世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

繰り返される よくある話

2009年07月21日 22時10分45秒 | Weblog
久々にCDコンポを使用。
ネット環境を整えてから、動画サイトで音楽を聴くようになった。
オーディオ機器からは遠ざかっていたんだが、たまには…と思い電源を入れてみた。

久々にポルノグラフィティのアルバムとかかけてみた。
やけに早口な歌がある。
「サウダージ」である。
あの速さに口がついていかないのが悔しい。
つい何度も繰り返し聴き、早口に追い付くべく、額に青筋などを立てながら熱唱。
一人で何やってんだか…。

寂しい…大丈夫…寂しい

この曲を歌うとき、必ず頭に蘇る百人一首がある。
権中納言定家の歌である。

来ぬ人を
まつほの浦の
夕なぎに
焼くや
藻塩(もしほ)の
身もこがれつつ

【訳】
松帆の浦の夕なぎの時に焼いている藻塩のように、
私の身は
来てはくれない人を想って、
恋い焦がれているのです。

愛しい人を待ち焦がれる海女さんの詩である。

「サウダージ」の歌詞に似ていると思うのは私だけだろうか。

幾年経てども、人の心の質って変わらないんだと思う。
恋い焦がれたり、何なり…。

本当、「繰り返される よくある話」(サウダージ)である。

恋愛のことはよくわからない。
けれども、平安時代の宮遣いの女官たちも、私のように
「あー、今日もよくやった。やれやれ。さて、夕飯、何にしようかなー」
などとブツブツ言いながら、退社したんだろうか。

妄想、止まらず。
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向日葵の記憶

2009年07月21日 22時09分43秒 | Weblog
ロビーの花。
今週は向日葵。

借家に住んでいたまだ幼き頃、育てていた向日葵がやけに大きく育った記憶がある。
結局、台風で倒れてしまい、隣の家の駐車場に葬られたのも明確に覚えている。

向日葵というと、あのときの哀しい気持ちや喪失感が蘇る。
…強く明るい花なのに。
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