世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

五月晴れ

2010年05月08日 23時55分06秒 | Weblog
土曜出勤日。
五月晴れ。
昨日の雨が塵を流してくれたようだ。
窓から見る外の風景がキラキラと輝いているのを見ながら、ひたすら決算短信のチェック!続けてやっていると意識が朦朧としてくるので、タイミングを見計らって違う仕事をやりながら進めた。

午後は会議の議事録に捺印をしてもらうべく、役員さんたちを回った。
「お疲れさまです!ご捺印をお願いします」
とまずは挨拶。
役員さんが印を机から出している隙に、書類を開き、朱肉とマットを用意。そして捺印してもらう箇所を指示する。
これは、先日、産休に入った後輩女子Aちゃんからの引き継ぎ業務。
なかなか手こずる。
これをエレガントにできるようになった頃、Aちゃんは母になって復帰してくるはず。

今日は一日を通して、やたら吉熊に会いたくて仕方がなかった。
たまにこのような日がある。

明日は一日だけの貴重な休み。
溜まった洗濯などのやるべきことを遂行したあとは、吉熊と戯れる予定。

画像は先日の帰省の際のもの。
庭に咲くチューリップの中を覗き込む吉熊。
「おやゆび姫はいるかな?」
ですって。
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ヒューマンドキュメンタリー  私の「家族」

2010年05月08日 00時21分35秒 | Weblog
NHKの番組『ヒューマンドキュメンタリー 私の「家族」』を観た。

番組HPより
[詳細]
特別養子縁組で結ばれた親と子の15年を考える。小学生と中学生の3人の子供を育てているある一家。家族の間に血のつながりはない。子供に恵まれなかった夫婦は15年前、NPOを通じて生後数カ月の赤ちゃんと特別養子縁組を行い、さらに2人の養子を迎えて育ててきた。生みの親が別にいることは子供たちに隠さずに伝えてきたが、最近12歳の長女が実母に会いたいと言い始めた。子供が成長の節目を迎えた家族らの姿を通し、親子とは何か、家族のきずなとは何かを考える。

産みの母親にNPOを通して「会いたい」という手紙を出した12歳の長女。彼女の小学校最後のバスケットボール大会を見に来てくれるという約束を励みに日々練習を重ねてきた。しかし、大会4日前、NPOを通して、産みの母親は大会に来られない旨を電話で聞く。電話口で涙を堪えきれない長女。そっと慰める育ての母親。

この光景に涙が止まらなかった。
産みの母親にも事情があるのだろう。
でも、この12歳の長女の涙は誰が拭えというのだろうか。
「また会えるよ。(産みのお母さんのこと)嫌いになっちゃダメだよ」
と優しく宥める育ての母親。
嗚呼、この子はこの家に迎えられて良かったのだと思った。

そしてもう一組の家族。
この夫婦には子供がいない。
妻が病気で子宮と卵巣を摘出してしまい授かれないのだそうだ。
NPO法人「環の会」を通じて、子供を迎えることになった。
事情があって育てられない若い(モザイクがかかっていて分からなかったが)母親に抱かれているのは女の赤ちゃん。手放したくない産みの母親は泣き崩れてしまって、なかなか赤ちゃんを手放そうとしない。
ようやく夫婦に迎えられた赤ちゃんは、3ヶ月後、すくすくと育っていた。

「事情」が発生してしまうのは仕方がない。
でもその「事情」を回避するべく努めることは、最低限、大人としてするべきことだと思う。
あの12歳長女の涙、我が子を手放さなくてはならない若い母親の涙、そんな多くの悲しみを作らないためにも。
あと、「家族」とは血縁だけで繋がっているものではないのだと再認識した。
12歳長女の兄も妹も特別養子縁組で迎い入れられた子達だ。
和気藹々、仲睦まじく、そして逞しく育っている様子からは、どんな「事情」も越えていける希望のようなものを見せてもらった。
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