今朝、「あー梅ちゃん先生が始まるなあ」と思い、視線を向けたテレビには、いつもと違う映像が流れていた。
原爆死没者慰霊碑を前に参列した多くの人々。
そう、今日は広島の平和式典。
8時からのNHKでは、その模様が毎年放映されている。
原爆が投下された8時15分、私は、毎年、通勤途中にいる。
そっと祈りを捧げている。
きっとあの夏、広島では多くの人々が私のように通勤(動員)途中だったのだろう。
昼、喫煙所にて。
「朝っぱらから戦争のニュースとか映像って重いよねえ」
と先輩が言った。
どうしてもその言葉に違和感を覚えて、
「そうですね」
とは言えなかった。
あの原爆では14万人の人々が無くなった。
それが「重」いのは当り前だろう。
一人ひとりの掛けがえのない人生が奪われたのだ。
戦前戦中に生きていた人が少なくなってきた今、後世に平和の有難さや戦争の悲惨さを伝えることは重要なことだ。
だから先輩の言葉はなんだか残念に思えた。
広島の原爆資料館へは、数年前まで毎年行っていた。
広島に友達や親戚がいるわけではないのだが。
尾道に行く前や後、必ず行かなくてはいけないような気がしていたのだ。
原爆資料館で一冊の漫画に出合った。
「夕凪の街 桜の国」(こうの史代)
綺麗な装丁に惹かれた。
尾道へ向かう電車内で読んだのだが、涙を堪え切れなかった。
原爆投下から10年後、昭和30年の広島。
建設会社の事務員・平野皆実は貧しいバラック小屋で母と二人暮らし。
ようやく幸せを手に入れようとしていた矢先、原爆症を発症。
死に際の台詞が読んでいて辛かった。
「嬉しい?
十年経ったけど、原爆を落とした人は、私を見て
『やった!また一人殺せた』と、ちゃんと思うてくれとる?
ひどいなぁ。
てっきり私は、死なずにすんだ人かと思ってたのに。」
また、数日前、同僚の打越さんと手をつないだ皆実。
原爆症で溶けた内臓を吐き、失明し、生死の境にいる時に、
「黙って手を握る人がいた。知っている手だった」
というところで号泣。
今日、読み返しても泣ける。
読み終えて本を閉じる時、あの陽炎に揺らめく広島の熱気と蝉しぐれが目に浮かんだ。
2007年、映画化もされた。(たしか2回観に行った)
夕凪の街 桜の国 予告編
原爆死没者慰霊碑を前に参列した多くの人々。
そう、今日は広島の平和式典。
8時からのNHKでは、その模様が毎年放映されている。
原爆が投下された8時15分、私は、毎年、通勤途中にいる。
そっと祈りを捧げている。
きっとあの夏、広島では多くの人々が私のように通勤(動員)途中だったのだろう。
昼、喫煙所にて。
「朝っぱらから戦争のニュースとか映像って重いよねえ」
と先輩が言った。
どうしてもその言葉に違和感を覚えて、
「そうですね」
とは言えなかった。
あの原爆では14万人の人々が無くなった。
それが「重」いのは当り前だろう。
一人ひとりの掛けがえのない人生が奪われたのだ。
戦前戦中に生きていた人が少なくなってきた今、後世に平和の有難さや戦争の悲惨さを伝えることは重要なことだ。
だから先輩の言葉はなんだか残念に思えた。
広島の原爆資料館へは、数年前まで毎年行っていた。
広島に友達や親戚がいるわけではないのだが。
尾道に行く前や後、必ず行かなくてはいけないような気がしていたのだ。
原爆資料館で一冊の漫画に出合った。
「夕凪の街 桜の国」(こうの史代)
綺麗な装丁に惹かれた。
尾道へ向かう電車内で読んだのだが、涙を堪え切れなかった。
原爆投下から10年後、昭和30年の広島。
建設会社の事務員・平野皆実は貧しいバラック小屋で母と二人暮らし。
ようやく幸せを手に入れようとしていた矢先、原爆症を発症。
死に際の台詞が読んでいて辛かった。
「嬉しい?
十年経ったけど、原爆を落とした人は、私を見て
『やった!また一人殺せた』と、ちゃんと思うてくれとる?
ひどいなぁ。
てっきり私は、死なずにすんだ人かと思ってたのに。」
また、数日前、同僚の打越さんと手をつないだ皆実。
原爆症で溶けた内臓を吐き、失明し、生死の境にいる時に、
「黙って手を握る人がいた。知っている手だった」
というところで号泣。
今日、読み返しても泣ける。
読み終えて本を閉じる時、あの陽炎に揺らめく広島の熱気と蝉しぐれが目に浮かんだ。
2007年、映画化もされた。(たしか2回観に行った)
夕凪の街 桜の国 予告編