晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

池波正太郎 『真田騒動 恩田木工』

2018-02-18 | 日本人作家 あ
この作品は、タイトル通り、真田家の戦国時代末期から
江戸時代に入っての話で、文庫で20ページぐらいの短編
あり、100ページ超の中編もあり、短編集ではなく「作品
集」ってとこですね。

中でもいちばん読みたかったのが、直木賞作品「錯乱」。
見開きの作者紹介で「昭和35年『錯乱』で直木賞受賞~」
は必ず書いてあり、タイトルだけはよく知っておりまし
た。

前に読んだ「黒幕」という短編集にも「真田もの」が
3作品ほどあります。

「信濃大名記」では、父・昌幸と弟・幸村は豊臣方に、
真田伊豆守信幸は徳川方について、肉親と殺し合わね
ばならぬ武士の悲劇の一方、生き残った側の信幸には
「真田家の血を絶やさないために双方に散ったという
したたかさゆえ、次にいつ徳川を裏切ってもおかしく
はない」と、監視の目はきつく、しかし、家康からは
絶対の信頼をおかれていて、しかしそんな家康も亡く
なって、幕府は真田家を信州上田から松代へ国替えを
させられ・・・

「碁盤の首」は、真田家の馬廻役、馬場主水という侍
が農家の娘に乱暴し、娘は自害するという事件があり、
藩主の信幸は「民百姓をおろそかにする考えは許さぬ」
と、それまで数々の武功があった主水を牢屋にぶち込
みます。「たかが百姓女を犯したぐらいで」と思って
いた主水は家老に、いや殿に会わせろと叫びます。
そんな主水が脱獄し、江戸に行き、なんと幕府の評定
所へ藩主の信幸を訴えたのです・・・

「錯乱」は、真田家二代目藩主の信政が急死しますが
世継ぎの右衛門佐(のちの幸道)はまだ2歳。そこで
上州沼田藩主、右衛門佐の従兄にあたる真田信利が
「俺に相続させろ」と、家督争いが勃発。ところが、
これを機に真田家の取り潰しを画策していたのが、
幕府老中の酒井忠清。忠清は真田藩にスパイを送り
込んで真田家の弱点を探させます。すでに隠居の身
の初代藩主、信幸は、忠清の企みを看破し・・・

「真田騒動 恩田木工」は、だいぶ時代が進んで江戸
中期、八代将軍吉宗、九代将軍家重のあたり。
真田藩の財政は逼迫し、質素倹約を重んじていたの
ですが、五代藩主の信安は「知るかバカヤロー」と
ばかりに濫費にあけくれ、国家老の原八郎五郎も殿
の味方で藩士の給料カット、農民には年貢の取り立
てを厳しくし、とうとう下級武士たちが反乱を起こし
ます。家老の恩田木工は「原もかつては千曲川の治水
工事など業績をあげて頭の切れる男だったのに・・・」
と思いますが、藩内のゴタゴタが幕府に知られると、
最悪「御家取り潰し」になりかねず、話し合いの結果、
原は罷免されますが、次に国家老に就任した田村半右
衛門というのもこれまたひどくて、とうとう一揆が勃
発、田村も失脚。そこで白羽の矢が立てられたのが、
恩田木工でした・・・

「この父その子」では、真田藩の江戸留守居役、駒井
理右衛門の話。留守居役というのは他藩との情報交換
や幕府との折衝(つまり接待)などをするいわば現代
でいう「外交官」のような役目。ある日も金が入用に
なり「三倉屋」という商人から借りてきますが、そこ
で三倉屋から「お世継ぎの信弘様の質素倹約ぶりはお
いたわしく、一度でよいので気晴らしに・・・」と
提案があったのですが・・・

「まあいつか、死ぬまでに読めればいいかな」と思って
いた「真田太平記」ですが、だんだんと読みたくなって
きました。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 佐伯泰英 『夏目影二郎始末... | トップ | 佐伯泰英 『吉原裏同心(十... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本人作家 あ」カテゴリの最新記事