緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ひょんなことから意外なものが出てきた(2)

2022-12-04 00:56:28 | ギター
引っ越しして4日目。
今日は朝から夜中まで、大量のダンボールに詰め込まれた本や楽譜やCDやガラクタなどを開梱し、すぐに使わないものは55年間の歴史を物語るような、夥しい傷や汚れの付いた石膏(?)の壁の押し入れに収納するという作業をやった。
風呂の蛇口とシャワーから目盛りの逆の熱湯と冷水(調整不可)しか出てこないという不具合があったので、管理会社の方と工事業者(夫婦?)に来てもらって見てもらったら、蛇口とシャワーのタイプを間違ったものを取り付けてしまったとのこと。
よく銭湯や古い温泉などにある、左右でお湯と水の蛇口がそれぞれ独立したタイプのものでなければいけなかったようだ。
手配するのに3、4日かかるとのこと。

旧あばら家の風呂は最新式のタッチパネル式で、自動温度調整、音声案内付きという快適なものであったが、床のコンクリートはパックリ割れており(家主によると腐っているとのこと)緑色の苔が生え、壁の一部は剥がれ落ち、壁は黒ずみ、風呂桶は40年間一度も交換したことのないと思われる、夥しい汚れと一部欠けがあるものであった。

折りたたみ式の小さな机をアマゾンで買った。
これで十分だ。コーヒーをこぼしてタタミに染みを付けないように気を付けなければならないが。

さて、荷ほどきしているとき意外なものが出てきたので、写真を撮っておいた。
ギターのカタログだ。

下の写真は1982年に、まだ北海道にいた頃であるが初めて手工ギターを買うために楽器店や製作家からカタログを送ってもらったときに入手したもの。
東京池袋のファナから送ってもらったものだ。「日本の名器カタログ」というもの。



河野賢、関山公道



野辺正二、茶位幸信、桜井正毅、



黒澤澄雄、中出輝明、中出敏彦



本郷幹雄、広瀬龍彦



田村健、新井勝巳、山野輝慈



下は2004年に場所は忘れたが、ギターライフ社という個人の方が営業している、公団の団地のようなアパートの1室で試奏させてもらったときに、事前に郵送してもらったカタログ。





製作家は小森曠。
この時はハイエンドモデルのメダリストのスプルースを弾かせてもらった。
いかにもメイド・イン・ジャパンという感じのするギターという印象だった。造りは非常にしっかりとしているが、音が湿っぽいというか、一本調子というイメージ。
伊達紋別で製作しておられたが、元々は河野ギター製作所でネックなどの製作に携わり、その後埼玉県所沢で工房を開いたと記憶している。
ハカランダの原木を仕入れたが、全く使えなかったというエピソードを現代ギター誌で読んだことがある。
天神のデザインは個性的かつバランスのとれたいいデザインであった。(旧型はかなり異なるデザインだが)

次は野辺正二。





2004年頃のカタログであろうか。
野辺正二を初めて弾いたのは、1988年頃で東京目白のギタルラ社だった。
当時休日によくギタルラ社を訪れた。楽譜を探すことが多かったが、楽譜を買った後にショーウィンドウに陳列されていた高級手工ギターをよく眺めたものだった。
当時は気軽に試奏させて下さいなんて言えるはずもなく、ただ見るだけであったが、ある日いつものようにショーウィンドウを眺めていたら、ギタルラ社の社長の青柳さんが「良かったら弾いてみませんか」と言ってくれたのだ。
意外な展開に少なからず驚いたが、滅多にないチャンスなので国産ギター2台を弾かせてもらうことになった。
1台は河野賢のマエストロ、もう1台が野辺正二のハイエンドモデルの80号だった。
河野賢はいい音だったと記憶している。
もう1台の野辺正二は、音が細いというか、硬いというか、あまりいい印象が無かったという記憶が残っている。
その後、野辺正二は弦楽器フェアで毎回展示品を弾かせてもらったが、どうも自分には合わないギターだという印象しか残っていない。

日本のギター製作の最盛期は1970年代後半から1980年代前半までという気がする。
河野賢だって1990年代半ば頃から表面板を薄くするようになったと聞く。
河野賢の最盛期はやはり1970年代終わりら1980年代前半までであろう。

この後日本のギター製作で頭角を現したのは、星野良充、今井勇一、桜井正毅の3氏だ。
プロがコンサートで使用する際に要求されるレベルをトータル的にクリアーしているのは、長期的にみると河野賢と上記3氏ではないかと思う。
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