自然に肯定できる共演者を心の中に育てることができる。しかし育つ過程でこのありのままの自分を肯定するのではなく、逆に否定する共演者を心の中に取り込んでしまうことがある。しかも本人は否定する共演者を作り上げていることが意識できない。これが人の最大の不幸、苦しみの原因である。幸せに育った人は信じられないかもしれないが、ありのままの自分を、自分が意識することなく破壊する共演者を心に築き上げてしまい、どうしてよいか分からず人生を苦しみ、最悪死を選択する人もたくさんいるのである。
しかしどんなにありのままの自分を破壊しつづける共演者を心に持とうと、自分を肯定する共演者は本人も分からない心の奥深いところにいる。そしてありままの自分が、その存在を探し出してくれるのをずっと待っている。
ありのままの自分を破壊する共演者の存在に気付く(意識化する)ことができれば、自分を肯定する共演者を探し出すことができる。
自分を肯定してくれる共演者は、人がどんな状況であっても消えることはない。そして、ありのまま自分が自分と和解してくれるのを望み、静かに待ち続けているのだ。
この曲の作詞者の意図が上に書いたことにあるかどうかはわからないが、私はこの詩を読んでこのように感じた。
この詩は、ありのままの自分を肯定することの大切さを、強いメッセージで伝えている。
そしてこのプラスの肯定感を表現するのにふさわしいメロディーを作り上げている。「否定」という要素を寄せ付けない、跳ね返すような明るい太陽のようなものを与えてくれるような音楽である。そして弱った人の気持ちを引き上げてくれるような優しさや強さも感じることもできる。
さて前置きが長くなってしまったが、今日、このライブ演奏を聴いてもっとも感動した演奏を、課題曲と自由曲に分けて紹介したい。
まず課題曲で一番感動したのは、演奏順7番目の関東甲信越ブロック(東京都)代表、大妻中野高等学校。
この高校は関東甲信越ブロックコンクールの演奏でも最も印象に残った学校であったが、今日聴いた全国大会でも最も感動した演奏であった。
私はホール2階席の一番後ろから2番目の席で、舞台からは相当遠い距離があり、舞台で話すアナウンサーの声も小さく聴こえるほどであった。
そのためか、今日聴いた11の学校の演奏は正直言うと、かなり実力の差を感じた。奏者の気持ちが全然伝わってこない演奏もかなりあった。また音量や迫力があってもそれだけしか感じない演奏もあった。
しかしこの大妻中野高校の演奏は遠く離れた客席までしっかりと、曲のもつ気持ちやメッセージが伝わってきた。
私はいい演奏かどうか、長く聴きたい演奏かどうかの判断は、どれだけ心に響いてくるか、という基準で選んでいる。ブロックコンクールの時もそうであったが、今日聴いた演奏は聴いていて、心の底の感情が強く湧き出てきた演奏であったことを申し上げておきたい。
家に帰って、録画したビデオの演奏も繰り返し聴いたが、ホールでの演奏で感じたことに間違いがなかったことを確信した。
「「人生は舞台だ」って誰か言ったよね それはもう開演している」という部分で聴かせてくれた、気持ちの高まり。
「私はどんな筋書でも あなたの客席で観ています」の部分で感じることのできた繊細な表現。
「三原色~喝采を贈りたい」で感じるエネルギーの強さ。
ブロックコンクールで聴かせてくれた解釈や歌い方と変わっていなかったのも良かった。
しかし何という難しい歌い方であろう。コンクールには不向きな演奏法かもしれない。
しかしこの演奏は聴く者の心に大きなプラスの影響を与えるくれる要素をたくさん持っていることは間違いないと断言できる。
次に自由曲で最も印象に残ったのは、演奏順6番目の東北ブロック代表、福島県立郡山高等学校。
昨年の大会で初出場し、その時は高田三郎の水のいのちより「川」で素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
今年の自由曲は、無伴奏混声合唱のための「光のくだもの」(作詞:大岡信、作曲:鈴木輝昭)という曲であった。
曲の出だしから鈴木輝昭の曲であることがわかる。難しい詩であり、詩の解釈はもっと聴きこまないとはっきり分からないが、後半部から終結部まで凄いエネルギーを感じる演奏であった。特に女声(ソプラノ)から伝わってくる詩のメッセージは聴いた後、何度も心に浮かんできた。

今日聴いた演奏はコンクールということで順位というものがあったが、高校生の演奏において順位に関心はない。
確かに賞を取れなかったり、望んだ賞を取れなかったら無念であろう。その気持ちも分かるが、自分達が一生懸命やってきたことを自分で評価できるようになれることを望みたい。他人の評価など概して脆いものである。
自分達が信念をもってやってきたことを自ら認めることができれば、誰の評価に関係なく、自信につながる満足感を得られるのではないか。一生懸命やったことは時間はかかるが、後で生きてくるものである。

今日この素晴らしい演奏を生で聴けたことは貴重な体験であった。聴かせてくれた学校には本当に感謝である。
今日聴いて感動した演奏は後日改めて感想を書きたい。



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