緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

練習録音 アンドレス・セゴビア作曲「光のない練習曲」(3回目)

2022-06-13 22:09:37 | ギター
アンドレス・セゴビア作曲「光のない練習曲」の練習録音3回目。
マンドリン合奏の追い込み練習(?)の合間(?)の独奏練習。

もっと暗く、心が苦しく、気持ちが荒涼としたように弾きたいものだ。

20代の心が苦しかった時代にしょっちゅう聴いていた(武満徹編曲のコスマの失われた恋と共に)アンドレス・セゴビア作曲「光のない練習曲」 暗く荒涼とした気持ちになりたいときにもってこいの曲 2022年6月13日
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心が苦しいのは問題を解決しようとしているから

2022-06-13 00:14:18 | 心理
今日は東京某町で社会人マンドリンクラブの合奏練習。
今日はいつもより遅く始まり遅く終わったので、反省会の開始時間も遅くなり1時間ほどで退出させてもらった。
遅い時間となったが、帰りの電車の中で読んだ心理関係の本の中で、気になった文言があったので記事に取り上げて寝ることにした。

その内容とは、「人は苦しいから問題を解決しようとします。実は苦しいのは、問題を解決しようとしているからなのです。逆なのです」というものであった・
この文章を読んだ時、随分昔に読んだ心理療法の本の中で出会った、次の文言を思い出した。

「神経症とは、神経症を治そうとする病気である」

神経症とは古い言い方であるが、うつ、対人恐怖など、心の問題を総称した言い方だと思っていい。
意図するところは、このような状態を「問題」だと捉え、その「問題」を解決しないといけない、解決しないと大変なことになると思い込んで対処することこそ、「問題」なのだということなのだろう。

ひと言に「心の苦しみ」といっても様々なものがあり、1つに集約できるものではないが、この「心の苦しみ」のが生れた根元は何かということを考えたとき、例えば小さい時からおとなしく自己主張が出来ない、人見知りをする、気が弱く頼りない、消極的などの特性を、その人にとって重要な他者(親、兄弟、先生、友達、先輩、上司など)から激しく否定され、否定される恐怖から逃れるために、これらの特性を「問題」だと受け止め、その問題を克服すべく努力を行ったことで生れたものと思われる。

責めてきた重要な他者の言うことの方が正しく、責めるられる自分の「特性」の方が悪いのだから、責められないためにはこの「特性」を克服して無くさなければならないと自分に言い聞かせ、潜在意識下にその解決行動を回路のようにプログラミングしてしまう。
これが「恐怖」を始めとする心の苦しみが生じるメカニズムである。

もし重要な他者からこのような特性を責められるどころか、人間的魅力だとか、そのようなあなたが大好きなどと繰り返し言われ続けたとしたら、そのような人はその自分の特性を憎んだり、嫌ったり、抹殺しようとすると共に全く別の特性の人間になろうと凄まじい努力をすることはまずないであろう。
このようにして育った人は、どんな人と一緒にいても、自分の特性を無意識のもとに安心感を持って受け入れ、どんな環境下においても自分を見失うことなく自己実現していくことが出来るに違いない。

恐怖が絶えず起き、その恐怖から逃れるために自分にムチを打ち続けるのは、自分を責めて来た人間の方を肯定し、自己主張出来ない、頼りない、消極的などといった特性が悪いことだと、責めてきた人と同じようにいっしょになって自ら自分を憎み責め立て続けるからである。
このパターンが絶えず、24時間、心の中で起きているのである。
心の中がこんな状態になっていれば苦しいのは当たり前である。

この苦しみを解消していくためにはどうしたらよいだろう。
まず、心の苦しみを引き起こしている心の状態、潜在意識での自動回路のようなものに気付く必要がある。
心の苦しみが「恐怖」だとしたら、過去に起きた不幸な体験で、自分の「特性」のままでいることが危険だと感じ、その「特性」を克服しようと絶えず衝動に駆られていることに気が付く。
このことに気が付けば、自分が本来持っていた「特性」に長い間ひどいことをしてしまっていたと思うのではないか。
そのことを心底理解できるのであれば、自分を責めることに費やしてきたエネルギーを、逆に自分を癒し、肯定し、自己実現に向かわせるためにエネルギーに変換することが出来る。
そしてそれを潜在意識下で肯定的自動回路として根付かせていく必要がある。
自分を責め立て駆り立てるためにこれまでさんざん行ってきたのと同じくらいの作業が必要かもしれない。

この作業は他人が行うことは出来ない。
自分自身でしか出来ないことなのである。

冒頭の本の著者は最後に次のような事を書いている。
「恐れがある限り自我はがんばり、真の問題解決を遠ざけます。そして問題があなたにどんな恐れがあるのかを見せてくれているわけです。恐れを取ることだけが、真の問題解決です。何故ならば幸せとは恐れのない状態のことをいうのですから。問題が解決してしまったら、恐れだけが取り残されていまいます。
問題を解決しようとしないで下さいと言ったのはその為です。問題があると言う事恥じる心に気付いて下さい。」

「恐れを取ることだけが、真の問題解決です。」 この意味することは、「恐れ」とは客観的に何の問題も無い自分の特性を恥じ、憎み、嫌い、その特性を問題と認識し克服しようと対処することで持続的に生じること、その「恐れ」を取るためには、「恐れ」を生むこのような心の中の心理パターンに気付き、「問題」(=自分の特性を悪いものだと認識すること)などと受け止め解決しなくても良いのだと思える心境に変化させていくことを示している。
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