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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

伊福部昭作曲「映画 コタンの口笛」を聴く

2019-11-10 23:03:11 | 邦人作曲家
社会人マンドリンクラブの次回定演に向けての合奏練習は今日で2回目。
今日は一部の指揮者との初練習だったが、一部の曲の中に伊福部昭に関連する曲があり、伊福部昭に関する話をしてくれた。
膨大な映画音楽を作曲したことを聞いて、そういえば昔、今から20年以上前に伊福部昭の映画音楽を集めたCDを買ったことを思い出し、家に帰って聴いてみることにした。





日活映画のサウンドトラックを収録したものだったが、中でも「女中ッ子」という映画(1955年)のいくつかの挿入音楽の中には聴き応えのある美しい音楽があった。
今から20数年前まで、Youtubeなどのインターネットによる音楽配信が未だ無かった時代、伊福部昭の映画音楽の録音の復刻によるCDが20枚以上は出ていた。
バブルが崩壊したとはいっても、この時代は未だCD業界は活況を呈していた。

マンドリン合奏の練習で、指揮者が曲の解説をしてくれるのはいろいろ助けになるし、新しい発見も得られることもある。
演奏する側としてはまずは技巧を淀みないものにすることが第一ではあるが、それだけでは無味乾燥に感じるし、曲を作り上げていくうえでは不十分に感じる。
指揮者は限られたわずかな時間でいかに音楽的に仕上げていくかに腐心するのであろうが、メンバーを、曲の音楽面をイメージできるようにまで持っていくことはなかなか大変なことだ。


伊福部昭の名前を知ったのは中学生の時。
ギター曲、「古代日本旋法による踏歌」と「箜篌歌」の作者としてであったが、この当時は録音が皆無だった。
大学でマンドリンクラブに入って、鈴木静一の「交響譚詩 火の山」に感動してから、鈴木静一と同じような曲想を持つギター独奏曲を探し始めた。
そしてまず、伊福部昭の「ギターのためのトッカータ」の楽譜を見つけ、ほどなくして、偶然にも絶版になっていた「古代日本旋法による踏歌」の楽譜を手に入れた。
そしてこれらの曲をマンドリンクラブの、丁度「火の山」を練習していた時の休憩時間に楽譜を開いて練習したものだった。
当時は本当にギターキチだった。休憩時間でもギターを弾いていた。
この時、キターパートトップのMさんが、伊福部昭が映画「ゴジラ」の作曲者であることを教えてくれた。
Mさんが伊福部昭のことを知っていることはちょっと驚きだった。
この当時は伊福部昭はまだ知名度は低かったように思う。
そして翌年にFMラジオで名作「交響譚詩」に出会い、これをカセットテープに録音した。

今日、先の映画音楽集のCDを聴き終わってから、指揮者が、「伊福部昭が映画「コタンの口笛」」の音楽を作曲した」と言っていたことをふと思い出した。
早速、Youtubeで検索したらあった。

Akira Ifukube – A WHISTLE IN MY HEART / 伊福部昭: 「コタンの口笛」 (1959) OST


「コタンの口笛」に映画があること、その映画の音楽担当が伊福部昭であることを初めて知った。
「コタンの口笛」とは石森延男の作品であり、児童文学の名著であり不朽の名作である。
北海道のアイヌが舞台の小説だ。
「コタンの口笛」を初めて知ったのは、中学3年生の時。
当時通っていた中学校の社会科教師として赴任してきた石森先生が、最初の授業のあいさつで「自分はコタンの口笛の著者の石森延男の親類だ」と言っていた時だった。
この時「コタンの口笛」がどんな小説なのか気にもとめなかったが、実際にこの小説を初めて読んだのはずっと後、今から5年くらい前のことだ。
この時の感想は以前記事にした。
素晴らしい内容で、庄野英二の「星の牧場」ともにまさに不朽の名作といっていい。

伊福部昭が作曲した映画「コタンの口笛」の挿入音楽を聴いてみると、「交響譚詩」の第二譚詩のモチーフをかなり使っていることが分かる。
最も伊福部昭らしい音楽だ。今こんな曲を作れる人はいない。

今度この映画を見てみたい。
この時の日本はまだ貧しかったが、風景や人間が質素でありながら、素朴な美しさがある。
いい時代だったのだと思う。
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