昨夜の「歴史秘話ヒストリア」は、宮沢賢治について。「雨にも負けぬサラリーマン ~宮沢賢治 最期の2年半~」
私が宮沢賢治を知ったのは小学校5年生のときだ。熱心な担任の福田先生が「雨にも負けず」を教えてくれた。暗記して一人づつ先生の前で披露できないと下校できなかった。他にもカール・ブッセ「山のあなた」や朱熹の「偶成」、「喜びの歌」のドイツ語バージョン、百人一首なども覚えないと下校できなかった。
ようやく覚えた「雨ニモマケズ」。家族に報告したら、父が自室から井上陽水のカセットテープを取りだしてきて、「ワカンナイ」をニヤニヤしながら再生してくれた。「雨ニモマケズ」をモチーフにした歌だった。
そんな経緯があるので、私の中で宮沢賢治は特別な存在なのである。
昨夜の放送は、宮沢賢治のサラリーマン時代にスポットを当てた内容だった。
宮沢賢治ったら、農業か作家を生業として生きていたんじゃね?と思い込んでいたのだが、彼は亡くなる2年半前からはサラリーマン、しかもバリバリの営業マンとして石灰の企業で働いていた。自らDMを出し、商品のキャッチコピーの考案もしていた。そして、上司に報連相とかしていて、観ていて同じ会社員として非常に親近感が湧いた。
常に他人のことを思いやり、他人の幸せを願っていた宮沢賢治。
身を粉にして働いた結果、出張先の東京で倒れてしまう。
「雨ニモマケズ」は、そのとき書かれた。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
そういう者に…やはり私はなれないと思う。昔は「そういう者」にならなければという気概もあったのだが、今では「そういう者」になれたらいいなー…と、ぼんやりと思うでくのぼーだ。でもやっぱり惹かれてしまうのは、純真なときにこの詩に出会うことができたからだと思う。
昨夜の番組で宮沢賢治の知らなかった一面を知ることができた。
もう一つ好きな詩。
「春と修羅・序」
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
今日も明滅しながら生きた私。
明日も明後日も風景やみんなといっしょにせはしくせはしく明滅しながら、いつかぷつりと切れるんだろうなあ…。
「日本昔ばなし」の常田富士夫さんによる朗読。
銀河鉄道の夜 エンドロール.mp4
最後は、高校時代、教科書に載っていた詩。
最愛の妹とし子の臨終の詩。賢治の慟哭の気持ちが伝わってくる。
当時は何も思わなかったが、今になって改めて読むと泣ける。
「永訣の朝」
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨〔いんさん〕な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜〔じゅんさい〕のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀〔たうわん〕に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛〔さうえん〕いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系〔にさうけい〕をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
朗読『春と修羅』/「永訣の朝」「松の針」「この森を通りぬければ」
私が宮沢賢治を知ったのは小学校5年生のときだ。熱心な担任の福田先生が「雨にも負けず」を教えてくれた。暗記して一人づつ先生の前で披露できないと下校できなかった。他にもカール・ブッセ「山のあなた」や朱熹の「偶成」、「喜びの歌」のドイツ語バージョン、百人一首なども覚えないと下校できなかった。
ようやく覚えた「雨ニモマケズ」。家族に報告したら、父が自室から井上陽水のカセットテープを取りだしてきて、「ワカンナイ」をニヤニヤしながら再生してくれた。「雨ニモマケズ」をモチーフにした歌だった。
そんな経緯があるので、私の中で宮沢賢治は特別な存在なのである。
昨夜の放送は、宮沢賢治のサラリーマン時代にスポットを当てた内容だった。
宮沢賢治ったら、農業か作家を生業として生きていたんじゃね?と思い込んでいたのだが、彼は亡くなる2年半前からはサラリーマン、しかもバリバリの営業マンとして石灰の企業で働いていた。自らDMを出し、商品のキャッチコピーの考案もしていた。そして、上司に報連相とかしていて、観ていて同じ会社員として非常に親近感が湧いた。
常に他人のことを思いやり、他人の幸せを願っていた宮沢賢治。
身を粉にして働いた結果、出張先の東京で倒れてしまう。
「雨ニモマケズ」は、そのとき書かれた。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
そういう者に…やはり私はなれないと思う。昔は「そういう者」にならなければという気概もあったのだが、今では「そういう者」になれたらいいなー…と、ぼんやりと思うでくのぼーだ。でもやっぱり惹かれてしまうのは、純真なときにこの詩に出会うことができたからだと思う。
昨夜の番組で宮沢賢治の知らなかった一面を知ることができた。
もう一つ好きな詩。
「春と修羅・序」
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
今日も明滅しながら生きた私。
明日も明後日も風景やみんなといっしょにせはしくせはしく明滅しながら、いつかぷつりと切れるんだろうなあ…。
「日本昔ばなし」の常田富士夫さんによる朗読。
銀河鉄道の夜 エンドロール.mp4
最後は、高校時代、教科書に載っていた詩。
最愛の妹とし子の臨終の詩。賢治の慟哭の気持ちが伝わってくる。
当時は何も思わなかったが、今になって改めて読むと泣ける。
「永訣の朝」
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨〔いんさん〕な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜〔じゅんさい〕のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀〔たうわん〕に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛〔さうえん〕いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系〔にさうけい〕をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
朗読『春と修羅』/「永訣の朝」「松の針」「この森を通りぬければ」