緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

磐城・常陸・磐越地方ローカル線の旅(3)

2022-06-05 22:03:47 | 旅行
(前回からの続き)

11:20「常陸大子」(ひたちだいご)に到着。ここからワンマンになるとのアナウンスがあった。
運転手も交代する。
運転手は60代半ばくらいの方だった。若い運転手との楽しそうな交代のやり取りを見ていると、都会と違って田舎はいいものだと感じてしまう。
ここから川沿いを走るようだ。天気はくもり。
既に茨城県に入ったと思うが、方言はやはり県ごとに(県単位で)違うのか。県境に住んでいる人はどうなのだろう。
袋田(ふくろだ)という駅で、袋田の滝の看板が立っていた。これって群馬県でなかったっけ?。
昔群馬方面に林道に行ったときに通りがかったところが袋田の滝で、実際に見物もしたことがあるのだが、名前を間違いて憶えていたか(吹き割りの滝?)。
近くに袋田温泉という温泉もあるようだ。

農家が殆どであろうか。水田は見かけない。畑作か?。
列車はゆるやかに下っていく。福島県内の途中からずっと下りのような気がする。茨城の方が標高が低いのか。
「中舟生」という駅は待合室のようなものが無く、小さなホームのみ。ホームから直接、外に出られるようになっていた。
「山方宿」という駅。近くに古い旅館が見えたが、昔は宿場町でその名残りが残っているのだろうか。
商人宿か。こんな田舎に泊まりに来る人がたくさんいるとは思えないが。

「常陸大宮」あたりからだいぶ開けてきた。この後は水田が広く拡がっている。
そのうちうとうとと居眠りをしていたら、乗り換え駅の「上菅谷」駅の近くまで来ていた。
12:20、上菅谷着。ここで12:35発「常盤太田」行きに乗り換える。



駅員に乗り換えの列車を確認する。「常盤太田」行きは1番線に停車していた。







2両編成のワンマン、ディーゼルカーに乗車する。単線。
沿線は農家ばかりで、遠くには水田が拡がる。駅は粗末な無人駅だ。
「額田」(ぬかだ)を過ぎるとしばらく林の中を走っていく。
「河合」で客がけっこう降りた。ここからは水田の平地が広がる。
そうこうしているうちにあっという間に終点の「常陸太田」駅に着いた。12:49着。





「常陸太田」駅の駅舎は比較的新しい。広い待合室には誰もいなかった。
待合室の隣に小さな観光案内所兼土産物屋があったので、中に入ってみた。
常陸太田のガイドマップをもらい、案内所の方と2,3会話をする。
ガイドマップを見ると結構見どころはあるようだった。古い建物が点在する「鯨が丘」商店街が散策するのに良い所のようである。
駅からちょっと遠い。時間があれば行ってみたいのだが、今回の予定にはなかったので、次の機会に譲ることにした。(全部見るのには半日くらの時間が必要だろうか? 来るのであれば車もいいな)







13:11、常盤太田発、上菅谷行き2両編成ワンマンカーに乗車。(写真を撮るのを忘れた)



途中の駅は駅舎など無い粗末な無人駅ばかり。







13:25、上菅谷着。ここで単線の水戸行きの普通列車(2両編成、ディーゼル、ワンマンカー)13:31発に乗り換える。
行き違い列車の遅れで2分程遅れて発車。







ここからは17分で水戸駅に着く。水戸で遅い昼食を取って、いわきへ直行することになる。
だいぶ開けている路線であるが、電化はされていない。
本数が少なく、乗客数の少ない路線に莫大な投資は出来ないだろう。ディーゼルカーも需要はまだまだ健在だ。
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2022年第6回太田キシュ道子ピアノリサイタルを聴く

2022-06-05 14:19:45 | ピアノ
昨日(6月4日)、千葉県検見川浜の美浜文化ホールで開催された「第6回 太田キシュ道子ピアノリサイタル」を聴きに行ってきた。
思えば美浜文化ホールで初めて聴いたのが2017年、以来2021年を除き毎年聴かせてもらっている(2019年はトークコンサートのみ、2021年は開催されず)。
今回は1週間前の尾上邸でのコンサートとは1曲のみ除き異なるプログラムで、テーマは前奏曲。
スクリャービン、ラフマニノフといったロシアの作曲家の曲が取り上げられたが、これにつては太田さん本人から冒頭のあいさつで、ウクライナ情勢のさなかではあても音楽家に罪は無く、純粋に音楽を楽しんでいただきたい、というメッセージがあった。
聴き手としての私も同感で、音楽は政治と関連付けるべくもなく、国境もないとの考えからこの点は特段意識することも無く鑑賞に集中することが出来た。

プログラムは以下のとおり。

〇スクリャービン(1872-1915) 前奏曲集Op.11よりNo.4,5,8,9,10,16,21

〇ラフマニノフ(1873-1943) 前奏曲Op.3-2(鐘)、前奏曲集Op.23よりNo.1,2,4,5

〇ショパン(1810-1849) 前奏曲集Op.28よりNo.1,2,3,4,7,8,15,19,20,21,23,24

曲の演奏前に太田さん自身の短い解説があり、作曲家が演奏曲を作曲した経緯や時代背景、エピソードなどを説明してくれ、これはとてもいい趣向だと思った。

今回は1曲当たりの時間が短いこともあり数多くの曲目が演奏されたが、どれも完成度の高い、破綻のない素晴らしいものであった。
とりわけ、スクリャービンの前奏曲Op.11のNo.21変ロ長調、ショパンの前奏曲Op.28のNo.15変ニ長調(雨だれ)、No.21変ロ長調、それから最後の大曲、ショパンの幻想曲ヘ短調Op.29が素晴らしい出来だと感じた。
スクリャービンの前奏曲Op.11のNo.21変ロ長調、ショパンの前奏曲Op.28のNo.21変ロ長調の曲の随所で聴こえてくる高音の、そのあまりにもの美しさに驚いた。
単なる美しさというのではなく、ピアノという楽器の持つ究極の美しさ、というべきものであろうか。

太田さんの腕の動き、指や手首の動きを観察していると、大きな動作が無いことが分かる。
手は終始、鍵盤から殆ど離れていない。つまり無駄な動きが無いということだ。
よく手を頭の位置まで振り上げて、これはパフォーマンスかよ、と言いたくなるような奏者が多いが(ギターでも)、太田さんの奏法はそのような演奏とは対極だと感じた。
しかしこれほど腕、手、指の動きが最小限にとどめられているのにもかかわらず、ピアノから聴こえてくる音は、低音は力強く重厚かつ深く多層的、高音は突き抜けるような透明感と遠達性と芯のある美しさを持っている。
無駄な力が一切無く、しかもピアノという楽器の持つ最大の魅力ある音を、意識的ではなく「自然な形」で極限にまで引き出そうとしているという姿勢に大いなる感銘を受けるのである。

実際に彼女の演奏を生で注意深く聴いたことがある人ならば、意識せずともそのことを感じているに違いない。
「これこそがピアノの音の本当の素晴らしさなんだ」ということが間違いなく、心に刻まれていることであろう。
実際に今回の演奏会では、最後の曲目の演奏が終った瞬間に、大きな「ブラボー!」という歓声があがった。
また私の席に近くでは、小さな声ではあったが、「素晴らしい」という感嘆の言葉が聴こえてきたことを伝えておきたい。

音楽の本場ドイツに単身、留学し長い間の研鑽の積み重ねで得られた職人魂的なもの、揺らぎのない太く強い根を張ったような基盤の豊かさを感じさせる演奏であった。

アンケートでは今後弾いてもらいたい曲目や作曲家を書いたが1曲書き忘れたのがある。
フランク作曲「前奏曲、コラールとフーガ」。
どうもこの曲が昨日の昼頃から頭に何度か浮かんできていたのである。この曲も太田さんの演奏で生で聴いてみたいものだ。

昨日の演奏会が終ったのが夜の9時過ぎ。
家に着いたのが夜中の12時過ぎであったが、帰路は演奏会の余韻で幸福感に満ちていた。
「ピアノの音は生の音に勝るものはない」、それを初めて教えてくれたのが太田さんの演奏であり、これからも彼女の生演奏を聴き続けることになるであろう。

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人前で話せないことは悪いことでも何でもない

2022-06-05 01:02:05 | 心理
今日は京葉線検見川浜駅近くの美浜文化センター小ホールで太田キシュ道子さんのピアノコンサートを聴きに行ってきた。
帰りが夜中の12時になってしまったので、感想レポートは後日にしたい。

とりあえず寝る前に額に夥しい汗をかくギター弾きではなく、久しぶりに新聞記事の感想を書いてみることにした。
最近の新聞の読者投稿欄で、18歳の女性の投稿「人前で話せないのは悪いこと?」という記事が目を惹いた。

「人前でしゃべらないのは、悪いことなのだろうか?」
「家族以外の人が怖くて、話しかけることも近づくことも出来ない」
「多様性、世の中には色々な人がいることを知ろう、などと言われる時代だ。それにもかかわらず、私のようなタイプは、社会でうまく受け入れてもらえていない気がしている」
「人前で自分の意見をはっきり言えない人は嫌いだ、確かにその考え方は間違ってはいないのかもしれないが、知人からこうもきっぱりと言われてとても悲しくなった」

この記事を読んでちょっと悲しくなったが、この方はとても勇気のある方だ。そして自分を飾らず、自分の気持ちをありのままに出している。
私も小さい頃から人前で話すことが出来なかった。
小学校2年生のとき、工作の発表ということで数人が教室の前に立って説明をすることがあったのだが、私の順番になっていざしゃべろうとしても言葉が出てこない、結局何も言えずに終わってしまったが、その時の担任の先生が、私の後発表した子供と比較して、「さっきのより(それは私のことだった)いいね」と言われて、それがトラウマになってしまった(その時の光景は今でも鮮明に覚えている)。
また。小学6年生のときに全くやりたくもないのに無理やり学級会の議長にさせられて、いざ初回の学級会で司会をするときになって、何を言ったらよいか分からず言葉が出てこなくなってしばらく無言でいたら、担任の先生がもの凄い剣幕で怒り出して、「何でこんな奴を議長にしたんだ」と言い放った。
その直後、私はショックで気分が悪くなり、目の前が真っ暗になって気を失って倒れてしまったのである。
その次の学級会も議長として教室の前に立ったとき、やはり前回と同様極度の緊張で言葉が出てこなかったのであるが、またもや担任の先生が癇癪を起して、物凄い剣幕で怒り出した。
そして私は、前回と同じように目の前が真っ暗になって貧血を起こして倒れ、気が付いたら気分が凄くわるくなって戻してしまった。
これはとても大きなトラウマになった。
これ以降、学校の先生というものが大嫌いになった。
そして人前でスピーチするようなことは高校卒業するまですることは無くなった。

しかし大学生になって新たな悩みが出来た。それは飲み会、コンパでの会話だった。
飲み会で楽しい話が出来ないのである。会話が出来なかった。
頭の中に言いたいことがたくさんあるのだが、言葉が出てこない。そして対面する人が怖かった。
そのことで物凄く悩んだ。
今でも飲み会は緊張する。

この女性が言うように、昨今はマイノリティーなど多様性を許容することを求め、理解されつつあるが、人前でなかなか話せない人に対しては、冷ややかなようだ。何故か。
それは、人前で話せないことは努力不足、能力不足と見る傾向があるからだ。
人前で話すことに何の抵抗もなく育ってきた人は、「人前で話せない」ということが理解できないのである。
何で話そうとしないのだ、自己主張しないと駄目ではないか、とこのような人は言う。
人前で話すときの恐怖がどういうものか、実感として分からないからなのである。
それは無理もないことだ。

「人前で自分の意見をはっきり言えない人は嫌いだ」。これほど人間の多様性を無視した、理解力の乏しく、価値観が狭く偏重した言い方はない。
だいたい、人前で自分の意見をはっきり言える人が、聴くに値することを言っているとは限らない。
ものごとの上っ面を単に幅広くしゃべっているに過ぎないことが多々ある。
まずそのことに気付く必要がある。現実をよく見ることである。現実が分かれば恐れることはない。

また、人前で話せないこと=悪いこと、人前で話せない人間=価値のない駄目な人間、という価値観が全く誤っていることを知ることだ。
誰がこんな価値観を正しいと広めたのであろうか。
人前で話せない人間が、そういう自分を駄目だと感じて、そういう自分を憎み、嫌って、そういう自分を抹殺して人前で堂々と話せる自分になろうと凄まじい努力したとしたら、間違いなく、100%、心が病んでいきます。
そして努力すればするほど、実際の自分と乖離していき、心に深刻なダメージが蓄積されていき、最悪は自殺まで行きます。

「人前で話せることが素晴らしい」なんで思う必要なんで全くない。
人間の価値はそんなもので決まるものではない。
人前で話せなくても、自分は元来、生来、素晴らしいものを持っている、と認識できないだろうか。
自分の持っている価値に気付くことができれば、人前で話せないことは何でも無くなる。
どうでもいいという心境になれる。
そんなことに価値を置くのが馬鹿らしいと思える。何か、笑いたくなってくるのではないか。

話すことが苦手でも、人付きあいが出来なくても、自分の能力を発揮できる職業はたくさんある。
大事なことは、世間一般の価値観をうのみにしないことであり、自分を信じることだ。
画一的な価値観を主張する人間だって、自分を見失っている人はたくさんいるのだから。

話すことが苦手であれば、文字にして自己主張することもできる。

人前で話せないことは何ら、全く問題ありません、と断言できる。



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