こんにちは。
日が暮れるのが遅くなってきました。春がもう近づいてきています。
このところクラシックの名曲ばかり聴いていたのですが、ちょっと食傷気味です。
先日の新聞に山田和樹さんという国際的に活躍している若い指揮者が紹介されていました。
紹介文を何気なく読んでいったところ、以下の文章に目を引かれました。
「季節をうたい、喜怒哀楽を奏でる普通のクラシックとは違う現代音楽が好きだ。得意でもある。たとえば明るくも暗くもない無調。たとえば耳障りな不協和音。「私が今、生きている証明になる」「地面をはいつくばっている音。この落差こそ人間の生そのものと思いませんか」」。
私の場合10年くらい前まで現代音楽にはいっさい興味を持てませんでした。その理由はまさに耳障りで難解であったからです。聴いていて幸せな気分を感じられなかったからだと思います。
現代音楽に対する見方が変わったのは、10年くらい前でしょうか、東京国際ギターコンクールの課題曲として選曲された、野呂武男作曲「コンポジションⅠ」を聴いてからです。
野呂武男氏については以前のブログで紹介しましたが、とにかくこの「コンポジションⅠ」を初めて聴いたときの衝撃、その後もこの曲のことがどうしても心から離れなく、ついに楽譜を買ったことを思い出します。
その楽譜は何十年も人が誰も目を通さず埋もれていたような状態でした。
現代音楽にも色々ありますが、私は人の内面の影や闇などの暗部を表現したものに魅かれます。
内面の影や闇といっても、単純な不安、恐怖、悪、狂気といったものから、大都会の中にいながら砂漠の中で独りさまよっているような荒涼とした気持ち、張り裂けそうな孤独感、人間や人生に対するどうしようもない絶望感といったような複雑なものもあります。
野呂武男のギター曲「コンポジションⅠ」を聴くと(録音は無いので、自分の下手な演奏で)、まさにこのような気持ちが感じとれます。
音楽にこのような感情を感じることのできる作曲家として、才能を期待されながら惜しくも若くしてこの世を去った故、毛利蔵人氏(もうり くろうど、1950~1997)がいます。
毛利氏のことは、30年くらい前に全音のギターピースの裏表紙に印刷されていた曲目一覧に「アナモルフォーズ」という曲が掲載されていることで知りました。
全音ギターピースがその後しばらくして絶版となるので、邦人作曲家の楽譜を中心に買っておこうとしたのですが、この「アナモルフォーズ」は手に入れることはできませんでした。
その後、「アナモルフォーズ」がどんな曲なのか気になっていたのですが、1年ほど前にギタリストの佐藤紀雄さんの録音でCDが出ていることがわかり、早速、東京文化会館音楽資料室でCDを聴かせてもらい、後で購入もしました。譜面もコピー譜ですが入手し、試しに弾いてみたところ、ものすごく難しくて最初の和音でつまづいてしまいました。
毛利氏は全くの独学で作曲を学んだと言われる才能のある作曲家でありながら、惜しくも46歳の若さで病没しました。
都立西高校を卒業後、音大には進まず、三善晃の門を叩いたと言われています。
基本的には現代音楽の作曲家ですが、三善晃と共に作曲を担当したアニメ「赤毛のアン」
など素朴で美しい曲も作曲しています。
さて、毛利氏のCDの中で聴き応えのあるのは、「待ちながら」と「ディファレンス」ですね。たいていの人は聴いた瞬間「ウェ!、何この音楽」と感じるでしょう。音楽に美しさや安らぎを期待する人は聴かない方がよいです。また今まで楽しく、明るい人生を送ってきた人も本質的に受け付けないかもしれません。
毛利氏の音楽は形式的な難解さを示そうとするよりも、人間の深い内面に潜む感情に目を向け、それをあえて音楽で表現するタイプの作曲家だと思います。だから全く理解されないことも多いが、共感を得るならば長く聴きたくなる音楽だと思います。いっとき流行してその後埋もれていくものではなく、聴く人は限られるが長い間支持される音楽だと私は思っています。
相当なクラシック音楽愛好家の中でも現代音楽を毛嫌いする人は多いですね。音楽に対する好み、感じ方は人それぞれであり否定もしませんが、1980年代以降現代音楽の作曲が減ってきたことは少し寂しいように思います。
音楽以外の芸術、例えば文学や映画などは美しさや正義だけを追求するのではなく、人の闇や悪、絶望などを描いたものが数多くあります。
身近なものでマンガなのですが、15年くらい前に行きつけの料理屋においてあった週間漫画の連載で「美悪の華」という作品を読んだことがありますが、恐ろしいほどの悪の極限が描かれており、戦慄が走ったことを憶えています。学生時代によんだ「ブラック・エンジェルズ」というマンガもそうですね。読んでいて何とも言えない気持ちになる。
クラシック音楽のなかで現代音楽を音楽と認めない人もいますが、冒頭の指揮者、山田氏が言っているように、「自分が今生きている証明、地面に這いつくばっている音、人間の生そのもの」を実は表現しているのが現代音楽なのではないでしょうか。
負の感情を今ここで感じつつも、そこから何とか前に歩いていこうとする日常の生そのものの表現なのではないかと思います。
(毛利氏のCD)
毛利氏の曲の入ったCDとして先のものの他に、下記のものがありますので掲載しておきます。
日が暮れるのが遅くなってきました。春がもう近づいてきています。
このところクラシックの名曲ばかり聴いていたのですが、ちょっと食傷気味です。
先日の新聞に山田和樹さんという国際的に活躍している若い指揮者が紹介されていました。
紹介文を何気なく読んでいったところ、以下の文章に目を引かれました。
「季節をうたい、喜怒哀楽を奏でる普通のクラシックとは違う現代音楽が好きだ。得意でもある。たとえば明るくも暗くもない無調。たとえば耳障りな不協和音。「私が今、生きている証明になる」「地面をはいつくばっている音。この落差こそ人間の生そのものと思いませんか」」。
私の場合10年くらい前まで現代音楽にはいっさい興味を持てませんでした。その理由はまさに耳障りで難解であったからです。聴いていて幸せな気分を感じられなかったからだと思います。
現代音楽に対する見方が変わったのは、10年くらい前でしょうか、東京国際ギターコンクールの課題曲として選曲された、野呂武男作曲「コンポジションⅠ」を聴いてからです。
野呂武男氏については以前のブログで紹介しましたが、とにかくこの「コンポジションⅠ」を初めて聴いたときの衝撃、その後もこの曲のことがどうしても心から離れなく、ついに楽譜を買ったことを思い出します。
その楽譜は何十年も人が誰も目を通さず埋もれていたような状態でした。
現代音楽にも色々ありますが、私は人の内面の影や闇などの暗部を表現したものに魅かれます。
内面の影や闇といっても、単純な不安、恐怖、悪、狂気といったものから、大都会の中にいながら砂漠の中で独りさまよっているような荒涼とした気持ち、張り裂けそうな孤独感、人間や人生に対するどうしようもない絶望感といったような複雑なものもあります。
野呂武男のギター曲「コンポジションⅠ」を聴くと(録音は無いので、自分の下手な演奏で)、まさにこのような気持ちが感じとれます。
音楽にこのような感情を感じることのできる作曲家として、才能を期待されながら惜しくも若くしてこの世を去った故、毛利蔵人氏(もうり くろうど、1950~1997)がいます。
毛利氏のことは、30年くらい前に全音のギターピースの裏表紙に印刷されていた曲目一覧に「アナモルフォーズ」という曲が掲載されていることで知りました。
全音ギターピースがその後しばらくして絶版となるので、邦人作曲家の楽譜を中心に買っておこうとしたのですが、この「アナモルフォーズ」は手に入れることはできませんでした。
その後、「アナモルフォーズ」がどんな曲なのか気になっていたのですが、1年ほど前にギタリストの佐藤紀雄さんの録音でCDが出ていることがわかり、早速、東京文化会館音楽資料室でCDを聴かせてもらい、後で購入もしました。譜面もコピー譜ですが入手し、試しに弾いてみたところ、ものすごく難しくて最初の和音でつまづいてしまいました。
毛利氏は全くの独学で作曲を学んだと言われる才能のある作曲家でありながら、惜しくも46歳の若さで病没しました。
都立西高校を卒業後、音大には進まず、三善晃の門を叩いたと言われています。
基本的には現代音楽の作曲家ですが、三善晃と共に作曲を担当したアニメ「赤毛のアン」
など素朴で美しい曲も作曲しています。
さて、毛利氏のCDの中で聴き応えのあるのは、「待ちながら」と「ディファレンス」ですね。たいていの人は聴いた瞬間「ウェ!、何この音楽」と感じるでしょう。音楽に美しさや安らぎを期待する人は聴かない方がよいです。また今まで楽しく、明るい人生を送ってきた人も本質的に受け付けないかもしれません。
毛利氏の音楽は形式的な難解さを示そうとするよりも、人間の深い内面に潜む感情に目を向け、それをあえて音楽で表現するタイプの作曲家だと思います。だから全く理解されないことも多いが、共感を得るならば長く聴きたくなる音楽だと思います。いっとき流行してその後埋もれていくものではなく、聴く人は限られるが長い間支持される音楽だと私は思っています。
相当なクラシック音楽愛好家の中でも現代音楽を毛嫌いする人は多いですね。音楽に対する好み、感じ方は人それぞれであり否定もしませんが、1980年代以降現代音楽の作曲が減ってきたことは少し寂しいように思います。
音楽以外の芸術、例えば文学や映画などは美しさや正義だけを追求するのではなく、人の闇や悪、絶望などを描いたものが数多くあります。
身近なものでマンガなのですが、15年くらい前に行きつけの料理屋においてあった週間漫画の連載で「美悪の華」という作品を読んだことがありますが、恐ろしいほどの悪の極限が描かれており、戦慄が走ったことを憶えています。学生時代によんだ「ブラック・エンジェルズ」というマンガもそうですね。読んでいて何とも言えない気持ちになる。
クラシック音楽のなかで現代音楽を音楽と認めない人もいますが、冒頭の指揮者、山田氏が言っているように、「自分が今生きている証明、地面に這いつくばっている音、人間の生そのもの」を実は表現しているのが現代音楽なのではないでしょうか。
負の感情を今ここで感じつつも、そこから何とか前に歩いていこうとする日常の生そのものの表現なのではないかと思います。
(毛利氏のCD)
毛利氏の曲の入ったCDとして先のものの他に、下記のものがありますので掲載しておきます。
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