世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

2日目 (6)瀬戸内海

2006年08月12日 15時38分49秒 | Weblog
宮島は杓子が名産。
杓子には「家内安全」とか「必勝」とか書いてある。
たまには「どうでもいいですよ」というような脱力系杓子があっても良いような気がするんだが。

焼きカキ、もみじまんじゅうを歩きながらモリモリ食べた。

それにしても、なんて綺麗な土地だろう。
もう、全て忘れていた。
仕事のことも将来の不安も、どうにかなる気がした。
ただ目の前にある海をひたすら感じていた。


2日目 (5)厳島神社 鳥居の真下

2006年08月12日 15時36分45秒 | Weblog
真下はこんな感じ。
後先考えずに入った結果、びっしょり。
引き潮といっても、水位が1センチほどあった。
こういうふうに後先考えないところも、昔から変わらない…。


2日目 (4)厳島神社

2006年08月12日 15時34分53秒 | Weblog
宮島と聞くと高校時代の修学旅行を思い出す。
あの頃を思い出すと、…今とあまり変わらない自分がそこにはいる。
そう、基本的に変わっていない。
いつでもマイペース。
他人にどう思われようが、世間の女子高生に何が流行しようが、興味がなかった。
いや、興味がない振りをしていたのかもしれない。
その証拠として少しでも自分に対する批評を聞くと、歯に挟まったサキイカのようにココロのどこかに引っ掛っていた。それも今と変わらない。

高校時代の修学旅行は、宮島で一泊した。
そのホテルを見た。
名前が変わっていた。

やはり11年の歳月は長いのだろうか。
島を歩いても、思い出の殆んどが忘却の彼方にあり、まるで初めて来た土地のようだった。

引き潮真っ最中だったので厳島神社の鳥居まで歩いてみた。
真下から見上げる朱色の鳥居は迫力満点だった。

2日目 (3)広島平和記念資料館

2006年08月12日 15時31分58秒 | Weblog
平和公園を歩いていると、61年前、この地を水を求めてさまよい、やがてなくなっていった人々の声が聞こえてきそうで、やりきれなくなる。

資料館で、こんなことがあった。

被爆して亡くなった男子の学生服(血痕がついていてボロボロ)を
私の隣で小学2年生位の男の子が見ていた。
ケースに喰らい付くように、見ていた。

すると、その子の父親らしき人が「あんまり見ると怖くなるねんから、見ん方がええよ」と、男の子の手を引いていった。
手を引かれつつも男の子は学生服をずっと見ていた。

平和教育について述べられるほど、私は勉強をしていないし、子供なんて全くもって興味がない。この先、人の親にもならないだろう。こんな私が他人の子供の教育に口を挟むのは私の流儀ではないのだが、子供が知りたいと思うことについて真っ向から否定するって、どうだろう…。
たしかに目を背きたくなる展示物ばかりだ。
しかし、しっかり目を見開いてかつてあった「あってはならないこと」と、その悲惨さを胸に刻み、二度とあのような過ちをしないよう次世代を導くことは、現代の大人に課せられた義務だと私は思う。


地下では特別展示が行われていた。
体験者が描いた絵、その一枚一枚には原爆が投下されたときの様子が鮮明に描かれていた。

倒壊した家の下敷になり、動けない母親。
その前に女の子が「お母ちゃんを助けて」と泣いている。
男3人で手を尽したが家はピクリとも動かない。
やがて火が近付いてきたので泣く泣く「許してください」と手を合わして、私は逃げるしかなかった。…描いた人の解説が添えられていた。

こんなことがあっていいのだろうか。
絵の前で動けなくなった。

2日目 (2)原爆ドーム

2006年08月12日 15時23分40秒 | Weblog
来る度に思う。
人間の愚かさを。残酷さを。
全身に火傷を負った人の苦しみを。
大切な人を失った人の絶望を。

61年前、この建物はあの熱線を受けた。
非人道的な出来事を今に伝える寡黙な生き証人だ。

初めて原爆ドームを見たのは12年前。
高校2年生の修学旅行で。
衝撃的だった。
川を挟んだ遠い場所から眺めたのだが、浮かれていた旅行気分が一気に吹き飛んだのを覚えている。


2日目 (1)ロビー

2006年08月12日 01時21分49秒 | Weblog
古いホテルだったが、清潔だった。
またホテルマンの接客は素晴らしかった。
あと、至るところにロココちっくなインテリアがあり、嬉しかった。
実は、このロココ雰囲気が気になって、このホテルを選んだのだ。