緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

過度の緊張にどう向き合ったらよいのか

2022-06-26 23:10:36 | 心理
今日は東京某町で社会人マンドリンクラブの合奏練習があった。
練習後は10人くらいと反省会に。
今日の反省会は結構楽しかった。
それはそれで嬉しいことでもあったのだが、演奏面でちょっとやっかいな問題に直面することになってしまった。
演奏曲の中でギターだけ一部の奏者が弾く箇所があるのであるが、その部分の演奏時に過度の緊張により思うように弾けなくなってしまったのだ。
多分演奏会が近づいてきていることも関係していると思われるのであるが、完全にメンタルの問題のように思われる。
普段の練習時には全く問題なく弾けている曲が、いざ人前で弾くときに次のような状態に陥り、不本意な演奏になってしまうというものなのだ。膨大な練習量を重ねているというのに。

・その曲、そのフレーズの演奏が近づくにつれてじわりと不安が増大する。
・心拍数の増大。
・手の震え。
・平常心の喪失

多くの方が、多かれ少なかれ上記のようなことは経験するのであろうが、極力本番では良かったと思えるような状態にまで持って行きたい。そうありたいと願うものだ。
ではどうするか?。

私はもう上記のような状態に意識的に抵抗するのではなく、出るにまかせる他はないのではないかと思う。しかしその上で、最低限止まらずに弾き切る。
このような緊張を意志の力で無くそうとコントロールすればするほど負のスパイラルにはまりこんでいくものである。

アドラー心理学をもとにあがり症の対処方法を書いたある著作によると、あがり症を無くそうとする試みは神の摂理に対する無益な挑戦だと説明している。
「自然発生する感情と、それを拒絶する自分自身の葛藤こそがあがり症の正体です。必要だったことは自分との和解です。あがり症との闘いの日々に勝利はありません。和解こそが真の勝利です。」
また加えて次のようにも述べている。
「そうして自分自身と和解し、他者と繋がることができたとき、地に足が着いたような感覚を感じます。(中略)安全感を感じると人前での圧倒的なまでの恐怖感が和らぎます。」

上記の説明は、今まで自分が長い間取り組んできた、対人恐怖症の解決にも共通のものを感じる。
過度の緊張、すなわちあがり症の解決方法は対症療法的なものは膨大に見ることは出来るが、自分は上記の考え方が本質を突いているように感じる。私はこの方法を採用することにする。

これからもこの感情は継続するかもしれないが、出るにまかせて真正面から直面していくしかないだろう。
そのプロセスで何か得るものがあったら記事に取り上げていきたい。
コメント