晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

小野不由美 『東亰異聞』

2020-03-28 | 日本人作家 あ
春ですね。

家の近くでこの時期にフキノトウが群生してる空き地がありまして、今年も天ぷらにふき味噌に堪能いたしました。初物を食べると七十五日長生きするらしいのですが、そういえば毎年家の近くの野原で菜の花も収穫して食べてますし、知り合いから毎年タケノコもいただいてますし、知らないうちに天命を通り越して不老不死になっていたらどうしましょう。

相変わらずの与太話です。

『東亰異聞』です。ふりがなは(とうけいいぶん)とあります。「亰」という字。なんでも「京」の異字体なのだそうで、明治の中頃ぐらいまでは「東京」はこの字を使ってたんだとか。調べてみるもんですねえ。

「江戸」から「東京」に変わって29年。銀座などの表通りはレンガのビルヂングが建ちガス燈ができ、道を行くのは洋装の紳士、ご婦人。しかしほんの1本裏道に入ればそこは裏店や長屋といった風景。
「人魂売り」なる者が出て小さい子が行方不明になったり、人を高い場所から突き落として火だるまになる「火炎魔人」が出たり、「闇御前」という辻斬りが出たり、もはや夜の帝都は妖怪の独壇場。あるいは、妖怪のふりをした人間の仕業か。

そんな話を、黒衣の男が女の人形に語ります。

帝都日報の記者、平河は、知人の便利屋、万造とともに、新聞には載らなかった「ある人物」のもとへ。

その人物とは、五摂家のひとつで公家の鷹司家。

明治時代になって、表向き身分制度は無くなったのですが、皇族は爵位をいただくなど特別扱い。平河と万造が訪ねたのは、幕末のゴタゴタを生き延びた先代当主の息子、「常(ときわ)さま」こと、鷹司常煕。
話を聞くと、常さまが闇御前に襲われ、手を切られたというのです。闇御前は「女」だったと。他に見たものはと聞くと、女に切られる直前に犬のような狐のような動物を見て、さらに蕎麦の屋台があったというのです。その屋台には般若の絵が描いてあった、と。
なんでまた夜道をひとりで歩いていたのかといえば、その、「いいひと」に逢いに行っていたそうで、こりゃ記事にはできんなと平河と万造はお暇します。

ところが後日、銀座の呉服屋の3階から、ある男が全身炎に包まれた何物かに突き落とされます。火炎魔人に襲われた人がいるとの情報をつかんだ平河は万造と病院に行くと、そこには常さまが。じつは被害者の男とは、下男の佐吉だったのです。

じつは佐吉、常さまの「いいひと」の付き添いで呉服屋に行っていたのです。ということは、常さまと佐吉を間違えて突き落としたのか。
とすれば、これは鷹司家、あるいは常さま本人を狙った犯行か。あるいは、もし妖怪の仕業だとすれば、鷹司家の関係者が連続して被害に遭うのはただの偶然なのか。
そこで平河と万造は、その「いいひと」こと菊枝という女性に会って話を聞こうとしますが、ここから、鷹司家のいろいろと複雑な事情が絡んできて、どうやら妖怪のたぐいの犯行ではなさそうな・・・

昔の人は、「闇」を恐れていました。しかし「火」を自在に操れるようになって、「闇」に対する恐怖心は少しは和らいだのでしょう。しかし、日本でいえば、江戸時代までは、まだ「夜」は恐怖の対象でした。それが明治に入って、通りにはガス燈なるものが立ち並び、あたかも「闇」あるいは「夜」を駆逐したつもりでしたが、やっぱりそれまで日本人が大事に守ってきた「領分」というものがあって、それを勝手に犯すのは妖怪がどうこうではなく人の精神に何らかの異常をきたしたのかもしれません。

読み終わって、ふと「表裏一体」という言葉が頭に浮かんできました。


コメント
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