世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「夕凪の街 桜の国」

2012年08月06日 21時49分49秒 | Weblog
今朝、「あー梅ちゃん先生が始まるなあ」と思い、視線を向けたテレビには、いつもと違う映像が流れていた。

原爆死没者慰霊碑を前に参列した多くの人々。
そう、今日は広島の平和式典。
8時からのNHKでは、その模様が毎年放映されている。

原爆が投下された8時15分、私は、毎年、通勤途中にいる。
そっと祈りを捧げている。
きっとあの夏、広島では多くの人々が私のように通勤(動員)途中だったのだろう。

昼、喫煙所にて。
「朝っぱらから戦争のニュースとか映像って重いよねえ」
と先輩が言った。
どうしてもその言葉に違和感を覚えて、
「そうですね」
とは言えなかった。

あの原爆では14万人の人々が無くなった。
それが「重」いのは当り前だろう。
一人ひとりの掛けがえのない人生が奪われたのだ。
戦前戦中に生きていた人が少なくなってきた今、後世に平和の有難さや戦争の悲惨さを伝えることは重要なことだ。
だから先輩の言葉はなんだか残念に思えた。



広島の原爆資料館へは、数年前まで毎年行っていた。
広島に友達や親戚がいるわけではないのだが。
尾道に行く前や後、必ず行かなくてはいけないような気がしていたのだ。

原爆資料館で一冊の漫画に出合った。
「夕凪の街 桜の国」(こうの史代)
綺麗な装丁に惹かれた。
尾道へ向かう電車内で読んだのだが、涙を堪え切れなかった。



原爆投下から10年後、昭和30年の広島。
建設会社の事務員・平野皆実は貧しいバラック小屋で母と二人暮らし。
ようやく幸せを手に入れようとしていた矢先、原爆症を発症。
死に際の台詞が読んでいて辛かった。



「嬉しい?
 十年経ったけど、原爆を落とした人は、私を見て
『やった!また一人殺せた』と、ちゃんと思うてくれとる?
 ひどいなぁ。
 てっきり私は、死なずにすんだ人かと思ってたのに。」



また、数日前、同僚の打越さんと手をつないだ皆実。
原爆症で溶けた内臓を吐き、失明し、生死の境にいる時に、

「黙って手を握る人がいた。知っている手だった」

というところで号泣。


今日、読み返しても泣ける。


読み終えて本を閉じる時、あの陽炎に揺らめく広島の熱気と蝉しぐれが目に浮かんだ。


2007年、映画化もされた。(たしか2回観に行った)
夕凪の街 桜の国 予告編




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