晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

池波正太郎 『堀部安兵衛(上)』

2017-08-08 | 日本人作家 あ
個人的な意見ですが、昔から「新選組」と「忠臣蔵」は
あまり興味が持てなくて、まあある程度、年を重ねれば
良く見えてくるのかなあなんて思ったりもしましたが、
残念ながらまだまだ。

とはいっても無駄に年を重ねているわけでもなく、興味
が持てないとはいっても知識としては入ってくるわけで、
(赤穂浪士に堀部安兵衛という人がいた)ぐらいはそりゃ
知ってます。じゃあ四十七士のうち何人知ってる?と聞か
れたら、大石内蔵助と息子の主税、あと堀部安兵衛・・・

つまり何が言いたいのかといいますと、前知識も無く、
さらに興味もそんなに無い人が読んで面白いと感じさせ
たら、それはもう(面白い)ということですよ。

さて『堀部安兵衛』ですが、(高田馬場の決闘)は落語や
講談にもなったぐらい有名な話ですが、そもそも赤穂出身
でもない浪人がどういう経緯があって吉良邸に討ち入り
することになったのか。

越後・新発田藩の家来、中山弥治右衛門の家に生まれた
安兵衛は、まだ幼いころから父に毎朝、剣術の稽古をつ
けられ、(およげたいやきくん)ばりに「いやになっち
ゃうよう」と嘆いてます。

ある朝、店のおじさんと喧嘩して海に・・・いやいや、
ある日のこと、通りすがりの山伏に呼び止められ、
「いまの世に剣を持って進むとき、おそらく短命であ
ろう。二十をこえる前に一度、もしそのとき生き永らえ
たときは三十にならぬ前に死を迎えよう・・・」
と言われます。

この山伏の宣告は、のちの安兵衛の人格形成といいま
すか、大きなウェイトを占めることになるのです。

父の弥治右衛門はいきなり閉門(自宅謹慎)を言い
渡されます。なんでも、部下が城内の櫓で失火して
しまい、その責任者である弥治右衛門が責任を負う
ことに。
ところが弥治右衛門は「見苦しい言い訳はせぬ」と
切腹を・・・

(殿の命にそむいた)ということで中山家は取り潰し
になり、安兵衛は祖父の家に。
ここで、安兵衛は女中の(お秀)と出会います。
そのお秀から父が切腹した原因となった失火をしたと
される足軽が、お咎めなしで江戸藩邸に移ると聞き、
安兵衛は「父の仇!」と、その足軽を追い、国境近くで
斬ります。

これを見ていた男が。中津川祐見という医者で、ふたり
で足軽の死体を埋め、安兵衛は中津川に誘われて近くの
温泉に行きます。
ここで中津川は安兵衛に「おぬしとは一生かかわり合う
ことになるらしい」と言うのです。

さて、足軽殺害そして中津川との出会いから四年、安兵衛
は姉の嫁ぎ先の紹介で江戸の旗本家の奉公に決まります。
奉公先ではよく働いていましたが、ある日、中津川祐見と
江戸で再会し、なぜか中津川は泥酔した安兵衛を女郎屋に
置き去りにします。
「もう奉公家には帰れない」と安兵衛は東海道を西へ。
小田原で、男に殺されそうになっている女を助けた安兵衛は
この女が(お秀・・・?)であることに気づきます。

さて、小田原を過ぎ熱海に向かう安兵衛とお秀。一方熱海
では、さきほどお秀を斬りそこねた(鳥羽又十郎)という
男が中津川祐見を見つけるや「久しぶり」と・・・
この鳥羽又十郎は盗賊で、お秀は又十郎の女になっていた
のですが、又十郎の正体を知ったお秀は逃げようとしたと
ころ、ちょうど安兵衛に助けてもらったのです。

お秀と安兵衛は又十郎に見つかり決闘がはじまろうとした
とき、なんと中津川が又十郎の腕を斬り「安兵衛、逃げろ!」
と・・・

安兵衛はお秀と中津川と三人で京都に住んでいます。が、
中津川はお秀とふたりしてどこかへ消えてしまいます。
困った安兵衛は祖父の形見の脇差を売ろうとしたところ、
これを見ていた武士が「待たれよ」と。

「それがし、浅野内匠頭家来にて、大石内蔵助と申す」

大石は赤穂藩の京都屋敷にいて、この祖父の形見を売ろう
とした「越後・新発田の浪人、中山安兵衛」と名乗った
見ず知らずの青年に、五両もの大金を貸してくれたのです。

中津川とお秀を探した安兵衛は、草津の宿場で二人を見つけ
斬ろうとしますが力の差は歴然、中津川に斬られそうになり
ますが、ある老武士に助けられます。
「松平左京太夫家来にて菅野六郎左衛門」と名乗った老武士
と安兵衛は不思議と仲良くなり、のちに菅野は安兵衛に
「おぬしの義理の叔父ともなろうが・・・」と言ってくれる
のです。

菅野の(義理の甥)となった安兵衛は、江戸にもどってから
かつての奉公家に出向いてお詫びをし、赤穂藩の江戸屋敷に
行って大石内蔵助に借りた五両を返しに行きます。

安兵衛は、伊佐子という(男装の女剣士)と出会います。
さて、伊佐子は先夜、辻斬りをしていた輩どもを叩きのめし
ます。そのうちの一人は「村上三郎衛門」というのですが、
じつはこの男、菅野と同じ松平左京太夫の家来だったの
です。そして、村上の通っている道場の主は、なんと、あの
中津川だったのです・・・

だいぶ長文になってしまいましたが、これでもまだ上巻。
しかもだいぶ端折ってます。続き(下巻)は翌日に。


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