毎年、5月20日から21日未明にかけては、「津山三十人殺し」(筑波昭)を読むことにしている。
今年もこの日がやってきた。
亡くなった方もいるので興味本意であの事件に接してはいけないとは思いつつ、毎年この日になるといてもたってもいられなくなり、あの本を本棚から取り出して頁を捲ってしまう。
津山事件
72年前の1938年(昭和13年)5月21日未明。
僅か2時間弱という短時間で村人30人を惨殺した青年がいた。
都井睦雄だ。
明け方5時頃、猟銃の引き金を自らの足で引っ張って自殺。
「…もはや夜明けも近づいた、死にましょう。」
彼の遺書の結びはあまりにも物悲しくて、死ぬことを焦っている風にも感じられる。
結核になったことで小さな村で村八分になり、恋人からも振られて自暴自棄になってしまったのだろうか、睦雄。そんな言葉では言い表すことができない程の悲しみや憎しみが彼にあったとするならば、私は人間の精神の複雑さについて深く考えずにはいられない。
それにしても、彼はあまりにも多くの人を巻添えにしてしまった。
黒の詰め襟とゲートルを着用し、懐中電灯2本を両耳の上に差し、自転車用のライトを腹部で固定。猟銃と日本刀を振りかざし、「こらえてつかぁさい!」と逃げる村民たちを次々に殺めていった。それはあまりにも残酷で許されないことだ。
血生臭い村を疾走し、やがて山の上で自らの命を断つまでの彼の心理や、彼にそこまでさせたものについて考え出すと、…嗚呼、止まらなくなる。
もはや深夜も近づいた。
読みましょう。
今年もこの日がやってきた。
亡くなった方もいるので興味本意であの事件に接してはいけないとは思いつつ、毎年この日になるといてもたってもいられなくなり、あの本を本棚から取り出して頁を捲ってしまう。
津山事件
72年前の1938年(昭和13年)5月21日未明。
僅か2時間弱という短時間で村人30人を惨殺した青年がいた。
都井睦雄だ。
明け方5時頃、猟銃の引き金を自らの足で引っ張って自殺。
「…もはや夜明けも近づいた、死にましょう。」
彼の遺書の結びはあまりにも物悲しくて、死ぬことを焦っている風にも感じられる。
結核になったことで小さな村で村八分になり、恋人からも振られて自暴自棄になってしまったのだろうか、睦雄。そんな言葉では言い表すことができない程の悲しみや憎しみが彼にあったとするならば、私は人間の精神の複雑さについて深く考えずにはいられない。
それにしても、彼はあまりにも多くの人を巻添えにしてしまった。
黒の詰め襟とゲートルを着用し、懐中電灯2本を両耳の上に差し、自転車用のライトを腹部で固定。猟銃と日本刀を振りかざし、「こらえてつかぁさい!」と逃げる村民たちを次々に殺めていった。それはあまりにも残酷で許されないことだ。
血生臭い村を疾走し、やがて山の上で自らの命を断つまでの彼の心理や、彼にそこまでさせたものについて考え出すと、…嗚呼、止まらなくなる。
もはや深夜も近づいた。
読みましょう。