「ひそやかな花園」(角田光代)
夏の数日間を森の家で過ごしていた7人の子供との家族。
※この木でできた家の表現を「クマがシチュウを煮込んでいるような」と表現されてて個人的にツボだった。
あるときからキャンプは行われなくなり、親たちはキャンプについて話さなくなった。
ある「秘密」が隠されていたから・・・。
その「秘密」というのは、その子たちが非配偶者間の人工授精によって誕生したこと。
男性不妊の父親からではなく、軽井沢にあるクリニックで母親と精子ドナーの間で生まれたのだった。
同じ境遇の親が、悩みを打ち明けられる仲間を持ちたいという発想でそのキャンプは開催されていた。
7人は時代とともに大きくなり、それぞれの環境や境遇でも、あのキャンプのきらきらした時間を忘れられず、互いを探し出す。
あのキャンプを、ある者はイラストレイターとして絵を描いて発信、ある者はシンガーソングライターとして歌で発信。
物凄い嗅覚で互いを結びつける。点と点が線になるように、7人は再会。
「生物学上の父親と会いたいか?」
ということを巡り、そこでも一悶着あるのだが、最後は「ううっ」と嗚咽しそうなぐらいハッピーエンドで締めくくってくれて、「ありがとう、角田光代!」と思ってしまった。
私は子どもをほしいと思ったことが無くて、これからも親にはなりたくないと思う(子供嫌い)。
まとわりつかれるのも大きな声をあげられるのも嫌だと思う。
登場人物たちの親が精子ドナーを使ってまで子どもをほしいと願う心理は到底理解できないと最初は思っていた。
でも物語が進むうち、本の中の彼らの切実な願いが直球で私の胸に広がり、どうしてもほしかったのだなと思えるようになった。
7人の登場人物のうちの一人、イラストを描く樹里は私と同じ歳だ。一番親近感を持てた。
その樹里が軽井沢のクリニックで働いていた元看護師・静と会うシーン。
静の言葉がとても印象深かった。
「私はね、ええと、樹里さん、だったよね。しあわせが一種類だと決めつけたくなかったんだよね。私は自然には赤ちゃんができなかった。三十代の半ばになったとき、このままただ待っていたんじゃできないんだってようやくわかった。そのときに、夫といっしょにうんと考えたんだよね。子どもはほしかったし、私はああいうクリニックで働いていたから、ほしいと願えば産む方法はいくらでもあるって知っていた。だけどね、子どもがいればしあわせで、いなければそうじゃないの?ぜったいそう?そのとき夫と決めたんだ。二人で人生をかけてそれを知ろうって。子どもを持とうと努力しなかった自分たちがその後どうなるかを身をもって知ることにしたわけ」
「まだ人生は終わっていないから結論は出せないけど。だってあと五年後、地団駄を踏むように子どもがほしいって思うかもしれないでしょ?産んでおけばよかったって歯噛みしめて悔しがるかもしれないでしょ?でも今日までのところ、そんな気持ちになったことはないよ。私も夫も。私の夫は勤めていた自動車メーカーを辞めて、この町で釣具屋はじめたの。私は絵を描くようになった。個展をやるときは都内のウィークリーマンションを借りるし、一年に一ヶ月は休みをとって、二人で海外で過ごしている。どれも子どもがいないからできることだけど、でも、子どもがいても同じ充実は得られたとは思う。だから、おんなじだよ。いたとしても、いなかったとしても。ただ、生きなくちゃならない自分の人生がある、ってだけ」
未婚でしかも産まないと決めている自分でもごく稀に「遺伝子はここで終わるんだなあ」と思うことがある。かと言って、禁煙・禁酒をしてまで産んだとて、育て上げるまで20年も静かで安寧な生活を取り上げられて、好きでもない子供という人種に自己犠牲をしいじられるのは真っ平ごめん、とも思う。そんな自分に波紋が広がるように沁みた言葉だった。自分の思った道をいけばいいんだなって。でも、生きなくちゃならない自分の人生もあるんだなって。
血縁や命について、すごく考えさせられる作品だった。
角田光代のプロットの精緻さ、豊かでありながらもシンプルな表現力に脱帽。
作中、「ポリアンナ物語の最後の歌」「ポア」「尾崎豊の死」「まじかる☆タルるートくんの映画」「光GENJI」など、当時のことが鮮明に書かれていて、樹里たち7人がリアルに感じられた。
ところで、作中に出てきた「クマがシチュウを煮込んでいるような」別荘だが、ググってみた。
こんな感じだろうか。
軽井沢の別荘とまではいかないが、私も夏の数日を山の中ですごした事がある。
それは母の生まれ故郷・足尾だ。
足尾の銀山平のまるで「クマがシチュウを煮込んでいるような」バンガローに何泊かした。
すぐ近くを流れる川のせせらぎ、高くて青い空。テレビが無いバンガローでの生活。
ふるさと足尾の会へも参加していたこともあり、スイカ割りや肝試しや花火もした。
見ず知らずの地元の子(母の同級生の子)とも仲良くなって、本当に楽しかった。
作中、親たちが子供が欲しいと願ったから自分たちがいる。自分にしか見られない世界がある、とあったが、まさにそれ。
「私」という世界を作ってくれて、きれいなものをたくさん見せてくれてありがとうと親に言いたい。