晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

髙田郁 『あきない世傳金と銀(十一) 風待ち篇』

2022-01-16 | 日本人作家 た

そういえば、年末年始の牛乳の大量廃棄問題、あれって結局どうなったんでしたっけ。回避できたんでしたっけ。微力ながら個人的にできることとして毎朝ホットミルクを一杯飲むところを二杯にしてます。そんな程度でドヤられてもという話ではありますが。

さて、あきない世傳。時代小説の作家さんにとって好きな時代、得意な時代というのがおそらくあるのでしょう。たとえば戦国時代とか江戸だったら初期か中期か幕末か。髙田郁さんはこの「あきない世傳」シリーズは享保から宝暦あたり、「みをつくし料理帖」シリーズは文化文政時代で、江戸中期がお好きなようで。もっとも、両作品とも主人公が関西から江戸に出てきてという話ですので、ちょうどこのあたりに文化や経済の中心が京大坂から江戸に移行中〜完全移行するので、好き以前に設定上そうしただけなのかもしれませんが。

おおまかなあらすじを。田舎から大坂の(五鈴屋)という呉服屋に女中奉公にあがった幸(さち)は、番頭から商才を見込まれ、なんと当主の後妻に。ところが当主が事故死してしまい、跡継ぎはその弟に。ななんと幸はその妻に。ところがこの当主がワンマンタイプで取引先の信用を失って勝手に隠居宣言して家出。五鈴屋の次の主に決まったのは、ワイは作家になるんやといって出ていった三男。なななんと幸はこの後妻に。江戸に支店を出すという目処もたったときにその三男が病死。暫定的に幸が五鈴屋当主になって江戸へ・・・

もう波瀾万丈。大映ドラマか昼ドラか韓流か。

そんな人間ドラマもあるのですが、タイトルに「あきない」とあるように商売つまり経済小説の側面もあったりします。で、絹織物の寄合から外されて絹の反物が売れなくなってしまった五鈴屋ですが、太物(木綿)を中心に扱うことに。現代でいうパジャマというか部屋着であった浴衣を外出用に新商品開発をしてこれが大当たりします。

ヒット商品が出たはいいものの、一時的なブームで終わらせてはいけないということで、幸をはじめとして奉公人一同は次の手を考えます。江戸浅草に店を開いて八周年となり、そのお祝いということで常連さんはいつもより多めに買ってくれるのですが、それにしても今年は売れ方がちょっと極端。じつは巷で「末禄十年の辰年」つまり来年に災いが多くなるという言い伝えがあって、災難から逃れるには正月に大盤振る舞いをしようとするのが流行っているのです。

年が明けて宝暦十年。如月(二月)、神田で火災発生、その日は運悪く強風で炎は日本橋から大川を超えて深川まで達するといった大火災となります。のちに、「宝暦の大火」または火元の足袋屋の名前から「明石屋火事」と呼ばれるようになるのですが、かなり甚大な被害。五鈴屋では幸をはじめとして奉公人の全員が、商品も証文も無事でした。取引先も仕事仲間も大丈夫そうです。ですが、日本橋のほうはほぼ全滅と聞いて、幸はいてもたってもいられなくなります。というのも、日本橋には唯一の肉親で五鈴屋の大事な商売道具を持ってあろうことか五鈴屋を乗っ取ろうと卑劣な手を使ってくる呉服商に嫁入りした、今は絶縁状態ではありますが妹の結がいるのです。結は無事なのか・・・

商売の話では、開店当初から五鈴屋に来てくれていたご夫婦がいるのですが、そのご主人の正体、といいますか、やってることが判明し、ある大きな注文を五鈴屋にお願いします。そこで幸がある思いもよらない行動に出るのですが・・・

人間ドラマ的には波瀾万丈ですが、といって主人公がこれでもかと不幸になったりはしません。そういった意味で気が滅入るようなこんなご時世からの現実逃避で読書を楽しみたい者にとって安心して読めます。

これは感想とは違いますが、今までのタイトルは(〇〇篇)とすべて漢字二文字だったのですが、今作はひらがなが入りましたね。あと、当ブログでは今まで「編」という漢字を使ってきましたが、正確には「篇」でした。ちなみに前のが常用漢字で後のがそうでない、それだけの違い。まあでも今さら変えるのも面倒なのでシリーズ十作目までは編のままで。

 


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