世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

価値観の違い

2016年05月28日 22時32分50秒 | Weblog
「東京大神宮行ったほうがいいですよ。恋愛のパワースポットなんですよ」
と知人に言われた。

名所としての東京大神宮には興味があるが、そういう恋愛がらみのパワースポットとしての東京大神宮には興味がない。

軽くすすめてくるだなんて、なんて失礼なんだろうと思った。
こういう失礼なことをしれっとしているから、いつも振られるんじゃないの?と正直思ってしまうのだった。

それにパワースポットよりもホラースポットのほうに興味がそそられる。
もしくは廃墟など。


東京大神宮だったら近くの明治大学の明治大学博物館に行きたい。
ここの「刑事部門」は、身の毛もよだつ拷問道具がずらりと並んでいる。
処刑具と拷問具のオンパレード!!


というメッセージを送ったらLINEが途絶えた。
悪い子じゃないんだが。
脳内が恋愛一色な女子はちょっと苦手かもしれない。

コメント (3)

イタリア土産

2016年05月28日 20時43分26秒 | Weblog
オーソーレミーオ!!

今朝は妹の新婚旅行の土産(イタリア産パスタ)と「青の洞窟(クアトロフォルマッジ4種のチーズソース)」という無敵のコンボ。
イタリア産パスタはモッチモッチとしてて、マジでまいうーだった。
奥歯でかみ締めると僅かに抵抗が感じられて食べごたえがあった。
通常、青の洞窟はボロネーゼをチョイスするのだが、クアトロフォルマッジ4種のチーズソースもなかなかのもの。
今まで行っていたスーパーが青の洞窟を198円から258円で売るようになり、「ざけんなよ」と憤慨。他のスーパーで218円で買うようになったのは最近のこと。底値を知ってしまうと底値を追い求めてしまう。

青の洞窟、最高!!


吉熊「ナグちゃん、今日はボロネーゼじゃないね」
ナグ「ぼろねぜじゃない」



今日は一日ぼんやりしていた。
母と日中電話をした。
洗濯物を干して、煙草が切れたので最低限の化粧をしてコンビニへ。

妹は夫の会社のイベントに参加したらしい。
「○○の家内です~。いつも主人がお世話になっています~」
と夫の上司に酒を注ぎまくっているのに3,000点。
同じ製造元なのに、そこらへんの気転の利きっぷりの違いって何だろう。謎。
飲み屋でも開いたら儲かりそう。スナック「いもこ」「いもねえちゃん」っていうのはどうだろう。
もしくは「愛・・・うえお」とか。

「タダ酒最高\(^o^)/」というLINEが着たので、やはり彼女は飲兵衛だと再確認。

パスタはたくさんもらったので、暫くは買わずに済みそう。ありがとう、芋子。



コメント (2)

「ひそやかな花園」

2016年05月28日 20時29分17秒 | Weblog
「ひそやかな花園」(角田光代)



夏の数日間を森の家で過ごしていた7人の子供との家族。
※この木でできた家の表現を「クマがシチュウを煮込んでいるような」と表現されてて個人的にツボだった。

あるときからキャンプは行われなくなり、親たちはキャンプについて話さなくなった。
ある「秘密」が隠されていたから・・・。

その「秘密」というのは、その子たちが非配偶者間の人工授精によって誕生したこと。
男性不妊の父親からではなく、軽井沢にあるクリニックで母親と精子ドナーの間で生まれたのだった。
同じ境遇の親が、悩みを打ち明けられる仲間を持ちたいという発想でそのキャンプは開催されていた。

7人は時代とともに大きくなり、それぞれの環境や境遇でも、あのキャンプのきらきらした時間を忘れられず、互いを探し出す。
あのキャンプを、ある者はイラストレイターとして絵を描いて発信、ある者はシンガーソングライターとして歌で発信。
物凄い嗅覚で互いを結びつける。点と点が線になるように、7人は再会。


「生物学上の父親と会いたいか?」
ということを巡り、そこでも一悶着あるのだが、最後は「ううっ」と嗚咽しそうなぐらいハッピーエンドで締めくくってくれて、「ありがとう、角田光代!」と思ってしまった。



私は子どもをほしいと思ったことが無くて、これからも親にはなりたくないと思う(子供嫌い)。
まとわりつかれるのも大きな声をあげられるのも嫌だと思う。


登場人物たちの親が精子ドナーを使ってまで子どもをほしいと願う心理は到底理解できないと最初は思っていた。
でも物語が進むうち、本の中の彼らの切実な願いが直球で私の胸に広がり、どうしてもほしかったのだなと思えるようになった。

7人の登場人物のうちの一人、イラストを描く樹里は私と同じ歳だ。一番親近感を持てた。

その樹里が軽井沢のクリニックで働いていた元看護師・静と会うシーン。
静の言葉がとても印象深かった。

「私はね、ええと、樹里さん、だったよね。しあわせが一種類だと決めつけたくなかったんだよね。私は自然には赤ちゃんができなかった。三十代の半ばになったとき、このままただ待っていたんじゃできないんだってようやくわかった。そのときに、夫といっしょにうんと考えたんだよね。子どもはほしかったし、私はああいうクリニックで働いていたから、ほしいと願えば産む方法はいくらでもあるって知っていた。だけどね、子どもがいればしあわせで、いなければそうじゃないの?ぜったいそう?そのとき夫と決めたんだ。二人で人生をかけてそれを知ろうって。子どもを持とうと努力しなかった自分たちがその後どうなるかを身をもって知ることにしたわけ」

「まだ人生は終わっていないから結論は出せないけど。だってあと五年後、地団駄を踏むように子どもがほしいって思うかもしれないでしょ?産んでおけばよかったって歯噛みしめて悔しがるかもしれないでしょ?でも今日までのところ、そんな気持ちになったことはないよ。私も夫も。私の夫は勤めていた自動車メーカーを辞めて、この町で釣具屋はじめたの。私は絵を描くようになった。個展をやるときは都内のウィークリーマンションを借りるし、一年に一ヶ月は休みをとって、二人で海外で過ごしている。どれも子どもがいないからできることだけど、でも、子どもがいても同じ充実は得られたとは思う。だから、おんなじだよ。いたとしても、いなかったとしても。ただ、生きなくちゃならない自分の人生がある、ってだけ」



未婚でしかも産まないと決めている自分でもごく稀に「遺伝子はここで終わるんだなあ」と思うことがある。かと言って、禁煙・禁酒をしてまで産んだとて、育て上げるまで20年も静かで安寧な生活を取り上げられて、好きでもない子供という人種に自己犠牲をしいじられるのは真っ平ごめん、とも思う。そんな自分に波紋が広がるように沁みた言葉だった。自分の思った道をいけばいいんだなって。でも、生きなくちゃならない自分の人生もあるんだなって。

血縁や命について、すごく考えさせられる作品だった。
角田光代のプロットの精緻さ、豊かでありながらもシンプルな表現力に脱帽。


作中、「ポリアンナ物語の最後の歌」「ポア」「尾崎豊の死」「まじかる☆タルるートくんの映画」「光GENJI」など、当時のことが鮮明に書かれていて、樹里たち7人がリアルに感じられた。

ところで、作中に出てきた「クマがシチュウを煮込んでいるような」別荘だが、ググってみた。
こんな感じだろうか。




軽井沢の別荘とまではいかないが、私も夏の数日を山の中ですごした事がある。
それは母の生まれ故郷・足尾だ。
足尾の銀山平のまるで「クマがシチュウを煮込んでいるような」バンガローに何泊かした。


すぐ近くを流れる川のせせらぎ、高くて青い空。テレビが無いバンガローでの生活。
ふるさと足尾の会へも参加していたこともあり、スイカ割りや肝試しや花火もした。
見ず知らずの地元の子(母の同級生の子)とも仲良くなって、本当に楽しかった。

作中、親たちが子供が欲しいと願ったから自分たちがいる。自分にしか見られない世界がある、とあったが、まさにそれ。
「私」という世界を作ってくれて、きれいなものをたくさん見せてくれてありがとうと親に言いたい。

コメント (2)