世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

晩秋の雨の休日

2008年11月16日 21時12分26秒 | Weblog
朝から雨が降ったりやんだり・・・。

そんな中、母が宇都宮から上京してきた。
都内在住の私と妹で、母をアテンドした。
それにしても、私の雨女ぶりは健在である。
もー、「居るだけでごめんね」と二人に謝罪してしまう。

まずは東京都国立博物館。
紅葉は、霧靄の中でほんのりとした明るさを放っていた。まるでイギリスかどっかの公園のような雰囲気であった。


「大琳派展」

今年は尾形光琳の生誕350年目にあたる。
光琳は斬新な装飾芸術を完成させ、「琳派」という絵画・工芸の一派を大成させた。
琳派は代々受け継がれる世襲の画派ではなく、光琳が本阿弥光悦、俵屋宗達に私淑し、その光琳を酒井抱一らが慕うという特殊な形で継承されてきた。
本展は、その琳派を代表する光悦・宗達・尾形乾山・抱一・鈴木其一の6人の夢の饗宴を堪能できる画期的なものだった。
まさかの20分待ち。
一番印象的だったのは、4つの「風神雷神図」。
俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の4人が描いた絵を一気に見比べることができた。
迫力満点。

カイゲンの「風邪ひいてまんねん」のCMでお馴染みの絵である。

たぶんここで立ち止まった人の4割ぐらいの人が「風邪ひいてまんねん」というフレーズを頭に旋回させていたに違いない。

4枚の絵の中で、私が一番気に入ったのが俵屋宗達作の風神雷神図だろうか。
絵の構図がダイナミック。
尾形光琳作のは、風神さまと雷神さまが視線を絡み合わせていて表情がユニーク。
酒井抱一作のはポップな感じ。
鈴木其一作のはただ大きいだけ。空間、無駄じゃね?


どの風神さまも…母に酷似している。
私たちが幼かったとき、母は怖かった。
1階できょうだい喧嘩をしていると、必ず2階からすっとんできて、「あんたたちはっ!」とスゴい形相で殴ったのである。
でも、もしも私が親だったらと妄想すると、殴るだけでは済まなそうだと思う。
だからそれはそれで仕方のないことだったのだ。きっと。
今の母は余裕が出てきて、まるで少女のようだ。
そんな母に美味しいものをと、浅草のアリゾナへ連れていった。
老舗の洋食屋さん。

私の大好きな作家・永井荷風先生が通いつめた店である。
店内には荷風先生の写真が飾られてあり、うっとり。
私はカニクリームコロッケとパンを食べた。
クリーミーでコクがあり、美味しくいただいた。


続いて浅草寺へ。
今日まで大開帳で本殿が開帳されていた。

オレンジ色の衣装を身に纏った外国人のお坊さんを数人見かけた。
その中の一人、ニット帽を被ったクリクリお目目のお坊さんと目があったので英語で会話をした。
週に一度の「リトル・チャロ」の実践テスト!?
何度も「Pardon?」を繰り返され、ようやく彼がタイからやってきたこと、日本食では蕎麦が好きっていう情報を得た。
一人では声をかけなかったと思う。しかし、妹と母がいると大胆になれる。

人形町で観劇をする妹&母と別れたあと、一人で三ノ輪に行った。

ここ1年、遊女がマイブームな私。

今日は遊女の投げ込み寺である「浄閑寺」へ行くことにした。

生まれては苦界
死しては浄閑寺
と句で詠われているように、病気や関東大震災で亡くなった遊女は、ここに投げ捨てられた。
その数25.000人とも言われている。

吉原の遊女との触れ合いを書いた永井荷風先生も、度々ここへ訪れていたらしい。

線香の香りが溶け込んだ霧雨が、私には遊女の囁きに思えた。



歴史の陰で儚く散った極彩色の女たちを思う。

一生は一度しかない。
その一生を遊女として生きた彼女たちを私は可愛そうだとは思わない。
きっと彼女たちもそれは望んでいないはずだ。
ただ、墓前の前に立ち全身全霊でその苦しみを理解する気持ちを、私は持っていたいと思う。


晩秋の雨の休日。
たくさん笑い、たくさん考えた一日だった。


それにしても、吉熊。
厚着をさせてごめんよ。
東京はなぜか蒸し暑かった。
ウールのコートを着用していたが、汗かまくりだった。
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