孫の幼稚園さいごの生活発表会が行われました。
三年間でぐーんと成長して逞しく育った子ども達の姿を爺婆は微笑ましく見せてもらえました。
プログラムも終盤、みんなのうたが始まる予定ですが、あらどうしたのかしら?しばらくお待ちください・・・。
何やら楽屋裏で泣いているこどもの声も聞こえました。
しばらくして、真顔な子どもたちがステージに並び、元気な歌が始まりました。みんな一生懸命大きな口を開けて歌っています。
その中で○○ちゃんが泣きじゃくりながら、それでもまっすぐ前を向きみんなと一緒に歌っています。大きく口を開け歌っています。
婆はこの○○ちゃんに感動です。きっと観客席の家族も同じではなかったかと・・・。
何だか婆の目にも涙です。
小さな園の小さなクラスの様子を母親である娘から聞きました。
小さな問題でも、年長組では先生が「こんな時にはどうしたらいいかな・・・?」と時間をかけて子ども達に考えさせ指導してくださっているようだとか・・・。
この子達、春には小学校へと飛び立ちます。末永く、成長を見守りたい爺婆です。
< 感動に 長生き誓う 農婆なり >
<忘れられない発表会>
追記です。50数年もむかし、忘れもしない私の発表会。
小学校低学年。浦島太郎の劇でした。
消極的で目立たない女の子の役は、♪タイやヒラメの舞い踊り・・・のタイの群れの一匹。
頭に着けるお面は自作です。これが自分でも意外に上手く出来、母親からも褒められたものでした。
ところが、いざ本番になってお面がない。確かに裏面に名前も書いていましたし、出番前まであったのに・・・。
半泣きの私は何も言えずいましたが、出番も迫り先生は役を終えた男の子のサンマ?のお面を私の頭に付けると背中を押しステージに出しました。涙目で演じたと思います。
ステージ上はきっと複数いるタイの中にサンマが一匹で観客席はどう見たか・・・そんなことは今になって思うコト。
それ以上に、今でも思われるのは母はどんな思いで末娘の私の演技を見たのだろう・・・。
同じタイの役の中で、仲良しだった近所の友達が私のお面をつけて登場していたことは知っていましたが何も言わない先生と、友だちを攻めもしなかった母、何も言えなかった自分。
一番思えるのは母はどんな気持ちで見てただろう・・・。こればかり。
大人になるまでにはいろんなことがあるよね。今は笑う農婆です。
三年間でぐーんと成長して逞しく育った子ども達の姿を爺婆は微笑ましく見せてもらえました。
プログラムも終盤、みんなのうたが始まる予定ですが、あらどうしたのかしら?しばらくお待ちください・・・。
何やら楽屋裏で泣いているこどもの声も聞こえました。
しばらくして、真顔な子どもたちがステージに並び、元気な歌が始まりました。みんな一生懸命大きな口を開けて歌っています。
その中で○○ちゃんが泣きじゃくりながら、それでもまっすぐ前を向きみんなと一緒に歌っています。大きく口を開け歌っています。
婆はこの○○ちゃんに感動です。きっと観客席の家族も同じではなかったかと・・・。
何だか婆の目にも涙です。
小さな園の小さなクラスの様子を母親である娘から聞きました。
小さな問題でも、年長組では先生が「こんな時にはどうしたらいいかな・・・?」と時間をかけて子ども達に考えさせ指導してくださっているようだとか・・・。
この子達、春には小学校へと飛び立ちます。末永く、成長を見守りたい爺婆です。
< 感動に 長生き誓う 農婆なり >
<忘れられない発表会>
追記です。50数年もむかし、忘れもしない私の発表会。
小学校低学年。浦島太郎の劇でした。
消極的で目立たない女の子の役は、♪タイやヒラメの舞い踊り・・・のタイの群れの一匹。
頭に着けるお面は自作です。これが自分でも意外に上手く出来、母親からも褒められたものでした。
ところが、いざ本番になってお面がない。確かに裏面に名前も書いていましたし、出番前まであったのに・・・。
半泣きの私は何も言えずいましたが、出番も迫り先生は役を終えた男の子のサンマ?のお面を私の頭に付けると背中を押しステージに出しました。涙目で演じたと思います。
ステージ上はきっと複数いるタイの中にサンマが一匹で観客席はどう見たか・・・そんなことは今になって思うコト。
それ以上に、今でも思われるのは母はどんな思いで末娘の私の演技を見たのだろう・・・。
同じタイの役の中で、仲良しだった近所の友達が私のお面をつけて登場していたことは知っていましたが何も言わない先生と、友だちを攻めもしなかった母、何も言えなかった自分。
一番思えるのは母はどんな気持ちで見てただろう・・・。こればかり。
大人になるまでにはいろんなことがあるよね。今は笑う農婆です。
歳をとると涙腺もゆるゆるになるようですね。私も心当たり有りです。
しかし、本気で見ないとは・・・なかなかシャイなんでしょうね。
いくつになっても両親のことは思い出されます。
口数の多くなった婆ですが、昔は無口。ホンとかね。
最近の親は結構はっきり仰るようですね。
最近の私、口数は少ないくらいで良かろうと控えめを目指すものです。それでも充分!
どこの親も祖父母も我が子・我が孫は可愛いものですよね。
きっと「お前の味方だよ」とやさしく包んでいた言葉だったんでしょうね。
昔はモンスターなんていませんでしたもの・・・。
母は<負けるが勝>なんて言う言葉で我慢や譲ることを教えてくれていた気がします。
なので真剣に見ないようにしてます。
笑い農婆ですのでシワだらけの32歳と言いたいところですね。(笑)
毎晩お付き合いの孫とのカルタですが、3歳孫がいつも言います。
<笑う門には福来る>婆の顔だ・・・。その通り大口開けた笑い顔の札です。もうお嫁にも行きませんからね。
子どもさんと<ジャックと豆の木>上映会をされてみれば・・・きっと楽しいでしょうね。
わが家の子育てに文明の利器は登場なしでした。
昔の田舎では小学校は<講堂>がありましたね。講堂でおこなわれる<学芸会>でした。学習発表会ではなかったようです。
幼いようちゃんが熱演のおじいさん、見たかったです。(笑)指で奏でる木琴もね。
たいした度胸ですよ。私なら泣いていたかも…グスン!
人生永くなると子どもの視方も<愛>ですね。
自分でもおとなしい子どもだったと思いますが、年月は人を変えますね。
すっかり怖いもの知らずの好奇心で生きて行けるおばさんに成長?です。
みなさん、こどもの頃を思い出しちょっと面白いですね。
いくつになっても人の子ですね。特に言葉数も少ない母親でしたが、思いでは濃厚です。
ろこさんのブログのお母様への思い、心熱くして拝見してます。
さて、我が子にとっては自分はどんな母親だろう?
私たちの時代は、劇といえば昔話が多かったようですね。保育園では因幡の白うさぎも思い出されます。
hi-chanさんは子どもたちに思い出たくさん持たせてあげられる立場ですね。
子ども達は幼い日の記憶が私のように残っていくんでしょうね。どんなことも思い出ですね。
3年間のこどもの成長は目を見張りますね。
保育園育ちの私は園の長い一日が嫌いでした。孫が喜び通園する姿はとても微笑ましいです。
ぐりさんもお孫さんが園で嬉しい姿を見せてくれるでしょうね。
今の時代の母親は 文句を言うでしょうね
先生方は戦々恐々だとか?
お孫ちゃんの発表会 さぞ可愛かったことでしょうね
ドキドキしながら見たのを思い出しています
先生が上手な解決をしてくれたら、って思いましたが、
小学生の頃、いじめっ子の男の子が居て
祖母に言うと、「今度、言うて(叱って)やるさかい。」って、
でも実際会っても何も言ってくれませんでした。
全て良い思い出なんですね。
今は生活発表会って言うんですね。
次男が幼稚園児のころジャックと豆の木の大男の役でした。背は一番小さいけれど、背の高い本物の大男役が嫌がったので二人で一緒に大男を演じる事になりました。
小さいのに大股歩きでカツラはズレて来るけど笑顔満面で照れ隠しも有ったのでしょが良い思い出でビデオを撮りました。出だしのビデオでピンボケのブレブレでしたが、さて次男はあの頃のことを何処まで覚えて居る事やらです。
私も 小学校の学芸会の 浦島太郎では 何十年後かに 村に帰って
海岸でであった 村のおじいさん の役でした。
祖父のちゃんちゃんこを着て 杖をつき 恥ずかしかった。
友達は 竜宮城のお姫様だったり タイやヒラメの舞い踊りなのに。
そして 合奏では 木琴の棒が直前に紛失しており 最前列で
人差し指で 木琴をたたきました。
顔が真っ赤でした。
胸が熱くなりますね
いろいろな事をくぐり抜けて生きてこれたのは
こんな小さな体験をいっぱいして、たくましさを
増しながら歩んできたんですね。
遠い昔の事なのに、小さな頃の思い出は深く心に刻まれるものですね。
幼いものはそれだけで愛おしいものですが、
わがお孫ちゃんならなおさら。そして泣きじゃくる子供も、わが子のように愛おしくなる。
情愛があふれてきますね。
50年前の子らも、無垢なはずなのに、
よその子の素晴らしいお面がほしかったのでしょうか。
小さな胸が傷ついて忘れなかったのでしょうね。
先生に「乙姫様をしなさい。」と言われたのに、恥ずかしがりやの私は(昔は・・・ね。笑)、泣いて嫌がったことを覚えています。
でも、母がどんなふうに見ていたか、なんてことは全く覚えていないのですよ。
いいところの子は幼稚園へ通っていたみたいです
お孫ちゃんの姿
可愛いですね
私は今から孫の保育園見に行くのを楽しみにしています
50年前へワープされましたね